50,手術の直前、腸のポリープが消える

                       M.Kさん 「宝蔵」第139号より  2008年2月19日更新

主人が2月3日に検査をしまして腸に異状があるとの事で、2月5日に精密検査をし、2月17日にポリープを切除することに決まりました。姑が熱心な生長の家信徒ですので、すぐに神癒祈願を申し込みました。あまりのショックに何をする気力もない私でしたが、主人に精神的負担をかけないようにと明るくふるまい、主人の前ではニコヤカに、主人の気持ちが引き立つようにとつとめておりました。姑は朝に夕に神想観、聖経読誦をしてくれ、主人も普段は信仰心のない人ですが、手術までの期間中は、毎日自分から背広のポケットに神癒祈願の人型を入れて出勤しておりました。
27日の当日、手術の終わる時間に行きますと、ストレッチャーに乗って出てきた主人がOKサインを出して、ニッコリ笑ってくれました。不思議なことに何もなかったのです。CTスキャンで調べた時点では確かにあったはずの腸のポリープは、ハイバースコープを入れて見ると全くきれいなものだったそうです。家に帰ってきた時の主人の明るく晴れやかな笑顔を見た時、自分のためだけではなく、私達家族のためにどんなにか嬉しかったことでしょうと、唯々感謝の気持ちで一杯になりました。本当に生長の家の神癒祈願のおかげです。ありがとうございました。

49,娘の結婚成就

                       R.Tさん 「宝蔵」第140号より  2008年2月19日更新

離婚しておりました娘の再婚の神癒祈願を、昨年4月にお願い致しました。間もなくして、主人の仕事の関係で来られていた方が、「自分の甥に私共の娘をどうか」と言って下さり、お見合いを致しました。
11月3日に2回目の祈願を申し込みましたところ、相手の方から付き合ってくれないかとのお申し出がありまして、お会いする回を重ねておりますうちに意気が合って参りました。継続の神癒祈願もお願い致しました。
年明けて本年2月、ご本人が私共の家に参りまして「ぜひ娘さんをいただきたい。あの子をもらいなさいという神様からのお告げがありました。」などと言うのでございます。私共はびっくり致しました。それから間もなく向こう様のお父様が、正式に戴きたいと仲介の方と来られ結婚が決まり、3月早々目出度く結婚式を挙げました。
かつて娘が離婚した先夫との時は、人工授精で6年目にやっと子供を授かったのが、この度は有難い事に、普通の夫婦生活で直ぐに授かったのでございます。こんなに嬉しい有難いことはございません。私は娘の嬉しそうな姿を見て、思わず合掌致しました。ご先祖様にも報告致しました。先方様には5年生の男の子がおりますが、3人仲良く暮らしております。今は素晴らしい神の子さんを授かり二重の喜びで一杯でございます。ほんとに有難うございました。

48,感謝の気持ちで、胃癌の手術が受けられた

         Y.Nさん 「宝蔵」第268号(2008年2月1日発行)より  2008年2月15日更新

合掌 ありがとうございます。平成19年11月21日より1ヶ月間に亘り、私の「胃癌」という病気に関し、神癒祈願をして頂きました。
お蔭様にて、手術も無事済み、胃を3分の2程度切除する事となりましたが、その程度で済みましたのも、そしてその後の検査でリンパ等への転移も一切無かったのも、更には無事退院出来ました事も、これ全てひとえに神癒祈願をしていただきましたその賜物であると心得、重ねて御礼申し上げます。
正直申しまして、病院にて「胃癌である」と知らされた時、様々な想いが去来致しました。どうしても嫌な方向へと、考えが振り向いてしまう中、長男が呑気な表情で「大丈夫だよ。病気なんか本来無いんだから」などと云う事に怒りすら覚えました。四十男でありながら、母親が癌であると知っても尚、呑気である長男、この様な子供を育ててしまったのか・・・自分の人生が全否定された気持ちになりました。
いよいよ入院するというその前夜、長男が一通の封書を私に手渡しました。それは生長の家宇治別格本山祈願部神癒祈願課と書かれた封書でございました。「神癒人型」とともに同封されていた「お知らせ」を読み、その時はじめて長男が決して呑気一辺倒であった訳ではなく、私の事を心配していてくれた事に気付きました。長男に対して申し訳ない気持ちとともに、生まれてきてくれた時と同じ規模の感謝の気持ちが湧き起こりました。
こうして天地一切に感謝する気持ちとなって手術を受け、それが無事済み、2週間ほどの入院で退院出来、神癒祈願の終わる12月21日の朝、私は夢を見ました。「どなたか知らない方がいらして、まるで知らない方なのですが、その方に対して私は感謝の気持ちで一杯でいる。なんとなくその方が私の今回の一切を助けて下さった方である気がし、合掌させていただいたところで目が覚めました。」長男に話すと、「それは神様だよ」と。その様にも思います。 感謝再拝

47,孫の心臓疾患癒ゆ

                               T.Hさん 「宝蔵」第144号より  2008年2月12日更新

娘が妊娠6ヶ月目で切迫早産と診断されましたので、2月7日、急ぎ神癒祈願を申し込みました。おかげさまで胎児は落ち着き、4月11日に2580gの女の子を無事出産させて頂きました。
ところが生まれて2日後に心臓に異常があることが判り、調べて頂きましたところ、心臓中核欠損で心房と心室の両方に穴があいていると言われました。ショックで泣いている娘を見て、心が締めつけられるような思いでした。しかし神癒祈願で娘の生命の完全円満を祈って頂いていることは、そのまま赤ちゃんの生命の完全円満を祝福して頂いていることと同じだと思いまして、日々神想観と御先祖様に聖経読誦をさせて頂いておりました。
5月2日、生後3週間目の検診に労災病院へ参りました。先生は聴診器を当てて調べて下さいましたが「心臓の鼓動に雑音がない。穴の周囲の筋肉の組織が穴を塞いでしまったのかも知れない。膜室が自然に塞がることは医学的にはあり得ないことだが」とおしゃっていました。
先日9月11日、6ヶ月検診に参りましたところ、先生は丸々と肥った孫を見て、「自然の法則として心臓に欠陥があった場合、心臓に負担をかけないために赤ちゃんは大きく育たないようになっているけれど、見事に大きく育って大丈夫だ」と喜んで祝福して下さいました。

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S.Aさん 「宝蔵」第124号より 

この度、神癒祈願のお蔭で長女の心臓病が癒されましたので御礼申し上げます。
平成7年2月5日、二人目の子供である長女が生まれました。3月に一ヶ月検診を受けましたら診察の結果、心臓に穴があいている(病名は心室中枢欠損症)と言われました。医師の話では「お子さんは新生児なので、治療は無理であるから、しばらく様子を見ましょう」とのことでした。
早速、宇治の神癒祈願を申し込みました。それから1ヶ月後の4月の検診では、心臓の雑音が小さくなっているので「心臓の穴が閉じかけている」と医師に言われ、うれしくて涙がとまりませんでした。そして8月の6ヶ月検診の時には、すっかり心臓の雑音も消え、各種の検査の結果「心臓の穴が完全に閉じて、心室中枢欠損症が完治しました」と医師より言われ、家族中で喜び合いました。
まもなく孫は1才の誕生日を迎えますが、健康に成長しております。これもひとえに神癒祈願のお蔭と感謝申し上げます。

46,肺ガン癒ゆ

                               F.Tさん 「宝蔵」第138号より  2008年2月7日更新

昨年(平成8年)6月頃より体がだるく、今年は夏バテが早いなぁ~と感じ、中々快くならないので9月上旬頃病院で診察を受けましたところ、肺に直径2㎝の癌が見つかりました。今なら体力もあることだから、手術が必要といわれました。
12月頃より衰弱が目立ち、微熱が続き食欲も落ち、身体のだるさと疲労感が強く、胸痛と肺腺の部分が押さえつけられているような苦しさに、呼吸困難、血痰が出る等で流動物しか摂れず、足は前に進まず食事の支度もままならず、練成会に参加する自信もないので、2月9日神癒祈願をお願いしました。
2月11日の検診日に、長い間受け持ってもらった内科第一診の院長先生が、次回から第二診の先生にバトンタッチということで、担当の院長先生が替わられたのは何故かと悲観しましたけれども、後で判った事ですが、第一診の院長先生は循環器系で、第二診の先生は呼吸器系専門医と判り、神様が私に適当な先生を選び給うたのだと感謝しました。以来、薄紙を剥ぐが如く快方に向かいました。
3月3日に診察に行き、担当医から「あっー、癌がない、変だ」と、3回レントゲンで調べてもらいましたが、やはり見当たりませんでした。
私は入信後25年の間に色々と大病いたしましたが、神癒祈願は今回が初めてです。祈願中の神想観の時に、私の全身に電流が流れたような感じがしました。祈願部の先生方のご愛念で、神様との波長に合わせて頂き癒されたのです。神癒祈願の偉大なお力に感涙致しております。ありがとうございました。神様のご使命を戴き、今後も光明化運動に邁進致します。

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M.Kさん  「宝蔵」第221号より 

祈願部の皆様へ。合掌有り難うございます。昨年(平成15年)の夏から秋にかけて3回ほど姑(74歳)の神癒祈願をお願いした者です。
昨年の夏の初め、姑がかかりつけの病院のお医者様から「肺に影があります」と診断され、一泊で入院したところ、ガン細胞が発見されました。そこで、県立病院に検査入院し、全身検査して頂いたところ、何故かこの病院ではガン細胞が出ませんでした。しかしお医者様は「ガン細胞は出ないが、見た目は明らかにガンなので、73歳(当時)にしては体力もあるし、手術して取ってしまった方がいいですよ」と強く勧めて下さいました。
しかし、73歳の母が手術を受けるべきかどうか、私も主人と姉との3人で話し合いました。何度もお医者様のお話を聞き、疑問に思うことは全て聞いて「ここまで来たらお医者様を信頼するしかないよ」という主人の判断で、手術して頂くことにしました。神癒祈願のお陰で、お医者様が親切に対応して下さったのだと思います。そして10月20日に手術しましたところ、お医者様の言われる通り、姑はやはりガンでした。しかし、最も初期のガンで転移も無く、肺の一部とリンパを切除するだけで済みました。その上、肺の手術は術後の痛みが激しいと言われていましたが、思いの外、姑はけろっとして元気にしておりました。姑は二日目には自分で食事をし、三日目には立ち上がり、四日目には自分でトイレに行けるようになりました。痛み苦しむ事なく、たった15日間で退院出来ました。
今はお陰様にて、家事や孫の子守りができるところまで回復致しました。この祈願を申し込んだお陰で、不思議と子供のことやその他全ての事が順調に運び、感謝の気持ちで一杯です。本当に有り難うございました。

45,重なる祈願成就の喜び (結婚成就+膠原病平癒)

                               S.Hさん 「宝蔵」第149号より  2008年2月7日更新

此の度は大変有難く、嬉しいお便りをさせて頂けます事を心より御礼申し上げます。
昨年7月24日付で息子(30才)の結婚の祈願を申込みさせて頂きました。そして8月16日に、ある方に息子の写真と釣書をお渡ししておりましたところ、早速そのお世話下さる方が相手に送られ、大層喜んで下さっている旨の連絡が入りました。
8月31日にお見合いをし、9月5日には二人の気持ちが結ばれて、お付き合いをするとの事で、相手のお嬢さんが当家に参りました。その表情の明るく生命力に輝いているお嬢さんに初めて会った時、またこの方が私の娘であったのかと思いました。
しかし、相手方は旧家で開業医、私共は共働きの公務員ですので到底釣合はとれないからと静観しておりましたが、話はトントン拍子で進みまして、10月31日の快晴吉日に結納を納め、来月3月15日には結婚式の運びとなりました。
後で判った事ですが、相手方のお母様、お祖母様共に生長の家を信仰しておられ、それを知った時には両家共、大変感激を致しました。神様、ご先祖様の高い処からの配剤であったと感謝感謝の毎日です。

次に11月28日に申込みをさせて頂きました、いとこの膠原病の平癒祈願の報告をさせて頂きます。いとこは当初、うわ言、誰それに会いたい等、担当医も「此の病気で治った人はおりませんから覚悟をしておいて下さい」と、いとこの主人にいわれたような状態でした。
年内中の生命であると申しますので祈願の申込みと同時に、二晩で「甘露の法雨」の写経をさせて頂きました。お陰様で第一回目の手術は成功し、12月26日には仮退院致しまして、元気な声で「祈願するよと言って下さった事よりぐんぐん良くなった」とお礼の電話が入りました。その時の嬉しかったこと。
年明けての肛門(脇腹)を元に戻す手術も成功致しました。神癒人型も写経も当時は無菌室に入っておりましたので神棚に供えておりましたが、2月21日退院したとの事で、喜びの再会をさせて頂くことが出来ました折りに手渡しました。お茶を頂きながら笑い話も出来るとは、本当に夢のような気がするねと言って喜びあった次第です。
近頃、嬉しい嬉しい世界であることが解らせて頂きまして、祝福・讃嘆させて頂く喜びは本当に言葉に言い現せません。諸先生方の真剣なお祈りの賜でございます。本当に宇治は素晴らしい。ありがとうございます。

44,不動産が売れた

                               F.Tさん 「宝蔵」第159号より  2008年2月7日更新

神癒祈願を平成9年11月から12回続けてお願い致しておりましたが、このたび實相が顕現し、会社の不動産が売れましたので、報告させて頂きます。
私の主人は不動産業を大きく営んでおりましたが、経営に行き詰まり、平成9年7月に自殺致しました。銀行への返済が多額にあり、アパートを売却して半分は返済できましたが、1年半たっても、どんなに値下げをしても、売れませんでした。
私の主人は亡くなる前、不動産業の支部長や県の役員をしておりました。そして現在の支部長様が主人のあとを引き受け、支部長になられました。私はその新しい支部長様にとてもお世話になりましたが、どうしてもその方は「私はご主人の不動産は買わない」と言っておられました。そこでやむを得ず裁判所に競売の手続きをとり、そして裁判所から競売に関する書類が届きました。
私は、生長の家宇治別格本山に神癒祈願をお願いし、神想観を実修し、普及誌愛行を行っていました。しかし、お客様は見に来られるのですが、銀行がお客様に購入資金を融資してくれず、なかなか決まりませんでした。私は神様に全托して神想観を実修致しておりましたが、なかなか売れずにいました。そんな時、不思議なことがありました。
今はどこをみても不況ですが、自分の気持ちをくるりと変え、「實相の世界では既に売れました」と契約の様子を想い描き、神想観をしました。すると不思議な事に、「競売にしたのではご主人に申し訳がない」と、今までは買わないと言っておられた支部長様が自分で私の会社の不動産を買って下さいました。
神想観がやっとできるようになったこと。聖経『甘露の法雨』をお誦げしたこと。父が母に暴力を振るっていたので、私は父を赦しておりませんでしたが、神様のお導きで亡父と仲直りできたこと。そしてなによりも神癒祈願で神様の導きがあったことで売れたと思います。私は、税金と銀行から借金がなくなったことで、とても喜んでおります。私の住んでいる家も、銀行の抵当に入っておりましたが、私の母親と兄弟から1600万円借り、家は兄弟のものになりましたが、家賃として毎月10円受け取っております。銀行の借金は家賃と年金から返しており、返済期間は長いですけれども、神様と一体なので大丈夫です。
現在、私は、お茶とお花を教えて頑張っております。白鳩会の支部長を拝命しておりますが、益々愛行と人類光明化運動に頑張りたいと思います。本当にありがとうございました。

43,白内障癒ゆ

                               Y.Kさん 「宝蔵」第216号より  2008年1月31日更新

合掌 ありがとうございます。 宇治の皆様には神癒祈願をして頂きましてありがとうございました。
私は去る平成15年4月8日と15日に、白内障で両眼の手術を受け、その折、神癒祈願をお願い致しました者でございます。お蔭様でとても順調に回復致しました。ありがとうございました。
お礼のお便りを一日も早く早く、と心に掛けながら、次々と自分の手にかかる農作業に追われて、一番大切なお礼がとても遅くなりました。申し訳ございませんでした。
白内障の手術はとても順調に進みました。入院の必要もなく、約1時間で終わりました。次の日には眼帯が取れて、目に見える世界は一変しました。人も、草木も、花も、明るく生き生きとして、その美しさには唯々ありがたく、感謝でいっぱいでした。
その次の日からは畠に出て、1日も身体を休める事もありませんでした。ハウス内の作業も「私は神の子完全円満、ありがとうございます、ありがとうございます」と唱えながら、毎日の仕事に励ませていただきました。お蔭様で田畑も順調に生育しております。
以前は道行く人の顔も、遠くの景色も、ハッキリとは見えなくなっていた私が、こんなに素晴らしい世界に戻れたことが嬉しくて、楽しくて…。ありがたい、ありがたい毎日の生活が出来るようになりました。これからも神様に感謝いたしまして、人類光明化運動のお役に立たせていただきたいと思っています。
神癒祈願のお礼が大変遅れましたことのお詫びと、全快の喜びのことばを送らせていただきます。ありがとうございます。再合掌

42,バセド-氏病癒ゆ

                                T.Kさん 「宝蔵」第261号より  2008年1月31日更新

初めて2月27日に神癒祈願を出させて頂きました。
娘さおりは32歳になるまで病気らしい病気もせず、いつも元気で歯科衛生士として11年間、精勤・皆勤で働いておりました。最近、身体がだるくて、首が腫れているのじゃないと友人に云われましたので、念のためにと思い、検査をしてもらったところ、バセドー病という病気で生まれて始めて2週間入院致しました。その後2週間自宅療養をして様子を見ましたが、肝臓の数値は高くなっており、再入院が必要かもわかりませんと医者に言われました。母として、神癒祈願を出し、祈りもしているから良くなっていると思っていましたので、頭をガーンと殴られた様な気になりました。
これは、私の信仰姿勢を改めなければいけないと猛反省しました。娘は幼い頃から良い子でしたので、私のスキンシップも少なく、いつも一つ隔たりがあり心が寄り添った母娘ではありませんでした。入院したお陰ではじめて心から愛情を注ぎ、毎日感謝と祈りが出来ることに気付き、形だけ整った信仰生活だったのだと懺悔しました。聖経も心を込めて誦げさせてもらい、神癒祈願も続けて出させてもらいました。
改めて1週間後、勤務先の歯科院長先生の紹介で他の病院の先生に診てもらった所、「2週間薬を全部止めてみて、もう1度検査をしましょう」と言って下さいました。再度、検査をしましたら、バセドー病は完治し、肝臓も正常だと言われ、次の日から職場復帰することが出来ました。
娘も今まで職場で不満がいっぱいあったようですが、それもこの病気を通して感謝感謝の気持に変わらせて頂きました。
本当に無駄なことは一つもない、善一元の世界だと心から感謝申し上げます。再拝

41,乳ガン手術後異常なし

                   A.Aさん 2008年1月16日 神癒祈願継続申込書にてのお礼 
2008年1月25日更新

合掌 ありがとうございます。私こと乳ガン手術(右全摘)して8年になりましたが、精密検査等はいつも異常なしで元気に過ごさせて頂いております。
特に昨年肺ガン検診で、「肺に影が」といわれて心配していましたがそれもおかげさまで異常なしとのことでほっと致しました。
これもひとえにご祈念下さいますお蔭様と心より感謝申し上げます。
また3月には精密検査がありますが、異常なしといわれますように引き続き祈願をお願い致します。

40,孫の新生児感染症が癒された

                        T.Yさん  「宝蔵」第188号より 2008年1月22日更新

この度、神癒祈願のお蔭で孫の新生児感染症が癒されましたので、お礼申し上げます。
平成12年12月6日に長男の2番目の子として、男の子が生まれました。4年前に生まれた長女と同じ3036グラムあり、元気な産声を発して産まれました。病院へ入ってから1時間ばかりで出産という、とても安産でした。夜、見舞いに行った時は、親子とも元気で何の心配もない様子でした。
ところが、8日に病院へ行くと、嫁の説明では7日の午前中に砂糖湯を飲ませても、ミルクを飲ませても、受け付けなくて吐いてしまうということで、午後に小児科へ移されました。血液検査で菌の反応が出て、吐く事と関係があるのかを調べることになり、点滴で栄養と抗生剤を入れ、採血、レントゲン、髄液検査をすることになりました。
小児科に行くと、保育器の中で右手を包帯でぐるぐる巻きにし、点滴されている痛々しい姿に涙が出ました。時々足や手を動かす姿を見て「絶対大丈夫、神様が助けて下さる、神の子だから」と心に思いました。嫁には「明日すぐに宇治へ神癒祈願をお願いするから。絶対良くなるから心配しないでね」と安心させて帰りました。
そして翌朝、電話で受け付て頂き「すぐ祈らせていただきます」というお返事を頂き「もうこれで良くなる」と感謝いっぱいの気持ちになりました。私も実相円満誦行や聖経『甘露の法雨』を誦げて、一所懸命祈らせていただきました。
長女が幼稚園から帰るのを待って病院へ行くと、昨日より手足を動かして元気そうでした。ミルクも毎回10cc飲むようになりました。10日には20cc、11日には30ccと、母乳を飲むことも出来ました。検査も全て異状がなく菌もなくなっているという結果が出て、減っていた体重も増え最初の予定より一日遅れただけで、14日に退院することが出来ました。  
嫁は「生まれてすぐに普通では診てもらえない検査をしてもらって安心して退院できるのだから、かえってよかったのかもしれない」と言っていました。
この子は1月、2月と「子宝」の神癒祈願から始まって、4月には流産しかかって12日間入院したときにも祈願し、「安産」の祈願もし、そして今回も癒されました。
本当に運のいい、神様に護られて誕生した子です。もう間もなく6ヶ月になります。風邪ひとつ引かず元気に育っております。これひとえに神癒祈願の賜物と感謝申し上げます。

39,主人が店長に昇進

                        S.Mさん  「宝蔵」第216号より 2008年1月22日更新

主人の栄転の神癒祈願を申し込ませて頂いておりました所、この度、副店長から店長に昇進しました。その喜びの報告をいたします。
3年半前、主人は初めて宇治の練成会に3日間参加し、夏の盂蘭盆供養大祭にて4回連続で奉仕のお手伝いをさせて頂きました。そして地元の相愛会にも入り、普及誌の愛行などを続けておりました。
宇治の練成会後に副店長に昇進しました。3年半の間、喜んで仕事をし続けました。社内の方々、お客様、親類縁者に普及誌の愛行をして、御教えを話、真理の伝道をさせて頂いておりました。
3ヶ月ほど前に店長試験があり、600人が受験、内60名が合格しました。ほとんどが40代の中で、50過ぎの合格者は主人と合わせて2名だけでした。私の主人は、2年半後に定年退職の予定ですので、人事の方が、年齢の問題で迷われたそうです。しかし、営業面でも売り上げを伸ばしており、また、お客様や他の社員の方々の評判もよいこともあって、店長に昇進させて頂きました。
私の主人は「自分の力ではない。神様、ご先祖様のお導きだ」と申しており、生長の家に感謝の思いでいっぱいです。今までお世話になりました多くの方に惜しまれ、また、栄転を祝って頂き、9月23日から次の店の店長としてスタートさせて頂きました。
このように定年近くになって昇進し、後2年半で定年退職の予定ですが、会社の方から「あと5年でも6年でも会社に残ってほしい」とおっしゃって頂き、神癒祈願のお蔭と心から感謝申し上げます。
今後ますます愛行を致しまして、尊師谷口雅春先生にご恩返しをさせて頂きます。本当にありがとうございました。再拝

38,事故による手足の麻痺が癒された

                        S.Iさん  「宝蔵」第169号より 2008年1月17日更新

平成11年6月15日の夕方、息子(20歳)の学院の先生から電話がありました。
息子がバイクの転倒事故で首の骨を折り、首の神経損傷により左の手足が麻痺し、まったく動かない状態であるということを聞き、驚愕いたしました。
私は「これはとんでもないことになってしまった」と思いながらも、仏壇に手を合わせ「どうぞ私たちに力を貸してください」とお願いし、「これで必ずよい方向に向かっている」と祈り続けました。
そうしたら病院では、通常手術まで10日から2週間くらい順番を待たなければならないのだそうですが、医師は「2日後に緊急手術をする」と言って下さいました。そのために他の患者さんの手術を1週間延ばしたとの事。大変申し訳なく感謝しております。
無事手術は終わり、医師から「神経のほうは大丈夫だったから、あとは本人のリハビリ次第だ」と言って下さり、私は「ああ、よかった」と思い感謝いたしました。
本来は完全看護の病院なので泊まることは出来ないのですけれど、手を動かすことも出来ない子供を残して帰れないということを看護師さんたちも解ってくれ、見逃してくれました。病室で息子の手足をマッサージしながら心の中で「ほら、迷子になってないでちゃんとこっちまで来なさい」と神経に呼びかけていました。
そうしているうちに義兄が生長の家宇治別格本山の神癒祈願を申し込み、「神癒祈願人型」を持ってきてくれました。早速息子の首の下に置いて「すべて良くなる」と念じ続けていましたところ、ある日の夜中、電気も消えた闇の中に光が見えたのです。
そして次の日、私が「母さん、指動いていないか?」と家内に聞いてみたら、息子の左の指が動いていました。もう嬉しくて嬉しくて…。息子によると自分で動かそうとしても動かないけれど「ひょっ」と動いたらしいのです。
それからはどんどん良くなり、手術からわずか12日で立つことを始め、その翌日は歩けるようになりました。左手の握力はまだ弱いのですが、少しずつ良くなっていくことでしょう。  
息子は7月31日には退院し、8月16日からは再び学校へ行っています。9月中旬ころにはコルセットも外しました。これも神癒祈願のおかげと感謝しております。ありがとうございます。

37,胃癌癒ゆ

                               F.Kさん 「宝蔵」第175号より 2008年1月17日更新

素晴らしい神様の愛、そして周囲の方々の愛によって、甥(47歳)の胃がんが消え去りました。こんな嬉しい体験が出来、心より感謝いたしております。ありがとうございます。
1月の末頃に、甥は医師より胃がんと診断されました。それも悪性腫瘍で、胃を全部切除しなければなりませんでした。しかも手術はベッド待ちで1ヶ月先になるとのことでした。 無信仰な甥のことなので「信仰のことを話せば嫌うか…」と思うと、なかなか「生長の家」のことを言い出せませんでした。
それでもなんとか甥の胃癌を治したい一心で思い切って話しますと、素直に気持ちよく理解してくれました。早速、宇治別格本山に「神癒祈願」をお願いし、甥に聖経『甘露の法雨』を送りました。聖使命会にも入れました。2月9日に胃カメラを撮りに行くと聞きましたので、サラシに聖経『甘露の法雨』を写経し、2月7日に体に巻いてもらいました。
そして2月9日に胃カメラを撮ってもらうと、病院の先生から「取ってほしいと云われた大きな腫瘍が入念にいくら探してもない。小さなのは点々とはあるが」と嬉しい知らせがありました。
「これは絶対良くなる」と思い、嬉しくなって、私も一所懸命に神想観を実修しました。硬く黒ずんだ甥の胃がピンク色のポチャポチャとした胃へとなっていく有様を心に描き、「神様、治して頂きありがとうございます」と祈り感謝しました。
私も現象にとらわれていたのか、まだ先でないとベッドが空かなかったので、私が甥に「知った方に頼んで、少しでも早く手術してもらえたら」と云いますと、甥は私に「おばちゃん、もっともっと大変な人がおられるのに、その人たちを押しのけて自分だけが先に手術してもらう、そんなことしたくないよ」とたしなめました。
優しいきれいな心を持った甥です。「胃を摘出することにおいて、48年間自分に付き合ってくれた胃に感謝する。また取ってしまう胃がいとおしい、この病気のおかげで色んな人から素晴らしい愛をいっぱい頂き、嬉しい思いだ」とも云ってくれました。すでに素晴らしい‘生長の家人’です。
そして思わぬくらい早く、2月14日に病院から電話の連絡があり、翌日に入院して、4日後に手術を行う予定となりました。
入院3日目、明日は手術という朝、お医者様から診察がありました。
すると不思議なことに、何の治療もしていないのに、腫瘍が消え、ガン細胞もない、なんと胃癌が治ってしまっていたのです。そしてすぐに退院となりました。
嬉しさのあまり私は部屋中を走り回り、飛び上がって喜び、仏壇の前でうれし泣きに泣きました。「神様 ありがとうございます」と。素晴らしい神様の愛の力、素直で優しい甥の心。
さらに、手術すると決まっていた18日は甥の父の月命日でした。この父とご先祖様にも護られ、嬉しい結果となりました。
何事も一心になり、明るく優しい感謝の心を持てば必ず願いは叶えられることを身をもって体験させて頂きました。感謝でいっぱいです。私たちのために神様にお祈りしてくださった先生方に心より御礼感謝いたします。ありがとうございました。合掌 

36,初産 12月7日に大安産

                  Y.Mさん  2008年1月7日FAXの礼状  2008年1月13日更新

合掌 ありがとうございます。私は昨年12月に初めての出産を控えて、神の子さんと会える日を毎日楽しみにしていましたが、やはり不安もあったので、臨月でしたが、実家の母と一緒に11月宇治へお参りに行き、幽斎殿にて神癒祈願をお願いしました。
出産はとても安産でした。分娩室に入って、1時間かからずに出産することができました。出血もほとんどなく、自然な形で出産でき、とても理想的な出産をすることができました。
産婦人科の先生にも「すごくいいお産だった」とほめて頂きました。出血が少なかったこと、とてもスムーズなお産だったこと、赤ちゃんの心拍も下がらず、とても元気に生まれてきたこと、すべておなかの中の胎教がよかったんだと言われました。
平成19年12月7日午前1時11分、体重3,462g、身長50cmの元気な男の子、大地が誕生しました。
心より生長の家の大神様に感謝申し上げます。神癒祈願して頂きまして、心から感謝しています。
そして、いつも支えてくれた主人に感謝いたします。
先日、主人と息子の大地と実家の家族とでお礼に伺いました。   再合掌

35,司法試験に合格

                               M.Eさん 「宝蔵」第255号より 2008年1月13日更新

私は何回も司法試験を受けたので、長い間、神癒祈願をお願いしていました。おかげ様で今度やっと司法試験(旧試験)に合格することができましたこと、先生方はじめ皆様にご報告申し上げますとともに、厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございました。
さて、合格の報告に幽斎殿に赴き、正座合掌して思いましたことは、小さいころからの両親との問題その他全ての困難が、自分を弁護士にするための愛の御手だったんだなあ、とそう思わせて頂き、自然と涙がこみ上げました。
今後は与えられた仕事を一つ一つこなしてゆきたいと存じます。今後も母の懷のように宇治をお慕いするかと思いますが、よろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。

34,くも膜下出血癒ゆ

                       I.Yさん  2007年12月24日礼状  2008年1月7日更新

平成19年10月13日に、82歳の母がくも膜下出血で倒れ入院しました。早速神癒祈願を申し込み、22日から祈願して頂きました。一ヶ月後の11月15日に退院し、自宅療養し今日も元気で生活しております。
一時は生命も危ぶまれ、また、回復しても手足に障害が残るかもしれないとのことでしたが、元通りに回復し、聖経『甘露の法雨』を読誦しています。本当にありがとうございます。家族一同心より感謝しております。お礼が遅くなり申し訳ありませんでした。人型を返送させて頂きます。

(※新年もご家族ご一緒に過ごされ、喜びいっぱいのお正月とのことです。)

33,乳癌癒ゆ

                          N.Mさん 「宝蔵」第204号より 2008年1月4日更新

私は10年来、右の乳房にしこりを持っておりましたが、ふと胸に手をやると‘しこり’が大きくなっていて、表面がゴツゴツし癌のような感じになっていて、あわてて病院へ行きました。X線・エコーなどの検査の結果、先生にも「悪性みたいだな」と云われドキドキしました。
そして部位より一部せんし(一部細胞を取ること)して病巣を検査に出され「一週間後に来てくれ」との由。「良性なら一部だけ取るけれど、悪性なら部位がよくないところにあるから、乳房を全部取らなければ」と説明されました。
8月6日、長女が心配して私について来てくれ、宇治に参らせて頂きました。癌の診察結果が明日出るという前日‘神癒人型’の封筒を頂きました。明日発表があるのに今日届いたので、もう救われたと思い、何度もお祈りをしました。
次の日ドキドキして「先生どうなんですか?」と聞くと「う~ん、何とも云えない、白でも黒でもない、もう一度取って検査しないと」と云われ、私から「良性でもいいからしこりの部分を取って下さい」とお願いして、3日後に取ることになりました。
後「ちょっと待っててな。内部を顕微鏡で見てみるから」と二人の先生が見て「見る限り良性だけど、ここの一部がちょっと変だから検査に出してみるから。まだ喜んではいけないよ」と云われました。
それが8月13日のことで、傷は7~8日で順調に治りました。「8月26日まで結果を待って」と云われ、毎日毎晩お祈りしました。
8月26日、先生の顔色をのぞきこんで「どうでしたか?」と聞くと「良かったなぁ、良性だよ!」と云って結果の用紙を見せてくださり、私は‘やったー’といっぺんに明るい世界が拡がりました。神様、本当にありがとうございました。

32,息子夫婦の離婚の危機解消

                          A.Mさん 「宝蔵」第266号より 2008年1月4日更新

合掌ありがとうございます。
10月18日に息子夫婦の不調和の件で神癒祈願をお願いしました。思えば夫婦喧嘩のような事でしたが、お嫁さんが息子の欠点・不満を言ってきて、離婚してもいいような事でしたので、すぐに神癒祈願をお願いしました。
私は仕事が忙しく、日曜日しかお嫁さんと連絡がとれませんので、ただただ不安の2週間でした。息子は自分で解決するからと言っていましたので、私は生長の家で学んだ事を思い出し、行じることにしました。送って頂いていた『宝蔵』の中に、鹿児島の松元さんの体験分の「酒乱の父の姿は娘さんの前世の業を現して消して下さっているのだ」という文章で気付きました。
私は30年前、現在の夫と離婚して、1年3ヶ月後に復縁し、現在に至っています。息子達夫婦は私の30年前の業を消してくれる観世音菩薩様だったんだと思いました。
息子とお嫁さんの和解の神想観も真剣に致しました。生長の家の日訓に“問題がある人はその問題に感謝するんです。すると解けなかった問題が自然にすらすら解けてくるというわけであります。それは神の智恵が現れてくるからです”とありました。
この問題があればこそ色々気付かせてくれた問題でありがたいと感じました。宇治で祈っていて下さると心強く思い、先祖供養も致しました。
お蔭で夫婦仲直り致しまして、10月7日から実家に帰っていたお嫁さんを10月21日に息子が迎えに行き、戻って参りました。
今回の事で私が辛い思いをさせた逆を私が味わいました。やはり法則ですべて私がした事は私に返ってくる事が解りました。夫は優しく頼り甲斐があり、2人で乗り越えましたが、2度に渡る心配をさせてしまった事に申し訳なく、でも今1度、主人への尊敬の念を新たにすることが出来ました。
今は息子とお嫁さんの笑顔いっぱいの顔を描き、その周りにいっぱい讃嘆のコトバを書き、夫婦円満大調和と祝福しております。
これからも人間神の子の真理をひとりでも多くの方にお伝えして参ります。再拝

31,駅伝で市の代表に選ばれ、希望の高校に合格

                     福島県 K.Kさん 「宝蔵」第259号より 2008年1月3日更新

今回は息子の高校合格を神癒祈願させて頂きました。10月から申し込みましたが、不思議がありました。
「ふくしま駅伝」という県をあげての大会に、中学生の選手として選ばれて無事「たすき」をつなぐことができました。その間には早朝及び夜間の練習、又、塾にも通いました。駅伝を通して多くの方々のお世話になり、応援や励ましのお言葉も頂き、本人にとっても貴重な体験だったと思います。
駅伝も終わり、今度は志望校を決める段階に来て悩みました。息子との話し合いも時間のすれ違いからほとんど取れないでいました。結局、最終的には本人の意志にまかせ、最初から考えていたという、少しレベルの高い、主人の母校でもある福島県立福島工業高校と決め、3月8日に受験いたしました。発表は3月14日でした。
父子で発表を見に行った二人は、思わず「あったあー」と叫んだそうです。奇蹟だと思っています。
それから卒業式の日に息子から感謝の手紙をもらい、思わず涙が出ました。素直に育ってくれて有難いです。
息子は『理想世界』誌の「幸せがやってくる」が大好きで必ず読んでいます。このように合格できましたのも、神癒祈願のお蔭と感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

30,「大音響性突発性難聴」が消えた 

                     千葉県 K.Hさん 「宝蔵」第262号より 2008年1月3日更新

合掌ありがとうございます。
6月17日のことでした。娘が急に耳が聴こえなくなったと申しますので、直ぐに私立松戸病院で診察をして頂きました。
医師の診断は「大音響性突発性難聴」というやっかいな病気で一生治らないこともあると云うことでした。娘は相当のショックで落ち込んでおりました。
もうこれは宇治の神癒祈願しかないと直ぐに祈願をお願い致しました。神癒祈願を申し込んで一週間後、6月22日にもう一度詳しく検査をするということで病院へ行き、再検査を致しました。検査の結果は「異常なし。治っています」と云うことでした。
これはまさしく神癒祈願でお祈りして頂いた御蔭と只々心より感謝申し上げます。娘も最近では以前よりよく聴こえるようになったと喜んでおります。
これからは報恩感謝で人類光明化運動に邁進させていただきます。ありがとうございます。 再拝

29,初産の予定14日過ぎて無事大安産

                     京都府 T.Mさん 「宝蔵」第249号より 2008年1月2日更新

合掌ありがとうございます。 祈願をして頂き、有り難うございました。
私は、妊娠40週を迎えてもなかなか陣痛がこないので、 心配していると、 私の母が宇治別格本山へ足を運び、 神癒祈願の申し込みをしてくれました。
4月25日が予定日でしたが、5月9日に無事に元気な男の子を出産することができました。 14日遅れの出産でしたが、 陣痛促進剤を用いることなく、 自然な陣痛がきて下さり、 深夜だった為、 主人も立ち会うことができました。 何よりも大安産で、 初産と思えないほどでした。 本当にありがとうございます。 このような素晴らしい事は、 神様、 御先祖様両親のおかげと感謝しています。
この気持を忘れずに、 日々感謝の心を持ち続けて明るい家庭を築きたいと思っています。
有難うございました。 再拝 

28,慢性のC型肝炎癒ゆ  

                          T.Mさん 「宝蔵」第264号より 2008年1月2日更新

合掌ありがとうございます。 私が生長の家の御教えに出会いましたのは、平成19年の春でした。実は、5年前にC型肝炎にかかり、入退院を繰り返し、昨年3月にも16日間も入院しました。
前途に夢も希望もなく、これからの老後のことを思うと不安でした。そんなとき、以前からご縁がありました方よりお話を伺い、その様な不安や心配が病気を治らなくしている事を知りました。
早速宇治別格本山の神癒祈願を勧められ、6月末に始めて申込を致しました。3ヶ月に1度の肝機能検査が7月にありましたので受けましたところ、GOTが70、GOPが48と今までにない正常数値になっていました。今まではGOT、GOPの数値とも三桁の数値でしたので、ビックリするやら嬉しいやらで、これは神癒祈願のお蔭だと思いペンを取りました。
これからは、生長の家の御教えをより一層学び、精進していきたいと思います。ありがとうございます。

27,難関の市職員採用試験に見事合格

                          K.Mさん 「宝蔵」第257号より 2008年1月1日更新

宇治別格本山へ3人の娘と共に初詣させていただきました。そして、4人で写経を供養させていただきました。清々しい気持ちにならせていただきました。
長女が○○市職員採用第1次試験(保育士)に合格させていただく事ができました。第2次試験が1月10日(口述試験)14日(実技試験)に行われるという事で神癒祈願をさせていただきました。倍率15倍という難関を見事合格させていただく事ができました。
家族みんなが喜んでおります。本人はもちろん自分の思う道に就けることに感謝しております。ありがとうございます。 合掌

26,娘最上級資格試験・孫国立大学各々合格

                           Y.Mさん 「宝蔵」第245号より 2008年1月1日更新

合掌ありがとうございます。 2年続きの祈願成就に心から御礼申し上げます。
一昨年秋、 娘が職場の最上級の資格試験を受験するとのことで、 早速宇治へ祈願の申し込みをさせて頂き、 娘は神癒の人型を身につけて受験をいたし、 暮も押し詰まった頃、 合格の連絡を受け、 祈願部へすぐお電話でお礼申し上げておりました。
そうしてまた今年、孫が国立大学を4倍の推薦入学を受験したとのことです。 すぐ宇治へ合格祈願をいたしておりましたところ、 生長の家大神様の御加護と御愛念を頂き合格できまして、 皆大喜びで心より感謝いたしております。
ここに重ねて御礼と心よりの感謝を申し上げます。 再拝

25,奇胎泡状妊娠と癌癒ゆ

                    高知県 S.Kさん 「宝蔵」第263号より 2007年8月25日更新

合掌ありがとうございます。七月五日の朝八時に妹から「娘が緊急手術をすることになった」と電話が入りました。私はすぐに宇治の神癒祈願をお電話で申し込みさせて頂きました。
電話で受け付けて下さいました時、「すぐに祈りに入ります」とおっしゃって下さったお言葉で、「ああ神様に救われた!」と感無量の大安心を得させて頂きました。後でわかったのですが、病院の検査では奇胎泡状妊娠の上、癌であるので緊急手術をすると云うことだったのです。
手術は十時に行なわれたのですが、最初は子宮も摘出しなければいけないと云われておりましたが、子宮も残したまま短時間で終了することができました。入院も五日間で済みました。二週間程自宅で静養しまして、現在では元気で職場に復帰しております。
これもひとえに神癒祈願でお祈りして頂いたお蔭と心より感謝申し上げます。
本当に常に導き下さいます神様、御先祖様に感謝いたします。ありがとうございます。再拝

24,良縁成就そして長男が誕生

                          H.Mさん 「宝蔵」第131号より 2007年6月6日更新

6年にわたり、長い間“良縁成就”の神癒祈願をお願いしておりましたが、本当に素晴らしい方と御縁を頂き、9月に結婚致しまして今年の7月に長男が誕生しましたので、御礼申し上げます。
4月に神癒祈願を申し込みながら、講師の先生に個人指導を受けました。先生に過去の出来事を全て話しました。私が中学生の時に両親は離婚し、私は父親と一緒に暮らしておりました。高校生になると父は酒に酔って暴行を振るうようになり、最後には自殺しました。母は再婚していたので、私は祖母に育てられました。適齢期になり、好きな男性が現れては付き合い、いざ結婚となると別れてしまう……ことの繰り返しでした。
先生は「生みの父親に感謝できない女性は幸せな結婚は出来ない。父を許し、感謝の供養をしなさい」と言われました。家に帰ってから教えられた様に浄心行をし、仏前で聖経を誦げておりますと、今まで自分のことだけを考えて利己的であったと反省し、泣けてしかたがありませんでした。父は天国からいつも私を見守ってくれていたんだと気が付き、父親の大愛がひしひしと実感されました。そして心より父に対して懺悔し、感謝することが出来ました。父に心より感謝の供養をし、神癒人型を合掌に挟んで「既に良縁成就せり」との神想観の毎日でした。祈っておりますと、心が安らかになりました。
翌5月に見合いをし、6月に結納をしまして、9月に不思議な御縁で素晴らしい方と結婚できました。とても幸せな結婚生活の毎日です。そして昨年末に妊娠しましたので、安産の神癒祈願を申し込んでおりましたが、今年の7月に無痛分娩で長男が授かりました。これもひとえに生長の家の御教えと神癒祈願のお蔭と心より感謝申し上げます。

23,盗まれた小切手帳が戻ってきた!

                         S.Tさん 「宝蔵」第126号より 2007年5月27日更新

昨年12月11日、私が社長をしております会社に泥棒が入り、小切手帳が盗まれたのです。その中の1枚は無額面で会社の実印と会社名のゴム印が押してあるものです。すぐに銀行と警察に届けましたが、若し誰かが大きな金額を書き込み、盗難と知らない善意の第三者に正当な取引き代金として渡った時は、私共の会社の存続に関わる恐れもあります。不安でしたので栄える会の役員に相談しましたら「盗んだ人の幸せを祈ることだよ」と言われました。そこで、毎日「泥棒様有難うございます。この小切手で他の人が迷惑を受けることがない様に、神様有難うございます」と紙に書いて祈っておりました。
新年になり、宇治の新春練成会に参加して、神癒祈願を申し込みました。祈願申し込みからちょうど1ヶ月目の満願日である2月2日、その盗まれた小切手帳が書留で送られて来たのです。お送り下さいましたのは、浜松市の某会社の社長さんでした。すぐに電話でお礼を申し上げると「商売はお互いさまだ、わざわざ来なくて良いよ、でも悪い人に持ち込まれなくて良かったですネ」と言われるのです。
翌2月3日、早速宇治にお礼参拝に行きました。その日は末一稲荷神社の初午祭で賑わっていました。11時から祭典に参加できましたのも、生長の家の大神の導きだと感謝しました。宇治から帰った翌日、浜松の社長さんにお礼に参上、お話しによると30才位の男がふらりと入って来て小切手帳を出し、あちこち廻ったが誰も買ってくれないので1万円でもよいと言う。もし暴力団にでも渡ると困る人が出ると思ったので預かり、お宅の会社に送ったまでですと言われる。差し出したお礼も、そんなものもらうつもりはないよと辞退された時、自他一体の愛を教える観世音菩薩様が目の前にいる社長さんだと思いました。
その社長さんは正しい信仰を持っておられる方の様な気がしたので「私は生長の家です。お読み下されば幸せです」と生長の家の普及誌を差し出しました。「そうですか、私も若い時に飛田給の練成を受けましたヨ。田んぼの中で木造でしたネ」と言われました。生長の家の神様の愛の糸は目に見えないが連なっていて、生長の家と縁のある社長さんのところに小切手帳が引き寄せられて、わが社の危機を救い、私に自他一体の愛を教えて頂いたと感謝致しております。

22,脳腫瘍が消えた!

                         O.Yさん 「宝蔵」第107号より 2007年5月23日更新

今年の3月末にひどい頭痛で動けなくなり、徳島市民病院に車で運ばれ即、入院することになりました。早速、宇治の神癒祈願を申し込みました。
最新のMRI(核磁気共鳴断層撮影)の検査をうけ、結果が4月15日に出ることになりました。当日、病院で医師より「かなり大きな脳腫瘍があります。近い時期に手術をします」と言われ、とてもショックをうけました。
練成会で学んだ「現れた事象は過去の念の影で、本来の円満完全な相を顕すには真理を行ずれば良い」と思い、教化部の早朝神想観に通い続けました。又、頭の病気は先祖供養が大切と教えられ、家族みんなで供養を始めました。そしてO家の先祖13柱を永代供養にしました。さらに除籍謄本を取って調べましたら、母方の祖母の妹が幼くして亡くなっていましたし、父の兄も幼い時に亡くなっていて、2柱ともずっと供養されずにいましたので2柱を永代供養にしました。
ある朝、早朝神想観から帰って来て自宅でウトウトとうたた寝をしていたら、夢の中で7年前に21歳で亡くなった姉が現れ「私は神の国に来て神となり、神としての仕事をしている。由紀子ちゃん!もう病気は治っているよ」と言われました。急いで病院へ行き医師に「もう一度検査をしてほしい」と頼みましたが、医師は「一度出来た腫瘍は消えたりしない。手術をしなければ目は失明するし、子供も生めなくなるんだ。何度検査しても同じことだよ」と言われました。夢の事も話し、真剣にお願いしましたところ、5月27日(私の誕生日)に再検査して頂くことになりました。これは御先祖様からの誕生プレゼントに違いないと喜んで検査をうけました。
検査後、医師は以前のレントゲン写真と今回の写真を見比べて、しばらく沈黙していましたが「どうしてかなァ……」と非常に驚かれた後で「夢で、お姉さんの言ったことは本当だったんだね。脳腫瘍は消えているよ」と言われました。2ヶ月の間、神癒祈願と多くの人の御愛念で神想観と聖経・聖典の読誦により、神の子人間の自覚に目覚めることができました。又、7月の団体参拝練成会では、総裁先生の前で今回のことを体験発表させて頂きました。これからも生長の家の御教えを行じ、多くの人々に真理を伝えてゆくことが私の使命であると深く決意しております。

21,大学院に合格!

                          K.Hさん 「宝蔵」第98号より 2007年5月19日更新

私は34才になる国家公務員です。この度、公費にて筑波大学の大学院を受験する機会にめぐまれました。この春、長崎より筑波に転居し約半年間の受験勉強を経て、この10月に受験し、神癒祈願のお陰で無事に合格を果たすことが出来ました。この度は大学卒業後12年を経ての受験であり、理系から新たに文系の学科に転じての受験でもあり、私にとってはなかなかの難関でありました。約半年間の受験勉強は様々な精神的プレッシャーによって幾度となく挫けそうになりました。そうした中で私を支えてくださったのが、谷口雅春先生の御著書『生命の実相』であり『真理の吟唱』でありました。
島根県の母が宇治の神癒祈願を申し込んで下さいました。そして私を合格に導いたのは奇蹟としか思えないことによるものでした。受験2日前に末っ子の娘(1才)が家で大泣きをして止まらず、私はやむなく市の図書館に行きました。そしてなにげなく雑誌棚から取り出した本の中に興味を引く記事があり、それをコピーして読んでおこうという気持ちがフト湧いたのでした。
なんと試験当日、論文の問題にズバリその記事に関するものが出題されておりました。そのことに驚いたのみならず、外国語の試験も以前に準備していたことがことごとく的中!無事合格に到ったのです。
この度の受験に際し、私にとりましてはまさしく、“奇跡的な事態”であり、準備したものがことごとく的中してゆく中に、私は神の救いというものを実感いたしました。心から感謝申し上げます。今後とも『生命の実相』を始め神誌を熟読し、非力ながら世のため人々のために献身できます様に学問し、研鑽してゆく所存であります。

20,大腸癌癒ゆ

                          O.Mさん 「宝蔵」第80号より 2007年5月17日更新

この度、神癒祈願が成就いたしましたので、御礼申し上げます。そして主人と二人の子供達と平穏な毎日を過ごさせて頂いていることに、信じられない気持ちと感謝の心で一杯でございます。
ある日、突然――主人が大腸癌健康診断で異常が見つかり、病院での再検査でも間違いなく大腸癌であると宣告され――今まで当たり前と思っていた事が、次々に壊れてゆく様な不安と恐怖に押しつぶされそうになりました。同じ金沢市内に住んでいる姉に相談しましたら、生長の家の本と宇治の神癒祈願の申込書を持って駆けつけてくれました。早速、宇治に主人の神癒祈願を申し込みまして、全ての不安から解放され、感謝の気持ちをもてる様になりました。その間、主人は三日間入院し、ファイバースコープによる内視検査と、患部の先端切除による細胞検査等を受けました。
私は毎日「甘露の法雨」を読み、主人の元気な姿を心に描き祈りました。入院・手術を覚悟して、検査結果を言いわたされる診察に伺うと、医者はバツの悪そうな笑顔でおっしゃいました。「不思議なことに癌の根元はキレイでした。悪性だった先端部分は、先日切り取ったのでこれで終わりです。」――私は奇蹟だと思い驚きました。そして喜びがあふれました。もう一度、主人と私の新しい人生を送らせていただくことができ、心より感謝いたしておりますこれも神癒祈願の賜と厚くお礼申し上げます。生長の家にあまり熱心でなかったので、これから心をこめて行じて参りたいと思っております。

19,十二指腸潰瘍癒ゆ

                           I.Kさん 「宝蔵」第77号より 2007年5月13日更新

此の度、神癒祈願のお陰で無事、11月10日に退院することが出来ました。「あなたの十二指腸潰瘍は破れる寸前です。即、入院して下さい」と医師より言われてもぜんぜん心配ありませんでした。早速、宇治へ神癒祈願を申し込み、病院の先生、看護婦さんは神様のお使いですと拝んでおりました。三人の先生が回診に来られる度に「危機一発だったネ」と言って下さいますが、恐怖心はなく「絶食したら早く治ります」と言われますので、それなら食べないで治そうと思い、お薬も水なしで飲みました。
一週間ぶりの食事の美味しかったこと……。あたりまえのことが、こんなに有難いことか。今迄、毎日「ありがとうございます。ありがとうございます。」と言っていた事が空念仏であったと反省させられました。昼は聖経読誦。朝、夜は神癒人型を両手にはさんでの神想観の毎日でしたので、手術もせず21日目に退院できました。今後、心から感謝できる生活へと一層、精進してまいります。

18,甲状結節状甲状胞腫が消えた

                           T.Kさん 「宝蔵」第118号より 2007年5月8日更新

この度、神癒祈願のお蔭で「甲状結節状甲状胞種」が癒されましたので御礼申し上げます。
今年の三月十日頃、右首の甲状腺の辺りに親指位の大きさの痼りがあることに気が付きました。すぐに金沢市内の健生病院で診察してもらいました。医師はCT等の検査の結果、「右首の甲状腺だけではなく、左胸にも影があります。癌の疑いもあるのでMRI検査をします」と言われました。
早速、宇治の神癒祈願を申し込みました。宇治より“神癒人型”を送ってもらいましたので人型を合掌に挟んで真剣に神想観の実修と先祖供養の毎日でした。しばらくして再び病院へ行きMRI検査をしてもらいました。医師は「甲状結節状甲状胞種で、癌の疑いもあります。」と言われ、薬を頂いてきました。
私は「神様は病気などの悪は創り給わない、病気は影であるから、光をあてれば必ず消える。」と信じて、薬は一週間位しか飲みませんでした。二ヶ月目には首の腫れは無くなり、小さくなった痼りもすっかりなくなりました。医者も「これは不思議ですネ」と驚いていました。家族や親戚も「奇跡だ!」と大喜びでした。こうして「甲状結節状甲状胞種」が消えましたのも三ヶ月間の神癒祈願の賜と感謝申し上げます。

17,主人の難病-起立性低血圧症が癒される

S.Mさん 「宝蔵」第111号より 2007年5月2日更新

 この度、神癒祈願のお蔭で主人(77才)の重度の起立性低血圧症(香川県の難病に指定)が癒されましたのでお礼申し上げます。主人は二年程前より、立ち上がると目眩やふらつきの状態が頻繁にありますので病院で診察したところ「老人だからでしょう・・・・・」と言われておりました。
今年の四月に主人の容体があまりにも悪いので、丸亀市の麻田総合病院に入院しました。1ヶ月間、CTやMRI(核磁気共鳴断層撮影)等の各種の検査を受けまして、「香川県の難病指定になっている起立性低血圧症でかなりの重症です」と診断されました。この病気は原因がはっきり判明しておらず、治療法も完全には確立されていない難病でした。さらに運が悪いことに院内感染により生命にかかわる恐ろしいMRSA(メチリシン耐性黄色ぶどう球菌)に犯されていました。MRSA菌は空気中でも感染するほど非常に伝染力が強く、治療も難しいとの事で特別室に隔離されました。一時は医師より「ご主人の生命は保証しかねます」と言われました。
八方塞がりの状態でやっと生長の家を思い出し、宇治の神癒祈願を申し込みました。MRSA菌は1週間毎に検査し、四回続けて菌が出なかったら完治した事になるそうです。1回目は菌が出ましたが、宇治より神癒人型が届いた日に2回目の検査があり、その時から四回続けて菌は出ませんでした。その間、私も自宅で主人の実相円満完全を日夜、神想観で念じておりました。そして朝夕は御仏前で先祖供養を真剣に行じておりました。
医師は短期間にMRSA菌が消えた事に非常に驚かれていましたが、更に重度の起立性低血圧症も同時に癒されている事が判り「世の中にはこんな奇跡もあるんですネ」とビックリしておりました。主人は約2ヶ月間入院し、6月に退院しました。この様に数々の難病が癒されたのも、生長の家の御教えと神癒祈願のお蔭と、心より感謝申し上げます。

16,黄紋筋融解症、急性腎不全、肺炎癒ゆ

N.Hさん 「宝蔵」第164号より 2007年4月28日更新

 この度は私の主人N.Y(72才)が無事退院出来ましたことをお礼申し上げます。それも「神癒祈願」(4回目)の満願の日(5月15日)にです。神様本当にありがとうございました。
1月7日、主人は急に手足が動かなくなり、救急車で運ばれ即、入院となりました。医者によりますと、病名は黄紋筋融解症、急性腎不全、肺炎とのことでした。
入院から3日過ぎた頃からは、息も苦しくなりました。そして人工呼吸器を付けて、マスクをかけたまま約10日間も眠り続けていました。その後、のどを切開し、そこから人工呼吸器の管を入れて酸素を送りました。点滴は身体に5種類くらい入れていました。本当に毎日が大変で、1月、2月…と月日が流れていきました。その間、毎月「宇治の神癒祈願」をお願いしておりました。
そして点滴もはずれた頃、まだ手足があまり動かないため、寝たままでリハビリを続けました。そして、今まで立つことができなかった主人が、やっと一人で立てるようになりました。また、のどの人工呼吸器の管もはずれて、声を出して話すことができるようになりました。そしてついに4ヶ月目の5月(4回目の満願日)に退院することができました。ありがとうございます。
医師に「50人に1人の割合でしか助からない病気だ」と言われました。そして「N.Yさんがこんなに元気になって、退院できたのは医者としても嬉しいことだ。」と喜んで下さいました。神様、本当にありがとうございました。

15,腸閉塞癒ゆ

N.Hさん 「宝蔵」第163号より 2007年4月25日更新

 3月9日の夜8時頃、息子のN.T(48才)に突然腹痛が起こりましたので、病院に走りました。診察した病院の医師によりますと「腸閉塞」との診断でした。
息子は6才の時にこの病気に罹り、危険な状態になりまして、1ヶ月の間に3回の手術を受けました。そして生死の間をさまよい、命は助からないと言われましたが、その時は奇跡的に全快いたしました。
それから40年間というもの、その後遺症と申しますか、疲れたり冷えたりすると、たびたび「腸閉塞」が起きたのですが、今回が一番の重症で、医師の話では「手術しても危ないし、手術しなくても非常に難しい危険な状態である」と言われました。
そこで早急に宇治別格本山の「神癒祈願」をお願い致しました。そうしましたら不思議なことに、真にその日から急に腸が動きだし、便がたくさん出るようになりました。
それから「神癒人型」が届きましてからは、息子のパジャマのおなかの辺りに人型を身に付けましたら、熱も下がり、1日、1日と順調に回復して参りました。そしてありがたいことに、手術もせずに17日間の入院だけで退院させて頂きました。担当の医師も「不思議なことがあるものだネ!」と驚いておられました。本当にありがとうございました。神様に心より感謝申し上げます。

14,神癒人型と同時に兄の重症の喘息癒ゆ

W.Cさん 「宝蔵」第93号より 2007年4月21日更新

 この度、宇治の神癒祈願のお蔭で兄の喘息が癒されましたので御礼申し上げます。4月の初め、実家の兄であるN.H(59才)の家を訪ねますと、2年ほど前から重症の喘息で入退院をくり返している事を聞かされました。兄の入院している岐阜市の国立日野病院へ見舞いに行きますと、兄は喘息の発作でベッドに休んでいました。一言一言お話しすることがやっとの様でとても苦しそうでした。聞くところによると、「発作がひどく呼吸が止まりそうになり、1日3回の点滴をしてもなかなか発作が治らないで困っている」ということでした。その苦しそうな兄の姿を見ていると、一生病院から出られないのではないかと不安でした。
その姿を見て、私に今出来ることは何か……と祈り続けました。何としても兄を救ってあげたいと念じておりますと、霊界の父母やご先祖様のお導きとつながるには宇治別格本山へ行くことだと思いました。4月末に宇治で神癒祈願を申し込みました。4月30日に病院へ行ったとき、兄は点滴をうけながらも発作がひどく、話もできない様な苦しみの状態でした。
しかし、5月3日に宇治より神癒人型が届いたその日から、兄の喘息の発作がピタリと止まったそうです。そして薬もいらなくなり、長かった苦しみから解放されたのでした。医師も「こんなに急に良くなるのは、不思議だ」といわれたそうです。その日以来、兄の発作は一度もおこらなかったそうです。退院は神癒人型の届いた日からちょうど1ヶ月目(満願日)の6月3日でした。
兄は今ではすっかり元気になり、家業の建築業に張り切って働いております。「これも生長の家のお蔭」と、自発的に聖使命会員に入って下さいました。本当にありがとうございました。

13,“龍宮の使い”に癒される

N.Hさん 「宝蔵」第90号より 2007年4月17日更新

  先月の或る朝、洗面中に鼻に血の凝りがついているので不審に思っていたら、朝食後に鼻血が出て止まらず急遽、病院へ行き手当てを受けました。しかし結果は良くなく、止血してもしばらくすると出血する状態でした。そこで宇治別格本山へ神癒祈願を申し込みました。その間、他に余病がないかと病院でレントゲン検査やいろいろの診察を受けましたが、どこも異常なしとのことでした。
私は一人暮らしで、息子家族は400メートルぐらい離れた所で乳牛80頭を飼育して酪農をしております。 夜一人で寝ていると鼻血が腔内に出て、血の固まりとなるので不安の毎夜でした。
宇治の神癒祈願を申し込んでから4日目の夜、午後6時頃床に入りました。うとうとと眠りに入った頃、夢を見ました。一人の上品な嫗が、私の顔をしげしげと見下ろしているのです。最初、亡くなった母かなぁと思いましたが、そうではありませんでした。「貴女はどなたですか?」と聞きますと、その嫗は「龍宮からの使いです」と言われました。私はゾーッと寒気がして目が覚めました。そしたら、障子が開き嫁が現れました。嫁は夜の牛舎での仕事を終えてから、私の身を案じて来てくれたのです。時計を見ると午後10時でした。 嫁が帰ったあと、神前に座っておりましたら涙があふれ号泣しました。 あー。私の病を癒さんと、宇治別格本山の神癒の社「入龍宮幽斎殿」の神様がお使いをよこされたのだと思いますと、有難くて有難くて泣けて仕方がありませんでした。 翌朝、郵便箱に宇治からの神癒祈願の封書が入っておりました。
息子が私の身を案じて、函館の大きな病院で診てもらえと言うので素直に従い、函館の病院へ行き、そこで頭部の断層レントゲンを何枚も撮ってもらいました。まったく異常なしとのことで喜んで家に帰って来ました。以来、出血はまったくありません。 神癒祈願により“龍宮の使い”から完全に癒されましたことを感謝申し上げます。 これからはもっともっと多くの人々へ、真理の伝道に励んで参ります。

12,難関を突破し念願の会社に採用内定す

H.Aさん 「宝蔵」第132号より 2007年4月12日更新

  この度、神癒祈願のお蔭で長女(早稲田大学4回生)が、念願の日本テレビに採用が内定しましたので御礼申し上げます。同社の就職試験を受けたのが1万3千人余で、その中から7名だけの採用という、まるで宝くじにでも当選するようなものと言われていましたので、最初は無理だと思っていました。しかし宇治の神癒祈願を申し込んでいましたので、一次・二次・三次試験と進むにつれて、もしかしたら採用されるのではないかと思うようになりました。
最後の七次試験は娘を含めた15名で、社長による直々の面接でした。結果は残念ながら、7名の採用内定に残ることは出来ませんでした。毎月、神癒祈願を申し込んでいながら“なぜ……”との気持ちもありました。しかし自分の娘は不採用でしたが、採用内定をもらった他の人々やご家族はどんなに喜んでいることだろうと思うと、内定された7名の方々を祝福してあげられる自分になっておりました。そして7名の採用内定者の方々が大活躍されているお姿を思い浮かべて、祝福の神想観をしました。それから10日余り過ぎた頃、会社より「採用予定者の中の1名が辞退されましたので、繰り上げ採用することにします」との連絡を頂きました。神癒祈願を通して神様より、娘が最も希望していた会社に採用されることになったのです。このように最高の喜びを与えてくださった生長の家の御教えと神癒祈願の諸先生方に心より感謝申し上げます。

11,不登校の娘が満願日より学校へ行く

T.Eさん  「宝蔵」第130号より 2007年4月8日更新

  この度、神癒祈願のお蔭で二女(高三)の不登校が癒されましたのでお礼申し上げます。娘は今年の三月初めより体調不良と精神的な問題で高校へ行かなくなりました。病院へ行きましたら「入院しなさい」との事で、五月の初旬まで二ヶ月間入院しました。退院後、娘と一緒に宇治別格本山の五月一般練成会を受けました。練成会中娘は夜も眠れず、食事を頂くことも出来ませんでした。又、行動も尋常ではなく本山の先生方や他の練成員にもご迷惑をかけることが多くなりましたので、十五日の夜に自宅に帰しました。私は流産児供養祭が終わるまでは練成会をうけたいと主人に電話でお願いして残りました。
五月十七日、幽斎殿行事に参加した際に娘の神癒祈願を申し込みました。十九日に自宅に帰ってみると、娘は元気になっておりましたが、無断で外出したり夜中に何度も起きたりの状態でした。私は自宅の仏前で、先祖供養の時は「甘露の法雨」を、流産時供養の時は「天使の言葉」を朝・昼・晩と誦げはじめた日から娘は外へ出ていくこともなく、夜もぐっすり寝るようになりました。
六月十七日朝、娘が学校の制服を着て二階から降りてきたのです。その日は不思議にも神癒祈願の1ヶ月目の満願日でした。その日以来、娘は毎日元気に通学しています。
娘がこんなに早く回復して学校へ行けるようになったのも、宇治の諸先生方の御愛念と神癒祈願の賜と心より感謝申し上げます。

10,長女(新生児)の心臓病癒さる

S.Aさん「宝蔵」 第124号より 2007年4月4日更新

  この度、神癒祈願のお蔭で長女・桃子の心臓病が癒されましたので御礼申し上げます。
2月5日、二人目の子供である長女の桃子が生まれました。3月に1ヶ月検診を受けましたら診察の結果、心臓に穴があいている(病名は心室中枢欠損症)と言われました。医師の話では「お子さんは新生児なので、治療は無理であるから、しばらく様子を見ましょう」とのことでした。
早速、宇治の神癒祈願を申し込みました。それから1ヵ月後の4月の検診では、桃子の心臓の雑音が小さくなっているので「心臓の穴が閉じかけている」と医師に言われ、うれしくて涙が止まりませんでした。何の治療もせず、神癒祈願を毎月お願いしておりました。そして8月の6ヶ月検診のときには、すっかり心臓の雑音も消え、各種の検査の結果、「心臓の穴が完全に閉じて、心室中枢欠損症が完治しました」と医師より言われ、家族中で喜び合いました。間もなく桃子も1才の誕生日を迎えますが、健康に成長しております。
これもひとえに神癒祈願のお蔭と感謝申し上げます。

9,耳朶(みみたぶ)の腫瘍が癒やさる

Y.Iさん「宝蔵」 第122号より 2007年3月28日更新

 この度、神癒祈願のお蔭で腫瘍が癒されましたので厚く御礼申し上げます。
私の右側の耳朶に出来た腫瘍が“皮膚ガン”に移行するのを防止するために切除手術をするようにと、近所の皮膚科医院の医師に言われました。7月20日、医師の紹介状を持って県立病院に行きましたら、その病院の医師は「患部は筋肉部が薄く切除は非常に困難であるから、入院した方が良い」と言われました。私も高齢(83才)のため大部屋よりも個室ベッド待ちをお願い致しました。しかし、願わくば「入院不要となりますように」と、同日直ちに宇治の神癒祈願を申し込みました。
個室ベッドはなかなか空かず1ヵ月後、再度診察を受けましたところ、不思議なことになんら治療もせず、ただ入院待ちをしていたのに患部が著しく縮小しているので、医師二人が協議の結果「この程度まで快方に向かったので入院不要」と言われました。
私は神癒祈願でお願いした、吾が願いを諾き給うた神様に、ただただ有難く感激致しました。病院の医師より「入院は不要となったが通院で切除する」と言われ、その手術日を9月11日と決められました。
私はそこで厚かましくも又、2回目の神癒祈願を申し込みました。内容は「前回(7月)入院不要となるようお願い致しましたところ、多大の神癒を頂き神は私の願いを諾き給い入院不要となりました。こい願わくば神癒により通院切除の手術も不要となりますようにお願いします」と祈願内容に書きました。
神様は再度の厚かましい願いも諾き給いました。約束の9月11日、病院に行きましたら二人の医師より「切除手術が必要ない状態に快癒している」と申されました。1度ならず2度目も神癒の不可思議、有難さにただただ感謝感激お礼の言葉もございません。今から思うに7月20日に入院せよと言われたとき、大部屋でも良いと直ちに入院していたら難しい手術をして、予後未だ入院中かもしれないと思えば、神癒祈願の有難さに感涙致しました。2回の神癒祈願により耳朶の腫瘍が癒されましたことに厚く御礼申し上げます。

8,主人の腎臓結石が消えた

A.Kさん 「宝蔵」 第83号より 2007年3月25日更新

 4月8日、主人がひどい悪寒と発熱、そして腰・腹部の激痛のため小郡第一病院に緊急入院しました。医師の診察と各種検査の結果は、腎臓結石とのことでした。当日は寒気がひどいと言うので主人の背中にカイロ(・・・)を入れて温めて休ませました。夜中にやっと汗が出てきたので、身体を拭こうとしたら背中が低温やけどとの事で、医師の治療がはじまりました。私は夜通し主人の枕元で「甘露の法雨」を誦げていました。
翌朝、早速宇治の神癒祈願を申し込みました。主人は毎日、2回の点滴と火傷の治療でした。結石の方からくる痛みは3~4日でやわらぎましたし、火傷の方も2週間で全治致しました。
レントゲンの検査では、まだ結石(大豆粒位)が2個もありましたが、退院しました。病院より、自宅近くの個人病院を紹介されました。退院してから1週間目にその病院へ行きました。
レントゲン検査や色々な検査の結果 ― 腎臓にあった2個の結石はあとかたも無く消えてなくなっておりました。医者も「これは不思議やなァ」と驚いておりました。これも神癒祈願の賜と深く感謝申し上げます。

7,神癒祈願と御先祖の守りで孫の麻疹(はしか)癒ゆ!

N.Tさん 「宝蔵」第81号より 2007年3月22日更新

 1才と9ヶ月になる孫の堅太(けんた)が、半月あまりもの間、夕方から夜になると40度の高熱で苦しんでいました。近所の医師は「風邪のために熱が上がるのだろう」との診断でした。あまり長引くので宇治の神癒祈願を申し込みました。神癒人型が届いた頃より、堅太の体中に赤いブツブツの斑点が沢山出て、医者より「麻疹ですネ」と言われて安心しました。 朝は「甘露の法雨」、昼は「続々甘露の法雨」、夜は「天使の言葉」と毎日、仏前で聖経を読みました。
それから4日目の夜、7時半頃に堅太が眠ったので、台所から聖経を誦げ終わって間もなく、どこからともなく多数の人がお経を誦げている声が聞こえてきました。
「オヤ、変だなァーテレビの音かもしれない」と思い、お婆ちゃん(90才)の部屋を覗きましたら、イヤホーンを耳にテレビを見ていました。となりの堅太の寝ている室内のテレビの音かなァと思って入りますと、テレビは消えており、その室内に安置している仏壇の中より大勢の声で『甘露の法雨』を読経しているではありませんか。思わず合掌してその場に座り込んでしまいました。時間は夜の8時から15分位だったと思います。
私の家の御先祖様はみんな生長の家で(沢山の方を永代供養や霊宮聖使命会に入れておりますので)すから、きっと私達子孫を守って下さっているのだと感謝しております。神癒祈願のお陰で、孫も順調に回復して今では元気に保育所へ通っております。熱心に祈って下さった先生方に心より感謝申し上げます。

6,1回目で見事に合格!

H.Uさん 「宝蔵」第76号より 2007年3月18日更新

 昨年10月の宅地建物取引主任者(宅建)試験の合格者が、 12月4日に発表され、小生はめでたく合格させていただきました。
昨今、宅建試験も法律改正や不動産ブームのあおりを受けて難関となり、 ここ数年は毎年40万人もの受験者で、合格率は10%弱となっています。
小生が1回目の受験で見事に合格できましたのは、神様のお導きで 最も必要な参考書・問題集などを授かり、短期間に効率的に勉強できたこと。 また、試験直前よりお願いしました宇治の神癒祈願のお蔭で、試験当日は 心が落ち着いて、充分な力を発揮できたことであると感謝申し上げます。
「神癒人型」を胸のポケットに入れて試験に臨みました。 120分の時間のうち 100分で一通り終え、残り20分で見直しましたが、不思議と見直した箇所に 間違いがあり、訂正して正解を得ました。 普段なら間違っていたような問題でも正解を得ていたようです。 これも神癒祈願のお蔭と感謝いたします。
結局、自己採点で41/50(合格ラインは31/50といわれています) ということで楽勝だったようです。
これも神癒祈願のお蔭だと、感謝しております。

5,失明寸前 - 癒される

O.Nさん  「宝蔵」第84号より 2007年3月15日更新

 6月23日午後4時30分頃、中学2年生の二男桂太が通っている中学校より電話がありました。
「お宅の桂太君が野球の練習中に、自打球を右目に当て、右目が見えないと、痛がって苦しんでおります」 早速、自家用車で学校に行き、そのまま隣町の沼田市の代田眼科医院に行きました。お医者さんが、種々の検査をした後、「息子さんの右目は眼底出血をしており、さらに網膜剥離で失明寸前の危険な状態です。もう一度出血したら必ず失明します。しばらく絶対安静にしておいて下さい」と言われました。帰宅後、実家の母に電話をしたら、母は「宇治の神癒祈願を申し込んであげるから大丈夫よ。桂太は絶対に目が見えるようになるから安心しなさい」と励まして下さいました。
息子にもこの事を話し、「桂太、絶対に見えるようになるからね。心でそう思い続けるんですよ」と強く強く教えました。実家の母が神癒祈願を申し込んだと思われる頃より、息子が「お母さん右目がかすかに見えるようになったよ」と嬉しそうに言いました。息子は一週間、絶対安静の状態で寝ておりました。一週間後、再び代田眼科医院に行き診察を受けました。医師は「これは不思議だなァ。出血した後も消えており、また網膜剥離も治っております。これで、もう安心ですよ」と言われました。翌日より登校しました。その後、息子も野球の部活に復帰し、元気に勉学に運動に頑張っております。
二男が失明寸前までなりながら、短期間で治ったのも神癒祈願のお蔭と、心より感謝申し上げます。私も母から送ってくれる「白鳩」誌をたまに読む程度の信仰でしたが、これを契機に、一所懸命み教えを行じて参りたいと決意しております。

4,6つの癌が消える

U.Mさん  「宝蔵」第70号より 2007年3月12日更新

 昨年の九月のこと、ある日突然お医者さまから「卵巣癌が、胃も腸も肝臓も腎臓も肺も全部に転移してしまっているから、あと三ヶ月くらいしか命がもたない」と言われ、余りにも突然で、もう目の前がまっ暗になり、もうどうしていいのかわからないままに、癌の治療が毎日つづき、それはもう口では言えない程の苦しい、つらい泣きどうしの日々が続いている時、同じ病院内の家政婦さんに生長の家の方がおられ、その人が「宇治の神癒祈願を申し込みなさい。」と言って下さり、もう、わらをもつかむ思いで神癒祈願の申込書を一所懸命書き、宇治へ出してもらいました。
そして聖経「甘露の法雨」を息たえる体で毎日、一所懸命読まして頂きました。
そのお蔭でお医者様がびっくりする程の奇跡がおきたのです。「あと三ヶ月でだめだ」と言われた癌がたくさん消えて、まるで夢のようです。
私は生長の家のお蔭でこんなにも、元気にして頂けました。もうただただ感謝するばかりで胸がいっぱいです。ほんとうにありがとうございました。

3,孫の骨の異常が癒された

ハワイ 日下美智子 『宝蔵』256号より 2007年3月4日更新

 10月6日頃だったと思います。私の息子の嫁が慌てた様子で電話をかけてきました。今すぐお祈りをお願いしますともう真剣なのです。私は何が起きたのかとびっくり致しました。それですぐにハワイの教化総長の田村先生に電話をかけて、宇治の神癒祈願をお願い致しました。田村先生は宇治に連絡をして申し込んで下さいました。
小学六年生になるリサ(孫)が九月の身体検査の時に異常が見つかったらしいのですが、 その時母親である嫁は、そんなに悪いとは思わなかったらしいのです。その後、特別な骨の専門の先生に診察をして頂いた所、嫁が思っていた以上に悪く、その先生が言われるには、「骨が曲がっている。これは絶対に治らないからコルセットかギブスを身体に付けてこれ以上悪くならないようにするか、それでも良くならなかったら、手術をするほかない」と言われたそうです。私はリサがかわいそうで、今まで以上に真剣にお祈りしました。リサには朝起きたらお祈りのコトバを20回する様に教えました。
1ヶ月後に再検査という前の晩に、嫁が医者から言われたことをリサに話しましたら、びっくりして泣いて困って、「お母さんお祈りをお願いします」と夜遅く電話がかかってきました。私はリサと電話で、
「リサは神の子です。神様がちゃんと守って下さいます。お任せしましょうね」と言って聞かせました。
次の日、学校が終って病院へ診察に行った所、1ヶ月前のレントゲンとその日にとったレントゲンを
父親である息子も見たそうですが、曲がっていた骨が真っ直ぐに治っているのがはっきりと分かったそうです。
リサは病院から何も付けないで、とても元気になって帰ってきて、「グランマー、サンキュー」と電話をしてきたので、「神様がいつもしっかり守って下さっているのが分かったでしょう、これからも毎日神様に感謝をして、お祈りもしっかりしましょうね。」と言ったのです。1ヶ月の間に曲がっていた骨が真っ直ぐに治っていたなんて、神様のお守りがなければ、絶対に出来ません。
今迄、人の体験を聞いたり、本で読んだりはしていましたが、自分がこんなにすばらしい体験をさせて頂き、びっくりして感謝一杯でございます。孫娘リサは私にとってすばらしい先生です。リサにこんな事が起こってから私にはすごい勉強でした。本当に有難うございました。

2,主人のくも膜下出血が癒やされた

Y.Sさん  「宝蔵」第194号より 2007年3月1日更新

 このたびは、主人の神癒祈願をして頂き、本当にありがとうございました。
私の主人は建具業です。10月1日の午後、近くのお寺の本堂で、梯子(はしご)をかけて仕事をしていたそうです。ちょうど梯子の一番上まで登った時、気持ちが悪くなり何も判らなくなったそうです。
お寺から電話で「ご主人が、梯子から落ちたので、救急車を呼びました」
との知らせにびっくりして、駆けつけた時には、気を失っていて真っ青な顔をしていました。
何時間も病院で待たされた結果は、くも膜下出血でした。手術は無事成功しましたが、脳内出血がひどい為、後遺症が残るだろうと、先生に言われました。
どうしてよいか判らなくなり、早速に宇治の神癒祈願をお願いいたしました。
2週間は集中治療室で過ごし無事、個室に移りました。1ヶ月少しで退院することができました。
病院の先生から「あなたは運の良い人ですね。こんなに何の後遺症も無く元気になれる人は、10人に1人ぐらいですよ。」と言われ、とても嬉しくなりました。
梯子から落ちた時も、下にちょうど和尚様がいてくれて、70kgの夫を体ごと受け止めてくれたそうです。ほんとうに運の良い主人だと思います。これからも生長の家の生き方を忘れることなく、頑張っていきたいと念願しております。

1,4つの大学に合格

H.Aさん(74歳)  「宝蔵」第246号より 2007年3月1日更新

 合掌ありがとうございます。孫娘の大学合格の神癒祈願を宇治別格本山にお願いしまして、大変お世話になり、ありがとうございました。本人は、体が十二分に回復していない中で、「神癒の人型」と聖経を身につけて、私立大学3校の受験に行きました。
おかげ様で3校とも合格し、夢のようでした。最後に難関の国立○○大学を受験し、見事に合格通知を受け取り、嬉しいのと同時に驚きました。
早速、仏壇のご先祖様にご報告し、改めて喜びをかみしめました。これもひとえに、生長の家大神様のご加護と神癒祈願のお蔭でございます。希望する大学に合格できましたことを家族一同、大変喜んでいます。心より感謝申し上げます。
これからも毎日、ご先祖様のご供養、聖経読誦、神想観を行じ、明るく感謝の日々を送らせて頂きます。