2085講話拝聴後の命日供養祭で、父に本当の感謝が出来た!

講話体験感想文

 11月7日は父の命日であり、ご講話もあるので宇治に行こうと決めました。
決めてからは、何だか心ウキウキと楽しみに日々を過ごしておりました。
いざ宇治に着くと、嬉しくて、魂が喜んでいると思いました。

 榎本講師の優しくも凛とした口調でのご講話は、
真理がすーっと入ってきました。
清水講師の全身からは光が放たれているようでした。
「信仰とは、人生は幸せなところなのだという事を知ることだ」
と教えていただきました。

 嬉しくて有難くて、“今、ここにいる自分が幸せだなぁ”と思い、
宇治との御縁をくれた息子に感謝せずにはいられないと思いました。
そんな思いで祥月命日供養祭で『聖経』を誦げさせていただいておりますと、
父に「ありがとうね」と言われているような気がしてきて、
嬉しくて涙が出てきました。
生前の父は厳格で恐く、又、照れ屋で、
優しい言葉など素直に言えない人でしたので、
生前の父に「ありがとうね」などと言われたことはありませんでした。

 ただ、私も人の親になり年を重ね、父を思う時、
底にある大きな愛情を感じるようになっていました。
「お父さん、こちらこそありがとうございます」と、
感謝の思いで祥月命日のご供養ができたのではないかと思っています。
やっぱり宇治は素晴らしい!ありがとうございました。

 又、食堂でいただいたパンを持って帰り、家族で食べました。
美味しかったです。
帰りの電車の中でもパンのいいにおいがほのかにして、 幸せな気持ちでした。


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