私は大学に進学後、様々な「インテリっぽく見える」「尊敬してもらえる」活動に
忙しく努めておりました。
私は昔からとにかく我が強く、自分は何か優れた物がないと「愛してもらえないから頑張ろう」と思い、
大学で一番難しい学科に入り、短期留学をし、部活のリーダーをやり…と自分の実力以上の事に
必死で挑んでおりました。
しかし、三年の前期が終わる頃には身も心も疲れ果て、仕事がまったく手につかなくなり、
責任を全て放棄してしまいました。
元々人の気持ちを考えず、偉そうな態度のせいもあり、周りの人は皆離れていってしまいました。
そこから更に無気力になり、好きと思っていた勉強も出来なくなり、寝るだけの毎日が続きました。
このままでは四年で頑張れないと思い、一年休学をしました。帰った実家は心地良かったですが、
やはり仕事や勉強への気力はおこらず、多少のバイトと少しの家事をやって、あとは寝るという生活を
一年してしまいました。
復学したところでもう卒業まで頑張れないと思っていた三月、母がずっとしつこく誘ってくれた
練成に来ることになりました。
私は可愛らしく働き者な母が好きですが、ヒステリックに泣きわめく二歳児みたいになった時の母は
大嫌いで、いつもいつも母と大喧嘩しては家族の調和を乱していました。
宇治の練成は大好きでしたが、母の言うことを聞くのがしゃくに障って、
ぎりぎりまで来れなかったのでした。
宇治に来て最初の方は聴いたことのある講話ばかりで「そんな理屈しってるし!」
と思いながらよそ事ばかりしておりました。
ところが三日目、榎本講師にお話を聞いてもらった時から良い風が吹き始めました。
榎本講師は、私の行いの悪いところにはちっとも触れず「いい大学に行って成功ばかりしていたら、
貴女は天狗の鼻をこさえた鼻もちならない女性になっていたでしょうよ。
でも、この経験で人の心の痛みを解ってあげられる愛が出せるようになったのよ。
貴女は本当に素晴らしいわ」とニコニコ私の内の神の子を褒めて下さいました。
思わず「はい、もう天狗の鼻はポッキリです」と笑ってしまいました。
その後のQ&Aでも榎本講師にお世話になり、似た悩みを持つ学生の悩みに答えて下さいました。
そこで学生同士仲良くなり、宇治の楽しい生活が始まりました。
次の日から今まで嫌いな神想観と聖経を誦げることが大好きになり、
毎日嫌で仕方なかった朝の行事が楽しみになったのでした。
それどころか自分から祈りの間で祈るようにもなりました。
拝み合いでは、相手が人間の子ではなく「私を光へ導く菩薩」であり、
「世界を照らす神の子」として見るほかなくなりました。
前回までは父母に感謝など恥ずかしいと思っていたのに、今回の浄心行では
一番大きな声と笑顔で父母への感謝を叫んでおりました。
二十二年間必死でしがみついてきた「私」から、初めて離れられた気がしました。
宇治を散歩している時、そこらじゅうに私の中の神の子が遍(あまね)く存在していることに感動しました。
トイレ一つ、服一枚、紙一枚に心からのありがとうが自然に出てきました。
榎本講師のお言葉を切っ掛けに、宇治のパワーが、講話の優しい慈悲が
私を我から引き離してくれました。
一緒に来ていた私の妹は、世界の人々の苦しみを辛く思い、鬱になっていましたが、
清水講師の、「人は皆むごい死に方をした人も、想像を絶する苦しみの中にいる人も、
みな光の世界では幸せだから安心してよい」という言葉が私の妹を癒し、
私は妹が癒されたことに清水講師への大きな感謝を心から感じるとともに、妹への愛を感じました。
今回の練成で知り合った友人の過去の苦しみに、神の子として涙しました。
岡田浩二講師の「政治などについて直接悩むのも大切だが、神の子として
目の前の事にしっかり取り組み、祈ることが大切」という言葉は、私や妹をまた癒してくれました。
大学生活で苦しんだ結果、こんなに素晴らしい神の子を自分の中に見つけることが出来ました。
苦しみとは釣り合わない、おつりが出るほどの幸福です。
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