私が今回この練成会に参加させて頂いたのは、本当は仕事関連の研修会に参加する為、
休みをとっていたのですが、遠方に住んでいる為にどうしても開始時間に間に合わず、
どうしようかと宇治のホームページを開いたところ、ぴったりの日程でこの練成が開催されることを知り、
「これはもう参加するしかない!」と思ったのがきっかけです。
せっかく久々に参加するのだから貴重な時間を極力大切にと決意し臨みました。
私の中では、ここ最近、「両親への感謝」がテーマとなっており、意識して生活する様にしていましたが、
なかなか思う様にいかず自分を責める事もありました。
そんな思いの中、浄心行を受けていると、ふと、感じた事がありました。
父が私を育てるため、家庭の為、ほぼ1年中、片足に麻痺があるにも関わらず、
しんどいとか辛いとか、愚痴も言わずに働いていたこと。
母は、私や父が少しでも快適に生活が出来るようにと、洗濯や食事など家事をこなし、そして私たちの無事を毎日欠かさず祈ってくれていたことが脳裏に浮かび、今までそれを「ありがたい」と思ってはいたものの、どこかで「当たり前だ」、「親のつとめだ」と思っていた自分がいたことに気付き、もし父と母がいなかったら、私のこの安泰な生活は無かったのだと気付いた時、涙が溢れ出ました。
何と薄っぺらい感謝だったことか。
自分が恥ずかしくてなりませんでした。
決して「当たり前」ではなく、その一つ一つに、父母の愛情がたくさんたくさん込められていることに気付き、
「あぁ、自分は本当に、こんなにも無条件で愛されていたんだ!」と思いました。
今まで、口喧嘩など嫌な事柄のみを切りとっては反抗していた自分が情けなく、そんなことも打ち消してしまう程の愛情をこんなにも注がれていたんだ、と心の底から感じる事が出来ました。
親と同居していますが、初めて浄心行後のほやほやの感謝の気持ちを書いてハガキを出しました。
何だか心がとても温かく、満たされたように思います。
そして翌日の長田講師との面談では、自己讃嘆ができないことを相談し、
「神想観を実修することが自己讃嘆なんだ」と教えて頂き、その瞬間、肩がとっても軽くなりました。
安心したと同時に、今のそのままで良いんだと思えると、不思議と全てが明るい方へ向かっていると、
初めて確信できた様に思います。何も憂いたり不安に思うことは一切無いんだと思えるようになりました。
それが私にとってどれ程大きかったことか…本当に感謝です。
遠方の為、頻繁に宇治に来ることは出来ませんが、また必ず練成に参加させて頂くことを楽しみに、
次は素晴らしい報告が出来る様、日々行じて参りたいと思います。 |