研修生活から逃げ出そうとする自分、過去の悪習慣を克服するため、
「生きることの喜び」「困難に立ち向かう勇気」を再認識しようと思い、一般練成に参加しました。
前回参加した練成会で、長田講師に「ごめんなさいが入って無いありがとうは、
本当のありがとうじゃないんですよ」という言葉をもらいました。
とても大事なことだと感じたのですが、上手く飲み込めず胸に残っていました。
前回の練成会中、「ありがとうございます」と声に出しながら、ごめんなさいと念じたのですが、
気持ちは落ち込むし、
「何だ、罪なしでは無いのか、私は赦され、
自由自在で悦んでいるだけで良いのではないか?どうゆう事なのだ。何故、私は苦しいのだ」
と大混乱しました。
練成中の「実相円満誦行」では、声を張り上げて、周囲の人々、
研修生一人一人の顔を想い浮かべ、講師の皆様、祖父母、
両親、姉と妹の顔をつらつら想い浮かべ感謝。
また母の顔を想い浮かべながら、息子が自殺未遂をした時、
行方不明になった時、精神病院で無気力な姿を見せた時、
母はどんな気持ちだったのかなと思うと、絶望と悲しみと怒りがスッと思い当たりました。
母の絶望は、28年間の喜んだり、悲しんだり、笑い合ってケンカもした親子関係を否定され、
親としての自分も否定されたような絶望です。
悲しみは、愛する息子が死を望む程、人生を悲観していた事実に対する悲しみです。
怒りは、自分勝手な選択をして、親族、友人等、残される人の悲しみよりも、
自分の目の前の困難から逃避するために死を望む、
卑怯で情けない親不孝のバカ息子に対する怒りです。
私は「実相円満完全」と唱えながら、ごめんなさい、申し訳ありません、ごめんなさいと念じました。
大声で唱えました。失踪し、親が雇った興信所の人に見つけられ、
父が迎えに来て、泣き顔の父に抱きしめられた事、家で母が声を震わせて
「お帰りなさい」と声をかけてくれた事。理解できない程の深い愛でした。
こんな私、罪深い私でも神は赦し、愛して下さっている。両親は私の幸福を願って下さっている。
感謝しかありません。「ごめんなさい。ありがとう。」「実相円満完全」なのです。
私も神の子で、私は私を赦し、私と両親と他の人々の幸福を祈ってよいのです。
それを実感しました。
心の底に染み入るような悦びの誦行を経験しました。
もう、逃げません。自分と他の人間が幸せになるように祈って生きていきます。 |