1724 「自分は愛されていた」と知り自分を肯定する気持ちになれた

4月一般練成会感想文

 私は自分が生きている事が申し訳なく思っていて、仕事の覚えが悪い事や研修先で上司に馴染めず、
学べず、ただ会社の恥をさらしているようで、息苦しく感じておりました。

 私は過去に高校受験に失敗し留年、大学受験失敗し留年、大学中退、首吊り失敗(紐が切れた)
専門学校中退と、一貫して逃げの人生を送り、自分は何事も成し得ない人間なのだと感じ、
それを念じながら生きていました。

 練成会に参加したのは、二度目の首吊り自殺に失敗(片結びを二重がほどけたため)し、
一週間逃亡、興信所が発見し、心の病院へ。その後、母に連れられて練成会へ参加しました。
母に宇治の練成に行こうと言われた時は、直ぐにハイと言いました。

 私は生きる意味が知りたかったし、私の事で心を悩ませている家族に何か、
どうにか安心して欲しかったからです。そして罪人である私も救いを求めていたのです。

 途中からの参加でしたが、直ぐに長年悩み続けていた「どうすれば私の生を肯定出来るのか」
との問いに人は皆、「神の子であり、罪はない」と教えてくれました。

 私は「実相の私なら肯定出来るな」とその時に感じました。
また、他の人の幸福を祈ることなら、何の抵抗もなく出来るなと思い、「実相円満完全」と祈りました。

 「私は全てに愛されている」と聞き、両親の笑顔、職場の方々一人一人の笑顔、
過去関わりのあった人をつらつらと思い浮かべ、両親、姉、妹に繰返し感謝していると涙が少し出て、
「自分は愛されているのだ」と感じました。

 食事も美味しく感じ、講話を聴く度、自然に笑顔が増え、今は両親と向き合って
自然に笑えると感じます。神想観はとても気持ちよくなります。

 世界平和のため、喜び多く過ごします。有難うございます。また来ます。



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