21年振りの宇治です。21年前は、赤ちゃんの頃に感染した肝炎ウィルスが産後発症し、
10カ月の息子を連れてすがる思いで参加しました。
肝炎ウィルスは私の体内で穏やかになってくれて、
毎日元気に過ごさせていただき、「また宇治の練成会に行きたいなぁ」
と思っていた矢先でした。
今年10月の肝臓の定期健診で、
半年前は無かった筈の2センチのものが写っていて、造影検査になりました。
いきなり2センチとかありえないと思いながらも、恐怖心、不安がどっと襲って来ました。
すぐに宇治の神癒祈願をお願いし、同時に、
宇治の練成会を受けようと決めて、家族に話したら「いいよ。」
と温かく受け入れてくれました。
神想観や先祖供養を自らやりたいと思い、
継続出来始めた中での出来事だったので、
このことはきっと良い事につながる、
信仰をより深めるために与えていただいたチャンスだと心を切り替えました。
地元の講師にもアドバイスをいただく中で、再検査の結果、
写っていたものは無くなっていて、医者も、「はてな?だね。」と。
本当にありがたく、こうして念願の宇治に来れたこと、心から感謝しています。
今回の練成は、私に与えられた自分の神性を
思い切り引き出すものとしようと決意しました。
毎瞬毎瞬を大切に、そして私なりの挑戦、講話は一番前で聴く、
目の前の人を大切に、実相を拝ませていただくという気持ちで過ごさせていただきました。
今、今、今、本当に今しかないんだなと、今を大切にすることから見えてきた3日間でした。
御講話や体験談を聴き、「実相そのものの私達は、そのままで素晴らしい。
在るのは実相のみ。どんな現象も、それは現れて消える前で、本当はない、
ということを言葉では分かっていても、体感したい。
真理を深めたい。もっと実相顕現したい。」
こんな風に思っていたけど、もう既に私は実相顕現していた。
そのままで光そのものであり、愛そのものであり、
実相そのものだ、と単純に思えてきました。
「迷いの本質は、人間が肉体であるという観念。それがいかんねん。」
というお話をはじめ、何人かの講師の方が言われていた言葉が、
この練成の中で一番心に残っています。
又、宇治では、永代供養で私の流産児さんと義父がお世話になっています。
今日の先祖供養祭の時、人生初の招霊祭員をさせていただきました。
ものすごく感動してしまい、涙が出そうでした。
お義父さんや子供達がとても喜んでくれている気がして、
心の底から暖かい気持ちが溢れてきました。
今回こうして宇治に導いてくださったのは御先祖様だったとふと思い、
感謝で一杯になりました。
沢山、沢山、与えていただいたことを、
今度は自分がいろんな形で与えていける日々を送っていこうと強く思います。
今を大切に、三正行と感謝の日々を送らせていただきます。 |