997,〝流産児供養をするための参加だった″と気付く!

7月短期練成会 発表日:H26.7.7

  「何か物事を知って死ぬのと、知らずに死ぬのとでは違う」という
吉田松陰が獄中で残した言葉があります。

  私は6月の一般練成会に参加しました。
しかし、5日目の夕方には帰らないといけないということで、
浄心行や先祖供養など受けずに帰りました。

  元々母が4月の一般練成会に参加させてもらい、
練成から帰ってきた母のイキイキとした表情、張りのある元気な声に変化したのを感じ、
「宇治には何があるのだろう?」という思いが湧いてきました。
そして6月の一般練成会に参加させてもらったという流れでした。

6月の練成は途中で帰りましたので、福岡に戻ってからモヤモヤしたものを感じながら過ごしていました。
そこで、そのモヤモヤを払拭し、更に真理を知り、深めたいとの思いで
今回の短期練成会への参加を決めました。

  宇治行きを最終的に決め、飛行機の手配をしたのは前日の七月三日でした。
急に思い立ったので、若干の悩みを抱えながら宇治へやって来ました。
到着すると山口先生と玄関でお会いし、温かく迎えてもらったことで、
「来て良かった」という気持ちが満ちてきました。

  その後、最初の「実相と現象」の講座を聴きながら、福岡から宇治まで来ている間に
引っかかっていたものがパーンと弾けました。

それは「人間神の子」という言葉を聞いた時です。

  私は野球の指導をしていますが、どうしても上手く出来ない選手を責めるような気持ちになっていました。
しかし、この「人間神の子」という言葉を改めて耳にし、大事なものを思い出しました。
一気にスッキリしました。

  その後、二日目は座談会で他の方から色々な話を聴くことが出来、刺激を受けました。
夕方からの浄心行では自分でも驚くほど大きな声で「お父さん」「お母さん」と叫んでいました。

  言葉にすることで感謝の気持ちが深まってきました。
そして、3日目、「先祖を大切にし、流産児を供養する必要がある」と話を聴きながら、
ある事を思い出しました。

 それは、10年ほど前に付き合っていた恋人から言われた一言です。
「子供を堕ろした」という言葉でした。
私がその言葉を聴いたのは別れて1年ほど経っていたので、あまり真剣に取り合わず、
受け流していました。
その後も彼女から特に何か言って来る事もなく、約10年の間忘れ去られていた出来事でした。

 楠本先生の話しを聴きながら、その事を思い出し、あまり感じたことのない恐怖心が
心の中に出てきました。

 今回来た一番の理由は、この事だったのかなと感じながら流産児供養をしました。
申し訳ない気持ちと後悔など色々な気持ちが出てきましたが、今回供養でき、感謝しています。

 これからは周りのために笑顔を絶やさず、自分の中の神の子、そして周りも神の子だということを胸に
生活を送り、少しでも多くの喜びなど与えることが出来れば幸いです。



宇治練成体験談 トップ


©生長の家宇治別格本山