2092酒乱の父を赦せなかった過去から解放され、極楽の生活に

礼状

 昨年2月の一般練成会では講師の方々をはじめ全職員の皆様方、
研修生の皆様方、お一人お一人に深いご愛念を頂きました。
想いを深くして幾重にも感謝申し上げます。
ありがとうございます。

 練成会が終了して宇治駅に立った時は、初めて地球に来たような気分で、
どちらに進めば良いのか?切符はどのようにして買うのか?
頭の中は混乱していました。

その時から1週間余り経過しているのに、まだ練成会の続きのような、
日々、散華され続けた道を歩んでいるような気分で過ごしております。
この1週間でたくさんのことが連日ありました。

 お姑さんは他界していますが、
夫は「おふくろは3歳で亡くなった自分の弟のことを可哀そうに想い、
いつも気にしていた」と何回か口にしていましたので、
お姑さんの弟を想う気持ちと弟さんのご供養のため、
往復6時間をかけてお姑さんの実家のお墓参りに行きました。
お姑さんとは生前同居はしていませんでしたが、
非常に身近に感じることができました。 

帰路に向かった時、お寺の本堂の上に大きな虹がはっきりと美しくかかりました。
これはご先祖様が喜んでくださっているのだ、と感激しました。

また、次の日には実父のお墓参りに行きました。
私は酒乱の父に感謝できず憎み続けていました。
父を愛したかったのですが、私には酒乱の父は愛せませんでした。
私は父の愛を求め彷徨いましたが、父からの愛は感じられませんでした。
父の愛を求め求めて、憎悪して乳がんになりました。

その後、生長の家にふれて真理を学び、 父を赦すことができたと思っていました。
しかし、まだ時折心の底で何か気持ちがくすぶっているように感じることがありました。

父のお墓参りで気付いたことは、
父が13歳の時に母親を亡くしているということです。
父は生みの親である母親を亡くしてどんなに悲しく辛かったかと思いました。
あの酒乱は、その悲しみだったと思いました。

私の長男と次男が不登校、引きこもりになったのは13歳の時です。
もしかしたら、父が13歳の時体験した母を失った悲しみ、
苦しみを孫である私の子供が感応し、また、私自身が父の愛を求め、
求め得られない不安定な気持ちで子育てをしたので息子達は不登校、
引きこもりになったのではないかと思いました。

また、個人指導の時、「キリスト教では…」というお言葉を2回お聞きしました。
これまでの個人指導で、キリスト教を例に出された講師は初めてでしたので、
印象深かったです。何か分かりませんが、
過去生でキリスト教について講師からご指導を受けたことがあるような気がしました。

練成を一緒に受けていた方から「貴女はキリスト教ですか?」と聞かれました。
私は幼稚園はキリスト教でしたが、その後は全く関りがありませんでした。
それで思い出したのですが幼稚園の歌の歌詞の中で、
はっきりとは覚えていないのですが
「私ますます悪くなります。なおしてくださいマリア様」
のような言葉がありました。
その時思ったのは、「私は悪い子なのだろうか?」ということです。
歌うたびに疑問でした。
私はこうして罪の子を植え付けられていたのかも知れません。

しかし、今生では講師に神の子を教えていただきました。
なにか過去生から繋がっているような気がしています。

私は現在、将来保育士や幼稚園教諭になる学生に授業をしています。
幼児教育がいかに大切であるかが解りました。
学生が神の子の実相を顕現することで、
将来保育士や幼稚園教論になった時に担当する子供達に神の子が伝わり、
その子供達が日本の国を造っていけば、
日本国の実相が顕現すると思います。
私の仕事が一隅を照らすことになれば嬉しく思います。

練成会は天国のような所でした。以前お聴きしたご講話で、
六道は死んでから行く所ではなく、
此の世でもその人の心境により六道を行ったり来たりしている、
ということを思い出しました。

確かに、長男が引きこもって憑依したかの様子を見せ、
私の育て方が悪いと喚き散らしていた頃は、
私が悪かったのだとまるで照魔鏡を見せられているようでした。
此の世にいながら閻魔様に裁かれているような日々でした。

しかし今回の練成会では、安心して現象の自分を素直に表現でき、
何もかも赦されて愛に包まれていました。
このように六道を行き来することなく、今は極楽ばかりです。
これからもずっと極楽に住み続けます。

感想文で決意したことは、無理なく自然の内に実践できています。
感想文を返却していただきましたので読み返すことができ、
今後もあの時の気持ちに立ち還る手掛かりになります。

今回練成を受けられたことは、霊界からの御加護や家庭の協力があったからです。
これ以上の幸せはありません。

今、このように文章を書いていると私は何のために練成に行ったのだろうかと思いました。
そうでした。病気で練成に行ったのでした。病気のことは全く忘れていました。

今後は喜んで私の与えられた使命に邁進していきます。 


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