講話を聴かせていただき、私は神の子であり、
神の恵みそのものである。喜びそのものなのである。
自分にとって問題と思っているものはほんの一部であり、
他のことは与えられていることばかり。
こうでなければ、こうあるべきだと枠を作って、
自分で問題を作って引っかかっているだけなのである。
現象はないのであるから捉われず、
すべての人は完全円満な神の子であり、
神に生かされている生命である。
喜んで受け取ってよいのだと思わせていただくことが出来ました。
最後の「神を讃える神想観」の実修では、
神に生かされ、神様から頂いた生命がとうとうと流れ入り、
また沸き上がり「神様と一緒なんだ、知恵も愛も生命もすべて与えられている」
と念じていると嬉しくて喜びが湧いてきました。
今日は息子と一緒に参加しました。
以前宇治で研修生をさせていただき、
宇治では大変お世話になった息子でした。
息子は宇治が大好きなのに、本当は行きたいのに
「あんなにお世話になった宇治に自分は何もしていない。
自信もなく、恥ずかしくて行けない」
などの想いで来ることが出来ませんでした。
しかし、今日は素直になってくれて、来ることが出来て、
本人の魂がどんなに喜んでいるかと思うと嬉しいです。
有難うございました。 |