947,花束の贈り主の心情は私を愛する父の想いそのものだった!

4月一般練成会 発表日:H26.4.20

○青年会で活動していたが、人間関係で参加。感謝でき、伝道に参加した。 

 1年と少し前まで青年会活動に邁進していました。
仕事が終わるとすぐに活動へ向かい、深夜12時を過ぎるまで取り組むこともありました。
休みの日も全て活動活動。自分の中では充実していたつもりでした。

 ところが、ある日の誕生日、50歳近くの生長の家の人からアパートに花束が届きました。
急にゾッとして、受け取らず、送り返しました。

 次に会った時に「ああいうことはやめて下さい」と伝えたものの、
「あなたのことが気になって・・・」というメールが数回届き、もう気持ちが悪くて、
その人がいる生長の家の集まりに行けなくなりました。

 これではダメだと、車で向かうものの、到着すると怖くて涙が出て、手足が振るえ、
そのまま家に帰ってしまうのでした。

 毎回行事に参加する私が顔を出さなくなり、青年会の仲間から心配するメールなど、
沢山もらうのですが、「人の悪口は言ってはいけない、これが噂になってしまう」と思い、
結局返事もせず、私は誰の電話やメールにも無視し続けました。

 それでもなんとかせねばと、上の方何人かに相談しましたが、決まって
「お父さんに感謝が出来ていないんですねー」との返事ばかり。
私の恐怖心、不安に寄り添ってくれるコトバはなく、「お父さんに感謝しなさいばかり。

 「それしか言えないのか、なにが神の子だ、人の気持ちにも寄り添えない人が何を言うか!」
と、全て放り投げ、仕事に全精神を集中させることにしました。
しかしながら、保育士の仕事をすると、大きな行事の前などには「無限力だ!」と自分に言い聞かせ、
子供達のことは信じて伸ばそう、役に立ちたい気持ちを表現させてあげよう、愛のあるコトバと讃嘆を・・・
と、気付くと生長の家で学んだことを実践しようとする毎日になっているのでした。

 それでも、中途半端で終わらせた自分の青年会活動を責め、
「やはり父に感謝できていない自分が悪いのか」と益々自分のことが嫌いになってきました。

 「こんなことなら教えなんて知らなければ良かった。なんて不幸な運命なんだ」
と腹を立てて悲しむ毎日、苦しかったです。

 そんな時、いつも気にかけてくれる本部の先生と話しをする機会があり、
はじめは活動の事でしたが、段々花束を贈られたことから始まり、
両親の離婚、母の再婚、流産児のこと、数年前から過食、嘔吐が続いていることなど、
一気に話し始めてしまいました。

 涙を流して聴いてくれ、その後、「仕事を辞めて宇治へ行くべきだ」と勧められました。
支えだった仕事を辞めるには勇気がいりましたが、その頃はもういつ死んでしまってもいいや
というところまできていたので、思い切って仕事を辞め、とうとう宇治まで来てしまいました。

 大大大嫌いだった「神の子」というコトバを久しぶりに聞き、胸の奥がイライラしました。
笑顔で聴く受講者、楽しそうに講話する講師全てに腹が立ちました。
まったく心に響かぬまま2日が過ぎ、来た意味がなかったと後悔しました。

 しかし、2日目の朝の神想観では、「神の生命が全ての人にあるんだ、そして自分にも!」
というイメージが湧きました。その時から、足の悪い方などを可愛そうと思わなくなりました。
「みんな無限生長の過程を歩んでいるんだ」と思えたのです。そして一回目の献労で空の青さ、緑の美しさ、空気の美味しさ、土の香り、虫の姿、全てが愛おしく感じ、感動でした!


 一番の衝撃は、楠本先生の個人指導です。
「どんな生まれ方(私は出来ちゃった婚で生まれました)をしたって神の子なんだ。
あんただって堕されていた命かも知れない、産んでもらったってことは両親は愛し合っていたんだよ。
流産児さんのことはあんたが本当の子のように愛してあげなさい。過食だって必ず消える。
あんた、お父さんを拒否してただろう、だから吐いてたんだよ、お父さんに感謝出来たら治るさ。」

 有り難いコトバに生命(いのち)が喜んでいるのが分りました。
そして話すつもりではなかったのですが、「50歳の人から好意を持たれ、悩みました」と言うと、
直ぐに「ああ、それはね、お父さんがあんたをそうやって愛していた愛がその人によって現されたんだよ」
とのこと。涙がドッと溢れました。

 10年間、「実家に帰ってくるな」と父に言われ、コトバも交わさぬ時間があり、
花束が贈られてきた時期とちょうど重なっていたのです。

 「あぁ、私はお父さんに愛されていたんだー!」そう思ったら今まで目を閉じて
生活していたかと思うほど視界がパッチリ明るくなるのでした。
思わず「なんだか楽しくなってきちゃいましたー!」と、コトバを発してしまいました。

 最後に「そうやって云われたことが直ぐ分かったのは、今まで生長の家やってたからだよ」
と言ってもらい、無駄だと思っていた過去を認めてもらい、心が救われました。

 そして迎えた笑いの大会。笑っていると、急に涙が込み上げてきました。
嬉しいとか悲しいとか、そういうコトバでは現せない涙でした。
そして、段々可笑しくて仕方なくなり、おもしろくて、おもしろくて、ウキウキしてくるのです。
そこで、完全に「ああ、なんかもう大丈夫、だって神の子なんだもーん」と思えたのです。

 そこからはもう全身、指の先まで生命が喜んでいるような、スキップしたくなるような、
そんな気持ちになりました。来て良かった。心から思います。
仕事も辞めたからこそこんなにじっくり受講できたんだなと思えました。

 あっと言う間の10日間、いや~楽しかったです。一緒に受講した方々と離れるのが寂しいです。
ごはんも毎日美味しくて、おいしいな~と心から思えたのは何年ぶりでしょうか。
とりあえずこの10日間は吐いてないけど、吐いても吐かなくても神の子なんだよねと思えます。

 自分も含めて可哀そうな人なんて一人もいなかった!
心から相手の生命を拝める自分になりました。自然になれました。


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