講話が再開され、嬉しく喜んで参加しました。
清水講師の「周りの人は自分そのもの。すべては自分から発している」とのお話。
丁度最近実感することがありました。
私は言葉がきつい主人に対して、
いつも“どうしてあんな言い方をするのだろう”と思っていました。
でもある事をきっかけに“やっぱり主人はすごいな”と思うようになり、
そうなると主人の立場に立って、考えられるようになりました。
“私が主人を裁いていたのだなあ”と気がつきました。
主人のきつい言葉は私から発していたのです。
私が心を変えると主人の言葉も最近は優しくなってきました。
宇治へ向かう電車の中で、『生命の實相』第18巻を読んでいたのですが、
丁度私と同じようにご主人のきつい言葉に悩んでいたけれども、
心を変えたら優しくなったという奥様のお話があり、
講話とも相まって“本当にそうだった”と実感しました。
祈りについての講話を聴いて、
今までの私の祈りは懇願の祈りになりがちだったと思いました。
3人の講師のお話を通じて、祈るときは問題に対する不安などは捨て去り、
完全なる実相・実在を祈る、既に解決済み、すでにわが願い成就せりと信じて、
感謝することが大事であると教えていただきました。
祈るときは正しい祈りをすること、何度も聞いていましたが、
なかなかできていませんでしたが、
これからはできるような気がしています。
講師先導の「祈り合いの神想観」も素晴らしく、
神のみ心とわたしの心とのパイプの錆 が取れたように思いました。
来てよかったです。 |