2237,研修生講話体験感想文

研修生講話体験感想文

本日も「一日講話」に参加させていただきました。
朝は大拝殿での早朝行事に参加し、
とても清々しい気持ちのまま講話を聴かせていただき嬉しく感じました。

神様の愛を素直に受け入れ、
自分を空っぽにして悦んで生きること、感謝して生きること。
自分の力なんて要らない、神様に全てを托し、
御意(みこころ)のままに生きること。
聴いているうちに不安も消えて、悦び一杯になりました。

今までは何をやっても最初のうちはスムーズに事が運んでいても、
時が経てば期待に沿えないのか、
まるで手のひらを返されたような感じになって、
周りの評価ばかり気にして、
萎縮して伸び伸びと生きられなくなってしまいました。

生長の家に触れてからも、最初はよくても…
というパターンから抜け出せず、この1年は特にお酒もやめられず、
外にも出られず、仕事もろくにできず、生長の家を生きるどころか、
生きることすら放棄してしまいそうな日々でした。

それでも神様は、私のことを見捨てることなく
唯々愛してくださっていたことに改めて気づかせていただきました。
見栄も体裁も気にすることさえ出来なくなって、
何もかも投げ出すつもりになって家を飛び出し車で旅をしていた時に、
出会った人や出来事のお陰で生きることへの希望がまた芽生えてきました。
神様は様々な形で愛を与え、導いてくださいました。

その旅の途中で宇治の「一日講話」に2日間参加することが出来て、
改めて神の愛に気づくことが出来て、
悦びをもって帰ることが出来ました。

しかし一人になると、
また不安な気持ちに押しつぶされそうになりましたが、
“宇治で研修を受けたい!”という気持ちで、
何とか踏ん張って準備を進めていると、
スムーズに事が運ばれて無事に研修生活のスタートを切ることが出来ました。

現象的には、解決されていない事象ばかりですが、
神に生かされている悦びに感謝いっぱいになり何の不安もなくなりました。
何の心配もなくなりました。
“神に愛されている神の子なのだ!”そう信じることが出来ました。
有難うございます。


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