今夏、次女が夫婦不調和で家に帰って来た時に、
夫から練成を一緒に受けるように言われて来ました。
2日目からの参加でしたが、浄心行、先祖供養祭にも参加出来、
最後に祈り合いの神想観を実修出来て、素晴らしかったです。
20代に生長の家に導かれ、それから『生命の實相』を拝読して、
自身の幼少期からの父母への反感、愛情の欠乏は、
すでに過去の乗り越えられた課題と思っていました。
今回宇治の練成会に参加してみると、自分自身を赦し、
愛していないことに気が付きました。
父母への感謝が私の人生の最も大きな課題とずっと努力していましたが、
やはり同居の91歳の母と愛が通じ合わない。それは何故かと考えていました。
講話の中で、自分自身と和解することが
最も大切なポイントになっているのは何故かと聴き進んで行き、
最後の祈り合いの神想観で、自分が霊的実在で無限の可能性であることを
全く認めていないと分かりました。
祈り合いの神想観では、私が霊的実在、神の子であるということを信じられたと同時に、
周りの方々も皆、神の子霊的実在であると観じられて、肉体を超えて、
自他一体を初めて観じ、皆様のお顔が輝いて見えました。
確実な安心感を覚えました。
娘の事がきっかけで、「夫の声は神の声」と、
言われた通りに参加した練成会でしたが、私の魂の生長のためになりました。
神様の創造された実在に間違いなしを観じて、子供達のこと、母のこと、
周りのすべてのことに余裕を持って観ていかれることと思います。
自ずから喜びが湧いてきます。 |