今日は「一日講話」の浄心行の日であった。
浄心行は、今までも教区で何度かやっているが、
行の中での感情的高まりが家に帰って持続することもなかったので、
それに陥らないように警戒して参加していた。
今日は研修生としてお役を担わせていただいて
全体のことを気にしながらであったので、
以前の時よりクールな自分を保てていた。
自分の浄心文に火をつけて少し炎が大きくなった瞬間、
頭の左方から「明るくなれや」という声が聴こえて、
“エッ?”と思った。他の方の分を焼納しながら妙に納得して、
しかも的を得た解答だと胸がスッキリした。
考えてみれば、私があれこれ思っているすべてのことは、
神の子を自覚して明るい気持ちで相手や事に当たれば、
こんなに長期にわたってグダグダしなくてもよいことばかりであったのだ。
私は家族以外の人から見ればハキハキしており、
人当たりもよく元気で明るい人間ということになるかと思うが、
家族にはそう思われていない。
独り言が多く、1日中落ち着かず、自分の都合で悪口も言う。
夫の言うことは素直に受け取らないから目を合わせない。
確かにここ2、3年は親の介護もあって忙しかったこともあり、
何かにつけて感情的になって
思った通りにできないと
癇癪を起こしてしまっていた。
本当にわがままになって、皆が私に感謝していないと言っては怒り、
夫も腫れ物に触るように私に接し私と間を置くようになり、
部屋にこもるなどするようになっていた。
これらは夫からの「妻として、母として」
の私へのダメ出しであるとわかる。
わかっていてもいつも不完全燃焼、
不消化な気持ちがあってどうしてよいかわからなかった。
妻、母、祖母、娘、長女、職業人、趣味、生長の家の活動、
いろいろのことをやり遂げたい気持ちも付いてまわる。
それでも私なりに時間にパズルをはめ込む作業をするようにして
それぞれをやって来たのだけれど…。
「明るくなれや」の声は、
前日ユーチューブで藤原敏之講師と榎本恵吾講師の
お話を聴いていた時の声に似ていた気がする。
ずっと「本当に明るい自分になる」ことに、憧れていたこと…
私の落差の大きい性格に40年間夫はよく対応してくれたと思う。
夫はさぞ疲れたであろう。本当に感謝。
田野講師の奥様のおめでたの話しを伺っていたら思い出した。
夫が長女から四女まで生まれるたびに嬉しそうに待っていてくれ、
4人とも風呂に入れることは喜んでしてくれていたことなどを。
家に帰ったら、宇治で頂いたおいしいノーミートのお料理を
真似して作ってみようという気持ちになってきている。
あと数日でひと月の研修生活を終えて、自宅に帰る。
今日も今までで1番ステキな日になった。 |