私は信仰8年目でありますが、
はじめて生長の家と出会って
大変感動してから一所懸命信仰してきましたが、
義母がガンで亡くなるのをきっかけに、
“信仰とは何なのか?”と考えてしまい、
今までおかげ信仰であったことに深く気づきました。
それでわからないところを学びたいと思い、
宇治の週末講話や練成会に毎月通うようになりました。
宇治では実相・神の子の本当の意味がわかりやすい
講話ばかりで感動しています。
意味を誤解していた部分も多く、
信仰を見失っていたところを回復することができました。
どうしても成果主義になりやすい現代ですが、
ありのままで既に良かったんだ、
素晴らしかったんだということがわかり、
どうしても能力が低い自分に
自己肯定感を持つことができなかったのですが、
勇気づけられました。
日常に戻ると自己肯定感が低くなりやすいので、
これからも信仰を続けることによって
自分の中の神の子の生命を引き出していけたらと思います。
今日は心の底からすっきりすることが出来まして
ありがとうございました。
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