生長の家の教えは母が信仰していたこともあり、
小さい頃からふれる機会があったのですが、
全ての人・物・事に感謝したり、とても良い教えであることは認めつつ、
神想観を行ったりという“宗教らしい”形をとることにとても抵抗がありました。
今回は仕事を辞めてまとまった休暇がとれたので、
母の勧めで初めて練成に参加してみようという気持ちになりました。
練成で講師の講話を聴き、教えをより理解することで、
何故有難いのか、何故行ずるのか、
母が今まで言っていたことが少し腹落ちした気がしました。
練成では毎日の拝み合い等を通して明るい気持ちがふつふつと湧いてきて、
日を追うごとに気持ちに変化が出てきたのを自分でも感じることが出来ました。
帰る頃には、「何も心配することはないのだ、大丈夫なのだ」と強く思えました。
練成から帰って来た今、練成の毎日のように
「嬉しい、大丈夫だ」と思えない日も、
「それもこれも有難いのだ、最後は全て大丈夫なのだ」
と思えるようになったと思います。
練成に連れて来てくれた母や、講師の方々、
一緒に参加した方々に感謝したいと思います。
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