物心ついた時から自己否定する感情があり、専門学校卒業後、
経理として入社した会社で益々その感情が強くなってしまい、
上司とも上手くいかず、退職しました。
けれど、次の場所に行っても私がこのままでは同じ現象が現れるだろうと感じ、
悪循環を断ち切りたくて、参加しました。
まずは自分の生命を祝福することだと講師の方々の講話で教えていただいた時、
私は自分を祝福したことがないと気付きました。
講話の中で、礼拝の時、実相額の向こうに居る自分の実相を拝んでいるんだから、
きちんとやること、と仰っていて、それを聞いた時には正直ぼんやりしていたのですが、
その日の晩の神想観で礼拝する際、はっとしました。
私は生長の家一家で育ち、幼い頃から何度も礼拝をしてきたはずです。
だけど、1度もその意味を考えた事もなく、延々と、
「ダメだ、もうダメなんだ私は、生長の家をやっているはずなのに、
なぜこんなにも何もできない人間になってしまったのだろう。」と、
ただ自己否定、自己処罰をし続ける生き物と化していました。
その自分が、神の子の本来の私である実相を拝むことが出来るんだ、私は出来るんだ….
と思うのと同時に、「神の子」というフレーズに今まで持っていた違和感が消えていきました。
生まれて初めて、「神の子」を実感として理解した瞬間だったように思います。
私は、生まれた時から家族は生長の家を信仰していて、
私も幼い頃から行事に参加していました。
そして家族皆、「我が家には何も問題が無い。」という共通認識を持っていました。
なので、家庭内でモヤモヤした気持ちがあっても、
その感情を見て見ぬ振りをしてきたのだと思います。
2日目の感謝誦行で、ふと浮かんだのは、上手くいかなかった母と、
母の歳に近い女性の上司でした。
その日の晩の神想観はぼんやりと、ずっと母のことを考えていました。
そして高校3年の時、実家を出る前母にイライラして、
「もう家を出ていくんだからいいじゃん。」と言ったこと、
上司と母その2人と私がよく似ていることを思い出しました。
3人の共通点は「気分にムラがある」こと、「自己否定が激しい」という2点です。
上司は、母でした。
物理的に距離があれば母と良好な関係を保てると考えていた高校3年生の私は、
母との問題を、その時点に置き去りにしていました。
私も母も上司も神様であり、繋がっているため、どこに居ようとも母が現れるし、
上司が表してくれたのだなぁと思うと、涙が止まりませんでした。
「何も出来ない」と言葉で発し続けて世界を作ったのは私で、
「お母さんいつも文句ばっかり!」という母を観て表してしまったのも私で、
「怖くて仕方ない」上司も全てつながっていて、私自身が作った世界でした。
4日目の浄心行の用紙を記載する際、母のことは書いたけれど、
父に関しては書く事がありませんでした。
しかしながら、だから感謝しているのかと言うと、それも違いました。
父のことも好きなのに何故なのか分からず、浄心行の間ずっと父の事を考えました。
父はいつも仕事が忙しそうで大変そうで、苦しそうな時が多いのですが、
毎日神想観と聖経を読誦し、何でも乗り越えているように見えました。
現在も大変そうですが、それは父の問題で父の勉強なのだろうと認識していました。
母のことで、全てがどうやっても切り離せないと分かったはずなのに、
無意識に父を切り離していました。
父の苦しさ、しんどさは、私の苦しさやしんどさだったと気付きました。
私の代わりに父が苦しんでいたんだと感じると共に、父母の祈りと、
愛がやっと届いたことを理解しました。自分でも引く程、泣きました。
この度、気付いた父母に対しての思いや気付きは、
タイミングをみて伝えるか、伝えずにひたすら祈ろうと思っていました。
しかし、翌日の晩、寝る直前に母から連絡が来ていました。
「お母さん、今日もダメダメだったよ。」とのことでした。
その一文を見た瞬間、冷静さが一気に削げ落ち、反射的に、
長文で思いを伝えてしまいました。
ただ、私が言いたかったのは、謝って欲しい訳でも後悔して欲しい訳でもなく、
そのままでいいということのみですが、
その過程では母が傷つく可能性のある内容も含まれていました。
送った直後、私は「間違えた。タイミングを間違えてしまったんだ。」と感じ、
即、母に電話をしましたが、出たのは父でした。
「ダメだ」という気持ちより「大丈夫」の気持ちが勝るよう、
電話を切った後「ありがとうございます。」とひたすら唱えながら、
生まれて初めて自ら神想観をしていました。
ふと、その後もう1度母に電話したところ、3時間程様々な種類のグチの嵐でしたが、
私は今までと違い、「そのままでいい」気持ちのままで、この状況に有難さを感じていました。
これからも神の子の自覚を忘れず、この練成でやっと芽生え始めた信仰を、
より確実なものに出来るように真理を深めていきます。
10日間、充実した日々を過ごせたことも、
自分の大切な気持ちや父母の愛に気付けたことも、講師、職員、研修生の方々、
同じく参加していた方々のお陰です。
全部嬉しくて有難いことばかりでした。 |