『宇治だより』 第47 平成4年12月1日
献労の思い出
生長の家本部練成道場 総務(当時) 吉田 武利
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宇治の初期は現在の宝蔵神社のところが山で、その前は窪地だった。
毎月の練成の献労で、その山を崩し谷を埋めていた頃である。
階段からすべって脊髄を痛めコルセットを付けたお嬢さんが、
岐阜から練成に参加された。
夜の講話で徳久講師が「人間は神の子で病気は無い」と云うと、
「ハイ」と返事して、その場でコルセットを外しただけでなく、
翌日から健康な人にとっても重労働の土運びを始めた。
見ると、脂汗をタラタラ流していたいたしい。
思わず近づいて
「苦しかったら、献労を休んでもよいし、コルセットをつけてもいいんですよ」
と云うと、彼女はすずしい眼で
「神の子に病気は無いんでしょう」
と答えた。
「智恵の言葉」に、「人間は神の子であるから今現に
自分の全きものであること(健康、幸福等)を信ずるのが正しい信仰である。
この正しい信仰に入るとき、癒能はたちまち顕れはじめる。」
「五官を信ぜず、神の創造を信ずるのが信仰である。」
と示されているが、痛みの真最中で「病気無し」
と言った彼女の言葉と行動は、まさに正しい信仰の実例であった。
“自分が練成してやっているのではない。
練成会員は自分を磨く観世音菩薩としてこられるのであり、
練成を受けているのは自分自身である”という感銘を受けた。
彼女がすっかり癒されて帰ったことは言うまでもない。
コルセットをは今もどこかに保管されているはずである。
練成道場前の藤の木は、たしか第二回目の練成の献労で、
今の末一稲荷神社の前の広場あたりの木を伐採していたとき見付けて、
奈良の横田さんの発案で植えたものであり、
宝蔵神社横の道の角に祀られている石佛は、
献労で山の中から出てきたものである。
道場の土には献労した人々の、喜びと汗が浸み込んでいる。
今も宇治に行くと、その土の中から
「ありがとうございます。ありがとうございます」
という献労の声が聞こえるような気がする。
その土の上に宝蔵神社が建立され、その宝蔵神社に、
父母、先祖の御霊が祀られている。
文字通り宇治は霊の、魂の故郷である。