2250,講話体験感想文

5月講話体験感想文

「一日講話」に参加する度に、薄皮が1枚1枚はがれていくように
迷いから解放されている私を発見します。

以前から、台所に立つと時々物忘れがあり悩んでいました。
そんな時、友人から「物忘れ外来」というのを紹介され、
病院に予約しました。

でも「一日講話」に参加すると、
その時は「病なし、肉体なし、罪なし」と教えていただいて、
“そうだ!そうなんだ!”と納得しては、予約をキャンセル。

このようなことが何回か続いては講話に参加、
身に色々のことが降りかかってきては、
教えはどこへやら…その都度、動揺が走ります。

今までにいくつもの体験をし、
この世界で起こってくることは悪くなることは一つもなく、
常に神に護られていることを実感して神に感謝する私でしたが、
今回講話の中で「信じているつもりで、そこに鈍(にぶ)さが現れてくる」
と言われたとき、“正しくわたしのことだった!”と気づきました。
講話の意味が同じでも、講師の言葉の表現が違っていて、
大きな気づきになります。

今このことが私にはとても新鮮で、
大発見した私に自分で自分を讃嘆でき、心が沸き立ちます。

コロナ感染真っ最中でも「一日講話」
を続けてくださったことに心から感謝申し上げます。
このご愛念に応えたく、これからも参加して、
明るく楽しく輝いている自分を持ち続けたく決意しました。


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