今回、練成会に参加した動機は
母に勧められたからという他には特にありません。
久々に行ってみてもいいかなというくらいでした。
そのため、朝、体験発表があると聞いた時は焦りました。
浄心行で奇跡でも起こってくれというような気持ちでした。
自分の両親はここ宇治で出会い、
覚えていませんが自分も3歳までは宇治で暮らしていました。
うちはバリバリの生長の家一家でした。
胎児の時から宇治練成会での講話を聴かされていたほどです。
しかし、皆さんが想像するような感じではなく両親は喧嘩ばかりで、
幼い時は妹と違う部屋に逃げていたのを覚えています。
また、そのせいか父にも母にもきつく叱られ、
怖かったのを覚えています。
小学校に入ると上級生からいじめられました。
多分生意気だったからでしょうが、
私がこんなボロ家に住んでいて余所から来たからだ
と思うようになりました。
今思うと母は妹や弟を妊娠していて大変だったのだと思います。
おまけにお金もないので欲しい物とかも全く買ってもらえず、
なんでこんな家に生まれてしまったんかと思っていました。
しかし生長の家では“父母に感謝できぬ者は神の心にかなわぬ”
と言われます。
だから自分は一生幸せにはなれないんだと思っていました。
中学校を卒業し、親に負担をかけないために
陸自の学校に入りました。
それからは年に2回くらいしか親に会わないようになりました。
しかし会わない間も両親のことは大嫌いでした。
でもこのままではダメだと思っていました。
昨年、父が病気で寝込みました。
正直「ざまぁみろ」くらいの気持ちでした。
あれだけ病気は無いとか言っていたのにな、
という気持ちでした。
すぐ治ると思っていたのでお見舞いも行きませんでした。
今年の10月ごろ母から電話があり、
父が検査を受けたらガンで入院することになったと聞きました。
冬の休暇まではもつだろうと思っていました。
しかしあと1週間で帰るという時、
母から「亡くなった」と電話がありました。
その日は仕事中で、午後から大切な行事がある日でした。
亡くなったと聞いた時、正直そんなに悲しいとかの感情は無く
“タイミング悪!!”とだけ思いました。
親が死んでも涙も出ない自分がとても嫌でした。
お葬式の時なら泣くかもと思いましたがダメでした。
なんちゅう冷たい人間に育ってしまったのかと思いましたし、
父が亡くなっても感謝の気持ちなど湧いてきませんでした。
2二週間後が今日です。
話が大きく変わりますが今日は驚く体験を3つしました。
まず1つ目、幽斎殿での神想観中のこと、
足が痛いなと思いながらこっそりサボっていると、
「龍宮城に入る」と聞こえました。
何かちゃんとせなあかんような気がして合掌すると、
フワッとですが水に飛び込んだ時のような感じがしました。
その時は、特に気にしませんでした。
2つ目は今日の大拝殿の献労をしていた時です。
ふと“求めてばかりだったな、自分は”と思いました。
その後すごく集中できて、
終わった後に
気持ちが良いと思えたのです。
昨日は、はよ風呂入りたいくらいしか思わなかったのにです。
自分の為じゃないことで
そんな気持ちになったのは初めての体験でした。
3つめは鵜飼講師の講話の時です。
「愛されているからここにいるんや!!」そう言われた瞬間、
涙が溢れて止まらなくなりました。
20歳をすぎた大人の男が急に泣くなんて恥ずかしいとは思いましたが、
初めて親に感謝と申し訳ないような気持ちになりました。
物心ついた時から生長の家に触れ、
練成会も何度か来ていたのに、
初めての体験が沢山ありました。
今後は母と兄弟を大切にし、
関わる人たちに愛を与えられる生き方をしていきます。
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