○祈願が叶ったお礼に参加。父母への感謝の大切さが分かった。
8月の盂蘭盆供養大祭で奉仕をさせて頂いた時に、
末一稲荷神社に、二つの祈願を申込み、帰宅後、10日も経たない日、
二つの願いがまさに同じ日に叶いました。
驚きと感謝とで、9月にはお礼のお参りに来させて頂き、
感謝の聖経『甘露の法雨』を誦げさせて頂きましたが、
今回はお礼を込めての練成参加でした。
宇治の練成を重ねて受けているうちに、自然に私の運命、環境は整い、調和して来ました。
神様が限りない智恵、愛、生命、豊かさ、喜び、調和の源であって、
そこからしか本物の喜び、満足は得られないこと。
ゆったりと安心して喜んでいることが、神様を信じて全托しているということで、
全てを知り給い、私以上に私を知り給う神様は、神の子の私を、
私が願っている以上に幸せに導いて下さると思えるようになりました。
移り変わる現象の奥の本物の喜びを喜んで、
実相の喜びと満足の世界を見つめていればいい。
その時々に目の前に現れた一つ一つを神様から与えていただいた事として、
感謝して取り組ませていただきます。
今日、楠本先生がスターデーリーのことをお話下さいました。
その中で 「自分の目の前に現れた人は神から与えられた愛の対象であり、
その人を愛することで自分が救われる」 とのライファーの言葉を引用されました。
全ての人に 「生まれて最初に神様から与えられる愛の対象は父母である」ということ。
「父母を愛する(感謝する)ことで、その人は救われる」「父母を愛するということは、
父母が自分をどれだけ愛して下さっているかを分かること」
「拝み切った時、環境は変わり、次の環境が与えられる」
「兄弟姉妹も自分の周囲の全ての方が神様から与えられた大切な私の愛すべき方々なのだ」
とのお話に、新たな感動を覚えました。
私がこの世に生まれて、最初に神様から頂いた最も大切な人が父母
生涯かけてその父母を愛しなさい」というのが神様の御心ならば、
自分ははたして父母を今日までそれだけ大切に思ってきただろうか?
これからは自分の都合による感謝ではなく、両親を神様から与えていただけた人として、
新たな気持ちで孝行させて頂きます。
本当に宇治の練成は素晴らしいです。
また来させて頂きます。先生方、皆様、ありがとうございます。
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