1988“母の愛”は記憶の至る所に存在していた 浄心行で観じた「温かい母」

子供の笑顔を創る練成会感想

参加動機は、毎日をより明るく楽しく悦び一杯の生活にするためです。
主人も娘もとても良い人なのに、ついつい不満を言ったり、小言を言ったり、
自分の思うようにしてほしい、させたい思いが強く、
主人や娘を縛ってしまい窮屈な思いをさせていると思います。

そんな自分を変えたいと思い、行をしたり努力をしているものの、
また元に戻ってしまいます。また、忙しい時には、
ダメだと分かっていてもついついキツイ言葉や意地悪な言い方をしてしまいます。

この家族の中で1番私が悪い、良くない人間と、いつも反省し自己処罰をしています。
優しい妻、母になりたいと思い、練成をずっと受けたいと思っていましたが、
今回私にピッタリの練成会が開催されることをホームページで見て、
思い切って参加しました。

長田講師、榎本講師、清水講師のご講話を拝聴し、
「自己礼拝すること。自己礼拝なくして人を礼拝出来ない」、
「自分を讃める事から始める」、「どんな失敗があっても、それは失敗ではなく、
良き経験である。魂が生長する」、「神を顕現するには観る、祈る、思念」、
「実相を観て祈る」、「ゆずって(与える事)そして自分をほめる。これは与える練習になる」、
「子供の関心のおすべてが勉強である」、
「一時的な目の前のことを心配するか、
すばらしい神の子だから必ず良くなるとどれだけ親が信じられるか」、
「幸福な親から幸福な子が生まれる」、
「心は一つの方向に流転していく。観方を変えて修正することが大切」、
「信じること、簡単な事から実践し、実証を得て、信じる」、
「こうなったらいいな、は既に与えられている!努力次第で何とかなるというのではない。
既に与えられていることを感謝」、「失敗があっても神の子の本性には関係がない」、
「すばらしい母、妻と、そちらから観ていく」、と伺い、今迄失敗ばかりで、
私のせいで娘の人生を台無しにしてしまわないかな、変わらないと!
と焦る私がいましたが、立派な講師でも同じように悩んだり失敗をしたりしていたんだと知り、
安心したと同時に、その時に、
現象に引っかからずに実相を観ていくことの大切さを改めて勉強できました。

母が独身の頃に生長の家に触れたので、
私は有難い事に子供の頃から御教えに触れていました。
大人になり自分から御教えを学ぶようになり、
父には素直に感謝が出来、何も嫌いな所は無いのですが、
母に対しては一杯恨みのような感情があり、
「こんな事を言われて嫌だった、もっとこうして欲しかった、
生長の家をしてるのにそのように育ててくれてないやん!」と強く思っていました。

大人になった今でも口うるさく注意されるので、実家に帰っても全然気持ちが休まらず、
いつもケンカをしたり、母を真理で裁いたりしていました。
母の育った環境が厳しかったのでは仕方ないと思いつつも、もっと認めてほしい、
愛してほしい、という気持ちの現れだったのだと思います。

清水講師のお話を聴いて、「講師もそうだったんだな、でもやっぱり愛されていたんだな」
と思いました。その時は、「私もそうなんだ、と分かるんだけどなぁー、
母の愛よりも嫌な事の方が出てくるなぁ」と思っていました。

浄心行を受けていると、私が子供の頃、
母は仕立て屋をしていて忙しい中でも姉とお揃いの服を作ってくれたことや、
遠足の時には顔がついたおにぎりを作ってくれたこと、
帰省する時には脚が悪いのに布団や掃除など、
私達家族が泊まれるように整えてくれていることを思い出してきました。

先日私が病気をして手術をした時には、
自分達も年金生活なのにたくさんのお金を送ってくれて、
幸い命に関わる程のことはなかったけど、心配をかけただろうなと思うと、
たくさん愛してもらったんだと気が付き、フワッと温かくなり涙が出てきました。

清水講師の言われるように、「嫌な母」ではなく、
「温かい母」の部分が観れるようになりました。母と私の関係が、
そのまま娘と私の関係にも影響していることも分かりました。

これからは、先祖、両親、特に母、主人、娘に、しっかりと感謝の気持ちを表現して、
特に自己礼拝をしっかりとして、何があっても善を観るようにして、
明るく楽しく悦びの生活をしていきます。


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