2247,研修生講話体験感想文

研修生講話体験感想文

今日は「悦びの先祖・流産児供養」をテーマに講話がありました。

生長の家のみ教えに触れるまでは、
時々は仏壇に手を合わせる、法事に参列するくらいで、
悦びは全く伴わず、辛く、
悲しい思いしかしかありませんでした。
祖父をはじめ、母、祖母を看取ることなく、
亡くなって行ったので、余計にこの思いが強かったのです。

ただ供養に対して変化が起きたのは、
2回目の結婚で妻の実家に挨拶に行った時です。
相手の母親と自分の母の名前が同じだったこと、
そして「あなたのお母さんが私にバトンを渡してくれたのよ」
と言われたことでした。
信仰などはしていなかったのですが、その言葉はスッと胸に入り、
母や祖父母との別れを受け入れられるような気持になりました。

結婚後、義母より『生命の實相』を頂き、
読み続けていくうちに、
死というもの(肉体の)を受け入れることが出来、
霊牌供養、聖経読誦などの供養をするようになりました。

ただ表面的な思いだったり、
何かを求めての供養をしていたことを思い出し、
今思えば申し訳ない思いでいっぱいです。
それでもおぼろげながらも護られ、
導かれているような気はしていました。

家族や親族縁族の中で只一人、
「生長の家」のみ教えに触れられた自分のこと、
そして今ここ宇治別格本山で人間神の子の真理を
学ぶことが出来ていることは、本当に有難いことです。

お陰様で、自分も神の子なら父母も祖父母も、
代々のご先祖様も皆神の子なのだと気づくことが出来て、
今まで辛く悲しい思いしかなかった「死」は、
舞台を変えるだけで、生命そのものは生き通しなのだと、
母や祖父母、親戚の人たちも、目には見えないけれど、
今も傍にいて護ってくださったり、
霊界の使命に邁進してくださっていると思うと、本当に嬉しくて、
研修行事の毎日の先祖供養も喜んで出来るようになりました。

今自分は一族の代表として宝蔵神社で先祖供養をさせていただき、
人間神の子の真理を学ぶことが出来ているのは、
ご先祖様が導いてくださったからだと強く感じています。

これからは霊牌供養や霊宮聖使命会でのご供養をさせていただきながら、
私の知りうる限りの家族親族縁族の人達の
永代祭祀をさせていただきたいと考えています。

これからも神の子のご先祖・流産児の供養を続けて参ります。
有難うございます。


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