娘のことが心配で、どうしても自分の我の想いが出てしまい、
勧められて宇治に来ました。
榎本講師の講話の中で、
「相手の悪いところを認めて教えを伝えようとしても伝わらない。
反発されるだけである」とありました。
“自分は親に愛されていない”という心が娘にあるのかもしれない、
と気づきました。
私のすべきことは、心配することではなく、
裁くことではなく、娘の完全円満を祈ること。
存在そのものを(いてくれるだけを)喜ぶこと、感謝すること。
一体の生命で離れていないのだから、「辛かったねー」と、
どんなことも同じ心になって一緒に受けてあげるようになろう!
と思いました。
宇治の緑多き自然も素晴らしかったです。
お勧めの幽斎殿での朝の神想観もやらせていただけました。
昼食も美味しくてビックリしました。
生長の家を教えてくれた妹とも是非一緒に来たいです。
有難うございました。 |