2386,練成体験感想文

8月短期

小学6年生の次男と参加させていただきました。
中学生に上がる前に練成会を受けてもらいたい
と思っての参加でした。
自分自身はそこまで大きな問題はないとの認識で
気楽に参加していたのですが、
浄心行で意外な変化がありました。

私は幼い頃、家族との関係で
「自分はペットだ」 と思っていました。
4人兄弟の末っ子でしたが、仲間外れは当り前で、
気が向いた時だけ構ってくる家族を邪険にすると怒られ、
疲れた顔をしていると周りが不機嫌になるので、
笑っていなければいけないと感じていました。

学校ではいじめられ、
そのうち自分の事をゴミクズだと思うようになりました。
「ゴミクズだからいじめられて当り前、
人間のふりをしている私が悪い、
存在しているだけで迷惑なのに
学校に来させてもらっているだけありがたいと思わないと」
という思考でした。

母が生長の家を信仰しているので私も触れてはいましたが、
人間は神の子だと言われても
「他の人は神の子でも、私は違う」
と思ったりしていました。

浄心行で「お父さんありがとうございます」
と唱えていると、父が不器用にも一所懸命
私を可愛がろうとしていたことを思い出しました。
当時はそれが気持ち悪くて嫌でしたが、
私が子どもたちを可愛く思っているのと
同じだと気づきました。

その時、父は決して私のことを
ペットだと思っていたのではなく、
人間の子として可愛がろうとしていた、
ただ不器用なだけだったんだとわかりました。
ペットでもゴミクズでもなく人間でした。
人間だから“私も神の子だったのだ”
とじんわり胸に広がりました。

それから父の最期を思い出しました。
末期がんで手の施しようがない中、
最後に親孝行でもするかと思って 私が作った寝間着を
嬉しそうに着てくれていました。

これまで私が親孝行をしたと思っていましたが、
がんで亡くなる直前のそれどころではない
苦しみのなかにいた父が喜んでくれていたのは、
私の“親孝行をしたい”という気持ちを
叶えてくれたのだと気づきました。

嫌なことばかりしてくる父だと思っていましたが、
心の底から“ありがとう”と思うことができました。
この気持ちを忘れず、自分が神の子だった
ということも忘れずにこれからを生きていきたいと思います。


   

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 


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