2年前の6月突発性難聴にて、練成を受けさせて頂きましたが60パーセントの回復はしましたが、
だんだんと歩けなくなり、体調を崩し、最近はやっと歩いていました。
少し快復したので、導かれるように宇治に参りました。
2人の子供を愛し、子供達もよくしてくれているのに、
主人の死後十年を過ぎても、私の中でまだ主人が許せないのだろうか?
生前、一生懸命、主人の望むようにさせてもらったつもりでしたが、縛られ、文句を言われた事、
色々な事を思い出し、何か仕事をしながら、悲しい、寂しい、空しい心。
主人への暗い心を消す事が出来ません。
3月16日は主人の命日です。お墓参りは、毎月します。
喜んでくれてるのかなと思いつつも、心は晴れません。
心から許したい!感謝したい!宇治に行こう!と急に思い立ちました。
10日初日から講師の方々の真理の言葉に、涙が頬を流れます。
16日は命日供養祭に出させて頂きました。
主人が宇治に導いて下さったようです。
そんな気がしますい。
罪無し、病無し、感謝出来にくい事こそ、チャンスとして気付きなさい。
あるのは神の愛のみ。与えっぱなしの愛。
自分を誉める。そして、神の子の自覚の大切さを教えて頂きました。
実相を観じ、罪無し、病無し、消えました。すべては神様から愛されていた自分であった。
心が明るく、楽しく、嬉しくなりました。
祈り合いの神想観でも涙が、嬉し涙が流れました。ありがとうございます。
これからは毎日明るい心で神想観をさせて頂きます。 |