生長の家宇治別格本山では、昭和29年より
毎月各種練成会を開催しております。
練成会では、奇蹟ともよばれるような様々な感動の体験が生まれています。

谷口雅春先生(生長の家創始者)は、
「生長の家は奇蹟を見せるところではない」という一文から始まる
『自然流通の神示』
で、 このように示されています。

『自然琉通の神示』

『生長の家』は奇蹟を見せるところではない。
『生長の家』は奇蹟を無くするところである。
人間が健康なるのが何が奇蹟であるか。
人間は本来健康なのであるから、健康になるのは自然であって奇蹟ではない。
『生長の家』はすべての者に真理を悟らしめ、異常現象を無くし、
当り前の人間に人類を帰らしめ、
当り前のままで其の儘で喜べる人間にならしめる處である。
あらゆる人間の不幸は、当り前で喜べない為に起こるものであることを知れ。
当り前で喜べるようになったとき、その人の一切の不幸は拭いとられる。
病気もなければ、貧乏もない、
また、搾取されたる富もなければ、 搾取した富もない。
蹂躙られた弱者もなければ蹂躙った強者もない。
唯、一切が渾然として一切のものが富んでいる。
此が実相である。

皆の者よ、人間の生命の実相を悟って病が治るのは、
病念と云う異常現象が止んで、人間が本来の自然に帰るからである。
異常現象はすべて病気の一種である。
貧しさも異常現象であるから、
人間の心が自然に還えればなおるのである。
異常現象の中に神があると思うな。
そこには好奇を喜ぶ不自然な心があるばかりである。
怒り、憎しみ、恐れ、嫉み、他を蹂躙って打ち勝ちたい心
――― すべて是等は異常な心であるから病気の因である。
異常な心を去れば病気も貧しさも治る。
当り前の人間になることが大切である。
当り前の人間のほかに神の子はない。

(昭和8年1月25日神示)

また、 谷口清超先生は御著書『いのちを引きだす練成会』の中で、
練成会で人々が劇的な変化を遂げることについて、
人間を純金に例えて、 このようにお書き下さっています


『いのちを引き出す練成会』 22P〜

練成会に来て、人間がすばらしくよくなるということは、
人間の「本質」がもともとすばらしいということをあらわしている。
そうでなければ、たった5日や10日のうちに、
かくも驚くべき変化があらわれるということは、
絶対にあり得ないはずである。
ことに中学生や高校生の変化は、実に飛躍的である。
大人でも無論すばらしい。
それはあたかも、埃まみれの純金を水中にひたすと、
サッとほこりがとれてしまって、本来の純金の輝きを発するようなものである。

もし人間が“純金”ではなく“亜鉛”か“石塊”のようなものであれば、
いかなる錬金術をもってしても、
かくも速かに“純金”に変えるなどということは不可能である。
われわれは、練成会に於いて、多くの人々が救われて行くのを見る度に、
人間の「神性」をマザマザと見せつけられる思いがする。
そしてこのような浄化作用は、
練成道場という現象的機構のなせる業ではなく、
明らかに、「生長の家の大神」即ち「絶対なる神」の御働きの地上的顕現であると
断言せざるを得ないのである。


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