1719生きていて良かったと思える自分になれた

4月一般練成会感想文

 一月より研修生にならせていただき、下山の仕上げに、やはり練成を受講したく思い、
参加致しました。

 私は宇治が大好きで、今まで何度も練成会に参加し、そのお蔭で十年前に突然倒れ、
不自由になった身体は、練成会受講毎に少しずつ新生させていただきました。

 今回は心の落ち込みと共に痛みとしびれ、硬直が強くなる現象に心を捉われてしまい、
自分の中で愛をもっと出す日々に変えなくてはと反省し、研修生にならせていただきました。

 冬の寒かった日々は朝から水しか使えないので、まず指先から硬直し辛かったです。
身体は鉛を巻いているような重たさの手足での行動に、外の献労の時は辛いことも多々ありました。

 最初はやる気いっぱいでも坂道が苦手で、集合時間に間に合わせるために必死で歩いて昇ったり、
自分なりに研修生の日々いつも今を一所懸命に過ごすようにしました。

 私なりに研修生として心掛けてきたことは、以前、後遺症で言語障害だった私でしたが、
今では声が出る喜びがあるので、感謝行の「ありがとうございます」を大きな声で言わせていただくこと、
よく笑うこと、今の私でも時間がかかってもお役に立つことをさせていただくこと。

 そしてもう一つは、心の中で常に父母へ「ありがとうございます」とのコトバを口癖にすること、
もう一つは「私は神の子、完全円満、健康、幸福、大調和」と想うことをコトバの力を使って実行しました。

 研修生となり、更に「祈る」こと。例えば何かあって心が乱れたら直ぐに祈ること、行動する前後に
神様に祈って感謝のコトバと「御心の如く成らしめたまえ」を願うことを教えていただきました。

 お蔭さまで献労や輪読や研修仲間の支えによって、更にはこの十日間の練成会に参加したお蔭で、
真理を私の中に入れることが出来、「病はない!!」が解りました。
何故ないかがやっと解りました。嬉しいです。
 「ないからない」とのお話にやっと「はい!」といえる嬉しさに、私自身がすごく喜んでいます。
お蔭で不思議です。春に入り身体が軽くなり、楽になり、今や階段もゆっくりなら手すりにたよらず
昇降出来、足取りも軽く速くなりました!!

 三月に入り早朝から各社参りをゆっくりゆっくり坂道をライトを付けながら滑らないように
歩いて昇りました。夜明け前なので3月初旬はまだまだ寒くて最初は足がふらつき、
うまく登れませんでしたが、日に日に覚悟と体力が付いてきました。

 昨日よりも少しでも動けることが嬉しくて感謝でいっぱいで、お礼の聖経読誦を各社で
毎日読ませていただきました。今日まで休まずに続けられたことで自信がつきました。 

 十年前に病で倒れ、身体に力が入らず、動かない身体、言語が話せないよだれの日々、
自分の名前も解らず、天井だけを見ていて、一生このままの人生かもと言われた頃は、
一生人の世話になって生きていても何の為に生きているのか解らず、ロボットの方がAIの方が、
人のお役に立てるのにと、生かされていることが苦しいと思っていた年月が、
今では「あー生かされていることが嬉しい」と思える日々が来るとは、
あの時私に真理を届けてもらえなかったらどうやって生きていたか解りません。

 それだけにこの宇治は私にとっては実家であり、ただの宇治ではなく、聖霊天降る宇治で、
すごい所で、ありがたい大好きな、大好きな宇治練成道場です。

 この数ヶ月、本当にありがとうございました。感謝でいっぱいです。
私にとっては勝手ながら宇治は実家なのでまた帰ってきます。

 この何十年間色々ありすぎましたが、私はすごく頑張りました!!
やっとそう思えるようになりました。生きていて良かったです。

 


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