867,霊界の父に導かれて宇治の練成会に参加出来たのだと知る!

11月一般練成会 発表日:H25.1120

○病気で参加。父が霊界から導いてくれたと感謝できた。

私はこの練成会に参加させて頂いた動機は、緑内障を患ったことでした。
複数の医師に診て貰いましたが、どの医師も皆同じ診断でした。

その数年前に椎間板ヘルニアになり、立て続けに病気ばかりしていたので、
どうしてこんなことになるのかと、何をしても病気の事が気にかかり、
自分の信仰が間違っていたのかと、色々悩みました。
そこで思い切って仕事を辞め、宇治に来させて頂きました。

  色々と不安もあったのですが、練成会に参加させて頂くうちに
色々と気付かせて頂いたこともありました。

まず一つ目の体験は、病気になった事は自分の中では最大の失敗だと思っていました。
ですが、病気になった事より、健康の時には分からなかった、
当たり前の有り難さを知ることが出来ました。
そして、病気で辛い立場にいる人の気持ちを理解することが出来ました。
自分より色々と辛い立場にいる人の幸福を祈ろうと思った時、
掴んでいた病気の恐怖心をとることが出来ました。

二つ目は、自分はここへ来るまで、皆それぞれ悩みを抱えているけれど、
体は別々なので一体感が希薄といいますか、心の底から感じることはなかったのですが、
練成の日程が進むうちに実に不思議というか、皆、悩みは別々で、体も別々だけれど、
それでも一所懸命に頑張っていると、まるで家族のような
参加者の皆を抱きしめてあげたいような一体感を感じました。
そして皆の悩みをとってあげたいような気持ちが日に日に強くなりました。

体は別々のように見えても、心は一つというか、魂では皆一つなんだなぁと思えてきました。

三つ目は、私は父を9歳の時に亡くしていました。
母はとても愛深い人なので、いつも側で見ているせいか、
「親というのはこんなに献身的に愛を捧げる事が出来るんだなぁ」
と感動することは山ほどあるのですが、
父は「あまり怒らなかった人」 という思い出だけで、感謝の念が希薄で、
思い出す事も少なかったと思います。

栄える会の神谷先生のお話で、
「親をなくしていても感謝の気持ちは肉体を超越する」と書かれていたものを思い出して、
「そんな事ってあるかなぁ」と、あまりピンときませんでした。

でも、畳拭きの感謝行で、父はいつも霊界から私達を導いてくれていたのに、
感謝どころか、日頃から思い出すことさえしなかった自分を申し訳なく思い、
涙があとからあとから流れてきました。


私が父と御先祖様にお聖経を誦げるようになったのは、
人間関係で行き詰まったからなのですが、
不思議とお聖経を誦げ終ると心がポカポカと温かくなるのを感じていました。

「肉体を超越する」 というのは、もしかしたら、こういうことなのかなと思いました。
そして、こうも思いました。
私は色々と病気をし、迷って仕事を辞めて宇治に来たのですが、
本当はそうではなく、父が霊界から導いてくれて、宇治へ来ることが出来たのではと思いました。
そして、ちょうど良い時期に仕事を辞めることが出来、練成へ参加することが出来たのだと思いました。

今回、このような事を気付かせていただけた練成会へ参加出来て本当に良かったと思います。
生長の家の真理を知らないのはもったいないと思ったので、 光明化運動をもっと頑張りたいと思いました。
ありがとうございます。