1989命の大懺悔――揺るぎない、“神の子にして本来罪なし”の真理のクサビ

子供の笑顔を創る練成会感想

私の参加動機は、宇治で子育てに特化した練成があると知り、
参加してみたいと感じたことです。

来てすぐより長田講師の講話で、子を神の子と信じられるかは、
自分が神の子であると自覚出来ているかがキーである、というような事を聞き、
思えばそれしかないであろうに全くそう思わず参加した自分に失笑でした。

私は真理を知った後に堕胎をしてしまい、そこからはひたすら暗闇でした。
神の子の素晴らしさを聞くほど、その神の子を母であるのに守れなかった自分に対し、
もう闇しかありませんでした。神の子と聞くのも、
合掌してありがとうございますと挨拶されることすら嫌いでした。

そんな自分ですが結婚して少しずつ変わり、地域の誌友会も参加するようになり、
罪を先達に告白して21日の行をし、子宝を授かりました。
しかし失った子への執着からは離れられたものの、
自分への憎しみや罪の意識は薄まらず、またどんな幣害があろうと薄まってはならない、
赦してはいけないと、頑固に思ってきました。
なので、出来ない課題のとこに来てしまったわと失笑でした。

若い講師の方々をどこか、ここも変わってきているんだなぁという目で見たりしましたが、
「変わりたくて、バカになって受講した」
という違う講師からの重なるくだりが印象に残っていました。
千羽講師の、“丸投げして受けた浄心行”という言葉に、
どこまで素直かと思いつつ、それもいいなぁと思いました。そしてやってみました。

どう感動的に「お父さんお母さん」とされても、
なんだか心が全く動かない自分に残念に思っていました。
自分が自分を殺さんとする姿が見えたりして、もう時期なのかもしれない。
私がいなくても光り輝く息子がいるし…谷口雅春先生も「罪の行くところは死だ」
と仰っている、とか思っていました。

が、私の知る浄心行にはなかった、「私は神の子、新生した」
と言うくだりがあると分かったその時、
「バカになってやってみよう、ここでバカになってみたからってなんだ!」と思いました。
声を大きくするだけでなく、「私は自分が神の子であることが嬉しいんだ」って思おう、
そういう声を出そうと思いました。そして「私は神の子!」と言うなり涙が出ました。
嬉しくてありがたくて、「ありがとうございます」と自然に笑顔で腹から言うなど、
中学生の時に受けた練成会以来でした。自分と解離する感じもなくはなかったけど、
表現から変えていこう!と思いました。

これからは、そういう気分ではなくても心から笑顔で、心から褒め、
心から自分も礼拝しようと思います。堕胎の罪すら「本来罪なし」と、神は私を包んで下さる。
それを頭で知っても頑なに受け入れることが出来なかった私ですが、
その心にクサビの入った練成会でした。

息子の安全地帯となるべく、これからも現象と実相が入れ違う日々があるでしょうが、
真理の道を深めて邁進していきたいと思います。


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