9月から研修生をしております。
今回講話の中で現象世界は物質の世界であり、
実態がなく、
因果関係によって成り立っている世界だとの話があって、
以前、田野講師が研修生の輪読会の時間に
おっしゃった言葉がとても印象的で、
私はその内容をメモしていました。
「この世界は因果の法則が働く世界だ
と言われていますが、
まず私たちが思い出さなければならないのは、
私たちがみな神から生まれたという因果なのです。
私たちはそこから出発したのです」
この言葉を聞いて、私は大きな衝撃を受けました。
私はこれまで因果というものにとても執着していました。
どんな現象を見ても、すぐに因果を考え
「私がこんなに苦しい状況にあるのは、
過去に何か悪いことをしたからに違いない」
「あの人があのような状態にあるのは、
あの人の因果が働いてのことだろう」といった具合に。
しかし、「第一の因果」とは、
神から生まれた出発点であり、
神の子としての結果が現れるというのです。
数日前、ある研修生の方がふと岡田浩二講師に
「現象はなぜあるのですか」と質問され、
「魂が成長するために」と答えられました。
たった一往復のとてもシンプルな会話でしたが、
その中にとても深い真理が込められていると感じて、
とても驚いた記憶があります。
これらを総合して考えると、
私たちはみんな円満完全なる神から出発し、
円満完全なる神の子としての結果しか
生み出すことのできない存在であり、
この世界において「現象」という手段を通して
成長の途上にある存在ということなのです。
私はこれまで母国語ではない言語を学びながら、
よくこう感じてきました。「言語を学ぶということは
まるで大海から一滴ずつ飲んで、やがてその全部を
お腹の中に飲み込まなければならないようなものだ」と。
いつの日かその過程を経て
到達できる日が来るのだろうか、
そう思いながら学んでいるうちに
正直疲れてしまうことも多くありました。
ところが神想観をするときに「知恵の海、愛の海…」
というように祈りの言葉を唱えていると、
ふとこんな思いが湧きました。
「あぁもう私の中にその海があるのだ!」と。
すでに自分の中に、学びたい言語の海がある上で、
成長という過程としての現象があることは
もしかすると苦しみではなく、
神が与えてくださった贈り物なのかもしれません。
その道を苦しみながら歩むのではなく、
神と共に楽しく歩んでみたらどうだろうか
という気持ちになりました。
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