「宇治の四季」

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平成25年9月30日



過去の『宇治だより』第66号(平成12年)より、黒河内 潤先生のご文章を紹介させていただきます。



宇治を愛する人- 第62回より

 

神秘を見て目覚めよ

 

私が初めて「生長の家宇治別格本山修練道場」(昭和36年2月20日認証にて「生長の家宇治別格本山」に改称)を訪れたのは、

昭和35年3月のことです。それは、前年の9月に伊勢湾台風によって多大の被害を受けた伊勢皇大神宮の復興に奉仕する目的で、

宇治別格本山に11月から発足した「伊勢皇大神宮復興奉仕実践練成会」に参加するためでした。ちょうど宝蔵神社の建立が8月の

落慶を目指して急ピッチで進められていた時で、けた外れに大きい大拝殿の偉容に圧倒されたことを今も覚えています。




「伊勢皇大神宮復興奉仕実践練成会」は、楠本加美野講師が隊長となり、バスを仕立てて伊勢皇大神宮に馳せ参じ、外宮の工作室に

泊り込んでの奉仕でしたが、普段は入れない神域での倒木の撤去や植樹の作業は、生長の家なればこそ選ばれたものと教えられ、

感激も一汐でした。そして最終日のことです。神官からの炊き出しの藷粥を啜っていたところへ神官の方がお礼に来られ、

「皆さんは生長の家の方だからご理解いただけると思うのでお話します」と前置きして次のような話を聴かせて下さいました。




「台風の日、私は一旦帰宅しましたが、刻々に強まる風雨に不安が募り、身支度を整ええると内宮へととって返しました。

頭から被った合羽でカンテラを覆い、激しく叩きつける暴風雨を頭で掻き分けるようにして参道を進んでいきました。ところが、

内宮の正殿前に辿り着いたとたんに急に風が弱まりましたので、ふと頭を上げますと、なんと、正殿の向こうに立っている

杉の大木に吹き付けた風が二つに裂け、正殿を巻くように吹き抜けていっているのがはっきりと見えるではありませんか。

真っ暗闇の中で、そこだけが、その風だけが幽かな光を放って、はっきり見えるのです。あまりの荘厳さに、しばし我を忘れて佇立していました。

樹木ばかりでなく、摂社にも多大な被害を受けましたが、正殿には何事もなく、御神威のただならぬことを体感いたしました」
と。



ご承知のように、生長の家宇治別格本山編『聖霊天降る宇治ー魂のふるさと』には、様々な神秘的な事象が綴られております。

「新天新地の神示」に神秘を見て人々よ、目覚めよ、目覚めてわが新しき光に照らして存在の真実を見よ″と示されておりますが、

まさに、生長の家宇治別格本山出現の意義のただならぬことを感じ、ご親縁を頂いたことに深く深く感謝申し上げる次第です。

 

 

 

 

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