肺腺がんになり余命を告げられましたが、
今なら宇治の練成会に行けると思い、
もう一度過去に味わった感動を味わいたい
と思って参加を決めました。
ここに来る前には横になる時間が多く、
行事も多分部屋で横になって聴くことになるだろう
と思っていたが、2日目朝の実相円満誦行では正しく正座して、
最後まで声を出せてびっくりしました。
それからの先祖供養祭・浄心行も
しっかりと聖経をあげられました。
息が苦しく少し歩くのも息が上がり、
家では最低限の家事をゆっくりしている状態でしたが、
元々の明るく活動的な自分に戻ってきたような気分です。
同じ地区から同行してくださった誌友様お2人には、
もったいない程のお気遣いをしていただき、
喜びと感謝の感動を味わわせていただいております。
どの講話も体験を通して父母への感謝の想いが伝わり、
感動ばかりでした。
「実相の自分は病んでいない」。
頭では理解し、自己讃嘆を続けていましたが、
どこかにまだ自己処罰の心が残っているのではと気づきました。
どんな悪しき事が起こっても影、ウソ、本物ではない。
神は全ての全て、そして善一元なのだから、
もう一度新生した今、
神様のお役に立たせていただきたいと強く思います。 |