1974 さみしさの想いに溺れかけた心に、亡き夫・次男からの“光”の声 

一般練成会感想

 一年くらい前から、胸がざわざわしていました。
真理の勉強をして納得し、落ち着いていたように思っていました。
主人が平成二十六年に、次男が平成二十九年に亡くなりました。
二人とも急死でした。

高級霊、魂は生きつづけるもの、頭ではわかっています。
でも特に朝、涙がとめどなく出ます。とてもつらく、宇治に導かれるように参りました。
宇治駅に着いた途端、主人と次男に会えたように思い、嬉しい気持ちになりました。

主人とはけっして仲良し夫婦ではありませんでした。
二人の息子が私のすべてであり... 憎しみの心はありませんが、
さみしい思いをさせてしまった主人に大変申し訳なく今も思っていました。
次男は、生まれた時から親思いの子であり、私は母として良き母だったか.....。
次男は無条件に、「勉強して良い成績をとってほしい、
良い高校にいってほしい」という、母である私の思いをくみとって実現してくれました。

現在、長男は国立大学にいき、家は、私と義母の二人暮らしです。
どうして今後生きていったらいいのか、と思っていた時の練成でした。

十五日に参加した浄心行、十六日行われた先祖・流産児供養祭、
祥日命日供養祭は、今まで味わった事のない感動でした。
心の奥底に溜まっていた思いが身体全体からわき出て、 懺悔と共に、
「心からありがとう、お世話になりました。そしていつも見守っているよ」
って言われているように感じました。主人と息子の名前が呼ばれた時、
「母さん、来てくれてありがとう」という声が聞こえたように思いました。
私の方は、「ずっと来れなくてごめんね。やっと来たよ」という思いでした。
本当に宇治に来てよかったと思う瞬間でした。

この度、個人指導でお話を聞いてもらい、私は今まで気付かなかったのですが、
業の流転をしている事を気付かせていただきました。 私は主人の思いに応えて、
義母を大事にすること、責任持って長男を育てることが私の役目であり、
自分の中での「さみしい」という思いは出してはならない、と思っていました。
しかし、自分を大事にしていい、幸せになっていいのだと教わりました。

もちろん、先祖供養、神想観を今まで以上にして、
明るい光明面を観て生活していきます。そして思うだけでなく、表現していきます。
このように思えたのも、講師の方々、一緒に練成を受けた仲間のお陰です。
改めてお礼を申し上げます。大変お世話になりました。



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