○大学に落ち、劣等感を持っていたが、父母、その他の人に感謝でき、神の子の自覚ができた。
今回僕が練成会に参加したのは、心を入れ替えようと思ったからでした。
具体的には後ろ向きに物事を捉えてしまうこと、
一度決めた事に対して行動するにも、気力が湧いてこないという
自分の弱い部分を切替えようと思ったのです。
今年、大学に落ち、春休みに色々と考えた結果、志望を変え、
それに向けて努力していたのですが、勉強はやっているのだかやっていないのだか、
中途半端、同時に通っていた自動車学校も四月から六月にかけて
やっと仮免許が取れたというグダグダぶりでした。
このままではいけないと、頭では分っていてもどうしても身体、心が伴わず、
どうしたものかとダラダラと考えていた時、祖父から生長の家の練成会の話しを聞き、
心構えが変えられるかも知れないと思ったので参加することにしました。
練成会では様々な体験をしましたが、自分が変わったと思えたのは
感謝すること、前向きになることの二つが大きかったです。
元々人から何かされて 「ありがとう」 とは言えてはいたのですが、
正直なところ、上っ面の言葉で、心を込めてはいませんでした。
先ほど 「後ろ向きに考える」 と書きましたが、もともと僕は無駄にプライドが高いせいか、
周囲に対して特になんの意味も根拠もない見下した意識を持ってしまっていました。
しかし、結局周りとはほとんど変わらないし、時には劣等感すら持つことがありました。
それにもかかわらず、その劣等感を持つことも無駄なプライドが許さず、
より理想を高く持ち過ぎて自己嫌悪に陥り、後ろ向きの思考になってしまいました。
しかし錬成道場では行き交う人々が〝ありがとう″という声であふれることはもちろん、
「全てに感謝する」 「人類みな神の子である」 という言葉が、
自分は劣等感を持たなくても良いのだ、周りに勝つ必要はないのだ、
ちっぽけなプライドを守るよりも感謝した方が楽だし得ではないかと思え、
ずっと積もっていた負の連鎖が溶けたようでした。
周りへの感謝というと、親への感謝をしながら畳を拭く行事がありましたが、
何故か涙が出てきて止まりませんでした。 そのしばらく後の浄心行でも涙が出ました。
両親は二人とも元気で家庭も特に不自由はしていないのですが、
逆に不自由していないためか、親が自分に対してしてくれる事、
愛されている事を考えていなかった。
その為、それを自覚したと同時に涙が出たのだろうと思います。
前向きになれたということは。「感謝する、神の子と感じる」ということで、
自分が持っていたわだかまりが溶けたのもありますが、
笑うことも大きく自分を変えてくれたと思います。
面白い動画や画像などをインターネットで拾ってクスクス笑うということはしていましたが、
大声を出すので笑い声を聞かれることがなんとなく嫌で、いつも声を押し殺して笑っており、
大声で感情のまま笑うということはほとんどありませんでした。
初めは大声が出ませんでしたが、大声が出せるようになって、笑うと、とても心地が良く、
「あぁ、笑っても良いんだ、さらけ出しても良いんだ・・・」と思ううちに
以前と比べて大分前向きになれました。
今回の練成会を経て、より前向きになれ、自分の周りの人々、
神の子への感謝が出来るようになりました。
更に自分も神の子であれば何でも出来る、恐れることはない、
卑下する必要はないとも思えるようになりました。
これからは、より自分を実相に近付け、前向きに考え、
自分の想いに沿って行動出来るようにします。
そして、感謝をし、神想観をし、これからの人生を以前より益々良くしていきたいです。
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