918,「祈り合いの神想観」で得た感動的な神の子の自覚! 

2月一般練成会 発表日:H26.2.20

○神の子の自覚をすることが出来た。

 以前、原因不明の病気で悩んでいた時、地元の十倉文聡子先生の強い勧めで
宇治の練成を受けさせて頂きました。
その時、本山へ着く前の京阪宇治駅で「生長の家宇治別格本山」の看板を見た瞬間に、
フラフラだった身体が一瞬の内に軽くなり、39度の高熱も下がり、
病気が癒えた有り難い体験を頂きました。

 今回は自分が今まで勉強させて頂いた事も、通って来た道も
何もかもゼロにして受けさせて頂きました。

 ちょうど宇治で長年職員をしておられた足立さんに一日目にお会いしました。
私は特に何も言っていないのに、
「私は神の子、神の子と言い聞かせながら練成を受けたらいいよ」と言って下さいました。
私にはその言葉が「神の声」に聞こえ、この10日間の行く道がハッキリと見えました。
今まで何度も何度も聴かせて頂いていた講話は、私の心の奥深く染みとおりました。

 阿部先生の「祈り合いの神想観」の時、ご自身が講話中に倒れられ、
多くの方から実相円満誦行を受けられた体験をお聴きし、
私も本当に何もかもを手放して無になり、受けさせて頂こうと思い、
珍しく祈られる側に座らせて頂きました。

 そして瞑目合掌し、何も求めない、右手を放ち、左手も放ち、
これまでの自分も今の自分も本当に何もかも全てを神様にお返しするつもりで
祈って下さる方々の前に心素直に座らせて頂ました。

 すると〝今まで私は一所懸命に生きてきたんだ″という想いが湧いて参りました。
家族の事も生長の家での活動も本当に命を燃やし、一所懸命に生きてきた、
でもその想いも 「手放して良い」 と優しい優しい声が聞こえたように思いました。

〝神様の前では全て放ち去って良い″と初めて思いました。
すると目の前で祈って下さっている方々の祈りが温かい温かい神の愛に感じられました。
これまで私が味わったことのない想いでした。
その時私は、生まれて初めて両手を広げて愛を受けたように思いました。
それまでの私は人に与えることはいくらでも出来たのですが、
「受ける」ということが出来ていなかったことに気付きました。

 いつも心の中には 「私はいいのよ」 という思いがありました。
本当は両親からも沢山の愛を注がれ、先祖からも家族からも周囲の人々からも
そして神様からも無限の愛を無条件で注がれていたけれど、
私が受ける事が下手だったのだと思いました。

 その時、心の奥底から 「私は神の子だ!嬉しい」 という想いが湧き上がってきました。
理論では 「人間神の子」 と分かっていました。
でも今回初めて自分が神の子である事を大きな喜びとして感じることが出来ました。

 私は本当に嬉しくて、嬉しくて、喜びが全身を包み、涙が流れました。
この喜びは文章では表現しきれません。

それからの講話は、全ての内容が私の神の子の生命を語って下さっているように思いました。

私は初めて「人間は神の子である」という尊い教えに触れた思いです。

 聖経 『甘露の法雨』 を誦げますと、私の神の子の生命を言って下さっていることが分かりました。
先祖供養の際も、霊牌を書く時から私の心は違っていました。
「私は神の子だ」という大きな喜びで、ご先祖様の名前を書いておりました。

 これまでどれほど霊牌を書かせて頂いたか分かりませんが、
いつも何か一枚ベールがかかったようで、「これで良いのか、良いのか」と
自問しておりました。
「感謝は伝わっているのだろうか」 「霊界で幸せに活躍されているのだろうか」と。

  しかし、この度は神の子である喜びの内に霊牌を書かせて頂くことが出来、
ご先祖様も一人残らず私と同じ神の子であることがハッキリと分かりました。
その時、かかっていたベールがスッと取れ、私の生命とご先祖様の生命が
一つとなって聖経『甘露の法雨』を聞かせて頂いていることを感じました。

  私はこんなに先祖供養を嬉しく思ったことはありませんでした。
心からありがたいと思いました。
自らが 「神の子」 として輝くこと、この事こそが一番大切だったのだと思いました。

  10日間の一般練成会に来させて頂いて、本当に良かったと思います。
この尊い御教えをお伝え下さいました宇治別格本山の先生方、
職員の皆様方に深く感謝申し上げます。
そして、これまで導いて下さいました神様、ご先祖様に篤く感謝申し上げます。


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