200,浄心行と沢山の御先祖の悦び

                      S.Cさん 「宝蔵」第61号(H2.11)より 2009年11月27日更新

昨年6月に、姉が何十万人に一人という悪性白血病に罹り、それが神癒祈願で癒されて以来、姉は10キロも太り、元気に働いています。そして次々と、私も神癒の導きを得ております。
今回9月15日夜の浄心行で主人と私の実家双方の「先祖代々親族縁族一切の悪業悪因縁消滅」を願ったところ、「何十とも、何百とも見当がつかない程の、御先祖の感謝の言葉を聞く」と言う体験を得ましたので、その模様を次に述べます。
浄心行の4日前、9月11日に地方講師の方のお宅で浄心行をさせて頂いたところですので、余り思い浮かぶこともありませんでしたけど、書き出してみると、2枚の紙がいっぱいになるほどありました。そして最後に「○○家先祖代々親族縁族一切の悪業悪因縁消滅す」と、婚家先と実家の先祖4家を書いて出しました。もう浄心行が始まりますと直ぐに、涙がぼろぼろこぼれ、恥ずかしい程でした。
聖経『甘露の法雨』の読誦が始まると少しして、どうも後の方から凄い数の人たちの聖経『甘露の法雨』を読む声が聞こえてきました。とっさに、「これは御先祖様達が、一緒になって浄心行をしていらっしゃるんだ」と解り、多分私の声も歓びで、一層大きな声になったと思います。
そして最後に「久遠いのちの歌」が始まると、「ありがとうございます。ありがとうございます」と言う声が、再び耳の後ろで、高らかな声で、何十とも、何百とも、見当がつかない程の声で聞こえてきました。

199,水子の知らせと永代供養

                      Y.Sさん 「宝蔵」第61号(H2.11)より 2009年11月21日更新

神癒祈願をしましてから今日まで、つわりというつわりがなく、また自分でも「何を食べようと思い煩う事なかれ」という気持ちと、「お腹の子は神様が育てて下さる」という安心感で過ごさせて頂き、お腹の子も順調に、スクスクと育っております。
私は昨年最初の子を死産しまして、悲しんでおりました時に、宇治の永代供養を勧められて、供養をしたのが縁で、6月の練成会を受けさせて頂きました。楠本先生初め諸先生方の、素晴らしい熱きお話は、私の心にずんずん入っていきました。特に楠本先生の「父母に感謝」でのお話は、親不孝であった私にとって、一番身にしみました。本当に「両親に申し訳なかった」と思いました。
そして私は、6年位前から(練成を初めて受講した時)、背中に人の手の触れる感じがしたのです。いつもではないのですが、よくありました。「誰か後ろにいるのか」と思って振り返ってみたこともあります。その時から宇治に行くまで、「御先祖様だ」と思っていました。宇治にいる間中、その手の感じは強く現れていたので、不思議に思っていました。
そうしていると、楠本先生の「流産児供養」のお話があったのです。聞いている内に、ふっと頭の中をよぎったのです。「背中の感じは、私の弟か妹になるはずだった赤ちゃんだ。多分そうだ」と思いました。今までそういう赤ちゃんがいたということは、知ってはいたものの、「長い間気がつかなくて、本当に申し訳なかった、ごめんね」と、懺悔の気持ちで涙が出て来ました。供養祭では「みんな幸せでありますように」と招霊祭員をさせて頂きました。帰りまして、直ぐに両親に宇治のことを話しました。早速その子を永代供養させて頂きました。
それから、いつとはなしに気がつくと、背中の感じが全然ないんです。「あぁ、やっぱり私の兄弟だったのだ。よかった、本当によかったね」と、心から思えるのです。私も嬉しいんです。

198,娘の水疱瘡

                      M.Mさん 「宝蔵」第68号(H3.6)より 2009年11月21日更新

この度、娘の水疱瘡で祈願を受けましたところ、重症と病院で宣告されたにも拘わらず、驚く程速やかに治癒致しました。娘のお礼状を同封させて頂き御礼に替えさせて頂きます。
本人(娘)の礼状
「この度は一ヶ月の神癒祈願ありがとうございました。お蔭様で心配していた水疱瘡も跡形は殆ど残らずに癒えました。
最初にかけつけた病院で、『大きくなってから水疱瘡になると、跡形が残る可能性がある。顔に出て来たらすぐに入院してもらう』といわれ、不安が一層増しました。次の日私が小さい時からお世話になっている病院に、どうしても行きたくなり、連れて行ってもらいました。『ああ、これやったら大丈夫や』と言ってくれました。何かほっとして、昨日の不安もなくなって、帰ってから『生命の實相』を読んだり、講話テープを聴いたり、写経をしたりして、水疱瘡や全てのことに感謝するようにしました。 」

197,母の視力が回復しました

                      M.Tさん 「宝蔵」第289号(H21.11)より 2009年11月9日更新

私には、緑内障を患っております母がおりますが、その母が先日突然目が見えなくなり、手術をするとの電話がありました。
私はすぐに神癒祈願をお願いしました。
私は生長の家とのご縁はまだ日が浅いのですが、ある誌友の方が、時々声をかけて下さって、誌友会や講演会などに、参加させてもらっているのですが、このような、ご愛念をずっとかけて下さったお陰だと感謝の気持ちでおります。
祈願をお願いした後は、お医者さんの腕を信頼するしかないと思いました。
申し込み後に送られてきたお守りの「人型」を母に渡したところ、とても喜んでくれました。よほど不安な気持ちだったようで、母はすぐに袋に入れて、肌身につけてくれていました。
お医者さんからは一時、「保険のきかない高価な薬を使うようになるかもしれない」、また、「再度手術ということになるかもしれません」ということだったのでしたが、結果はその必要もなくなり、手術も無事に終わることができました。本当にありがとうございました。
その後も、順調に回復することができました。
1ヶ月の祈願の期間が終わって、母に「満願になったので、お守りをお返ししますよ。」と申しますと、母は、人型を両手にはさんで、深々と頭を下げて「ありがとうございました」と心から感謝して、言っていました。その姿をみて、母の不安だった時の気持ちを再び思いました。祈願していただき、本当にありがとうございます。
今では目がよく見えるようになって、とても喜んでいます。


196,就職が決まった

                      N.Nさん 「宝蔵」第240号(H17.10)より 2009年11月9日更新

この度は、神癒祈願により、念願の就職が決まりましたので、お礼のお手紙を書かせて頂きました。私は「神様は、私に一番合う職場に必ず導いて下さる。神様、どうぞよろしくお願いします」と神に全托し、前の勤務先に感謝祝福し、応募した会社を感謝祝福しました。そして「神様、この会社に最も相応しい人が採用されますようお導き下さい、両親を喜ばすことが出来るようにどうぞお導き下さい。」と祈りました。すると、何と40人の応募者の中から、私が採用されることになりました。採用後、面接担当者にお伺いしたところ「あなたは雰囲気がいいし元気がある」と担当者全員が私を気に入って下さり、応募者全員の面接が終わらない内から、私を採用したいと思っていらっしゃったそうです。「こんなことってあるんだなぁ」とすごく驚きました。嬉しかったです。母が祥月命日供養祭のため、宇治別格本山へ参りました正にその日、社長から採用のお電話を頂きました。きっと霊界の御霊様が見守ってくれたのだと思います。
今回、何より嬉しかったことは、父と一緒に就職の悦びを分かち合えたことです。父は3年前に大手術を受けました。若しあの時父が亡くなっていたら、こうして一緒に喜び合うことは出来なかったでしょう。父が元気で生きていてくれることが嬉しくて有難くてたまりませんでした。就職が決まった後、社長から「色々準備もあるし、初出勤の日はそちらで決めて下さい」とのお言葉を戴き、一週間のお時間を頂くことになりました。「神様は本当に優しく行き届いていらっしゃるんだなぁ」と感激しました。就職が決まった上に、念願の宇治の練成会にも参加できることになり、嬉しくてたまりませんでした。本当にありがとうございました。

195,意識不明、心臓停止から回復

                      N.Sさん 「宝蔵」第288号(H21.10)より 2009年11月1日更新

7月19日の朝、妹から、弟(57歳)が「今朝七時頃トイレで吐血して救急車で医療センターに運ばれた」と電話があり、主人と急いで駆け付けました。
医師の説明では「以前からできていた胃潰瘍付近の血管が破裂して、胃の中や内臓の周りに血液が充満して、吐血下血しています。病院に着く頃は意識が無くなり心臓停止になっていました。病院に着くとすぐ心臓マッサージをしましたが、何分位停止していたかわからないので、もしも酸素が脳に行ってなかったら、命は助かっても脳死になるかもしれません。」
「急性腎不全で、他の臓器も不全の一歩手前です。腎臓がほとんど働いてない、とても悪い状態なので血液を透析します。命だけは助けるように努力します。」
「しかし30分で処置をしないと命が危ない。生死は五分と五分ですので会わせる人がおられたら連絡して下さい。命の保証は難しく大変厳しい状態です」と言われました。
そして、「非常に危険を伴う処置ですので同意のサインをして下さい」と書類を持って来られました。
85歳の母は弟が自分より先に死ぬのではないか、と心配と恐怖でオロオロするばかりでした。私は慌てて病院から電話で神癒祈願を申込みました。直ちにお祈りに入って頂いて誠にありがとうございました。
無事処置は成功しました。
それから集中治療室で5日間過ごしました。枕元に『甘露の法雨』を2巻おいて、カセットで『続々甘露の法雨』を聞かせました。5日目の昼過ぎに意識が戻りました。医師、スタッフ一同全員で治療をして下さっていたそうですが、「誰もが、あの状態では助かるとは思っていなかった。心臓停止で何も異常が残っていないのは奇跡です。」と説明を受けました。まるで神様の声、言葉のようでした。もう大丈夫だと胸をおろしました。
順調に回復したお陰様で8月14日に退院する事になりました。私がここまで頑張る事ができましたのは、神癒祈願を出させて頂きお祈り下さっているとの思いが何よりの心の支えでした。
弟は9月より仕事に復帰しています。      

194,主人の脳動脈流破裂が癒やされる

                       K.Iさん 「宝蔵」第121号(H7.11)より 2009年11月1日更新

この度、神癒祈願のお蔭で主人(脳外科医師)の脳動脈流破裂が癒されましたのでお礼申し上げます。
2月4日の夕刻、主人が帰宅して2階の自室で電話を受けていました。しばらくして、1階にいる娘の前の電話が鳴りましたので、出ましたら主人と話していた相手の方でした。「電話中に声が聞こえなくなったので様子を見て欲しい」とのことで、娘と二階に行きましたら、主人は頭を抱えて苦しんでいました。主人は苦しみながら「脳動脈流破裂、医大の脳外科に……」と叫びました。早速、救急車で病院に運ばれる中で、主人は救急院の方に破裂した部位を知らせ、酸素吸入の量も「あと1リットル、もう2リットル」と指示していました。主人は脳外科医ですが、あんな苦しみの中でも自己診断していました。
そして、救急車の中で主人の呼吸も心臓も停止してしまいました。病院に着いてから先生方の懸命の努力で一命はとりとめましたが、大変危険な状態でした。再破裂の恐れがありますので頭の中の出血した血を抜きながら血圧をコントロールし、人工呼吸器を付けて集中治療室で手術が出来る状態になるまで待つことになりました。
入院して直ぐ宇治から「宝蔵」が届き、その中に脳梗塞で助からないと言われた方が、家族の献身的な聖経読誦のお蔭で元気になられたという記事がありました。これを読んで、とたんに勇気が湧き光が見え、宇治への神癒祈願をし、主人の枕元で聖経を誦げ、祈りに徹していました。又、娘が家から病室に持ってきてくれた大聖師御講義『続々甘露の法雨』の一冊。この御本に吸い込まれるように読みました。
そして、“病はない”と心の底から実感できたのです。主人は病に倒れ意識はないけれども、魂の半身である私が理解すれば主人も必ず判ってくれると“病なし”の真理が、体中を不思議な爽やかさでつきぬけて行きました。それらかはもう心は明るく楽しく光しか見えませんでした。現実は、体中手も脚も頭も……チューブだらけの主人でしたが実相しか見えませんでした。医師から如何に危険な状態かを説明されても、現象は物質の体“必ず治る!必ず元気になる!”という強い信念がありました。集中治療室で常に傍らで祈り、実相をみつめ、主人の生命をつないで下さる医療器具一つ一つに心から感謝していました。
出血してから16日後、意識もなく眠ったままの状態で、後頭蓋蕎脳動脈流破裂というとても困難な部位の手術を乗り越えることが出来ました。そして翌日には意識が戻り、数日後には目が開き、手が動き、足が動きと、医師も吃驚する程の早さで恢復してゆきました。そしてどこにも麻痺は残らず、3ヶ月後の5月19日に退院することが出来ました。
通常、主人のように心臓停止までし、社会復帰の可能性は1%といわれた病状であったにもかかわらず、退院と共に自宅療養もなく直ぐ職場に復帰し、今では車の運転もし、県外への出張も致しております。まさに奇蹟の連続でした。これも偏に神癒祈願の賜物と心から感謝申し上げます。

193,83歳の高齢で免許更新に合格

                      S.Cさん 「宝蔵」第227号(H16.9)より 2009年9月28日更新

私は先日、主人(83歳)が自動車の運転免許の書き換えにパスして、神様のお役に立たせて頂けたらと思い、宇治の神癒祈願のお願いをさせて頂きました。
近頃主人は視力が悪く、免許所書き換えの前にどうしても気になっておりましたので、眼鏡屋さんでめがねを作ってもらいました。しかし、新しい眼鏡をかけても0.6しか見えず、眼鏡屋さんも「残念ですが、いくら頑張っても、もうこれ以上は無理ですよ!」と言われました。帰宅した主人は意気消沈して「どうしたらいいんだろうか?」と申しますので、早速宇治の神癒祈願を申し込みました。家では主人と二人で神想観を実修し、聖経『甘露の法雨』『天使の言葉』『続々甘露の法雨』を読誦しました。そして、今まで余り仲のよくなかった異父母の弟妹に和解の神想観をしました。
そして、書き換えの前に、自動車学校の高年齢者用の講習を受けてみることにしました。すると、何と不思議なことに視力が0.9まで恢復し、他のことも全てが本当によくなって、試験官の方も吃驚なさいました。そして6月3日、免許更新のため警察署に参りましたところ、すんなりと合格させて頂くことが出来ました。警察の方も「後1回でも2回でも受けられますよ!」と嬉しそうに言われました。
主人は、遠方の誌友さんへの用事や雨の日の誌友会の折には、年老いた方、足の不自由な方達の送迎役を引き受けてくれています。これからの3年間は、本当に安心して主人に助けて頂くことが出来ると思います。宇治の皆様、本当にありがとうございました。感謝合掌

192,婚約者が歌手デビュー

                      K.Yさん 「宝蔵」第102号(H6.4)より 2009年9月28日更新

この度、神癒祈願のお蔭で婚約者が歌手デビューすることになりましたので、御礼申し上げます。
彼は数年前よりミュージシャンを目指して勉強中でした。しかし前途に不安がありましたので、昨年の2月に彼と二人で宇治の練成を10日間うけました。そして9月より毎月、神癒祈願をお願いしておりましたら、不思議なご縁で芸能関係者よりお話があり、トントン拍子に進んで、今年3月にレコード会社と専属契約を結びました。
会社の方針で、彼自身が作詞・作曲した新曲2曲をCDにレコーディングすることになりました。そして近々に歌手デビューすることに決定しました。これもひとえに神癒祈願の賜物と心から感謝申し上げます。

191,現役で東大に合格

                     K.Yさん 「宝蔵」第114号(H7.4)より 2009年9月17日更新

この度、神癒祈願のお蔭で孫(18歳)が現役で東大理Ⅰに合格できましたので御礼申し上げます。 長男一家は兵庫県に住んでおりますが、先般の阪神淡路大震災でも何の被害もなく、神様に護られていると感謝致しております。
孫はスポーツが好きで、高校1年より剣道をしており、2年生の時は剣道部のキャプテンでした。3年生になり「どうしても東大に入りたい」と受験勉強を始めました。進学塾にも通わずに家で一所懸命に勉強しておりました。
私も孫の願いを叶えてあげたいと1月より3回続けて宇治の神癒祈願を申し込んでおりました。孫の大学受験は東大一校のみで、そのたった一校の東大理Ⅰに現役で合格できましたのも、神癒祈願の賜物と心から感謝申し上げます。

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190,いとこの肝内結石が癒やされた

                     T.Cさん 「宝蔵」第196号(H14.2)より 2009年9月17日更新

この度、神癒祈願のお蔭で、いとこ(39歳)の肝内結石が癒されましたので御礼申し上げます。
いとこは、肝臓に結石が数個あるとの診断で、8月16日に地元の大学病院に入院しました。肝臓の手術は困難を伴うので、2回の手術をしました。しかしあと1個の結石は非常に難しい部位にあるので担当の医師は悩んでいたそうです。
私はいとこの入院と同時に、宇治の神癒祈願を毎月申し込んでおりました。神様の導きでしょうか、担当医がある学術誌に発表されていた、ある国立病院の医師が新薬の患部注射により肝内結石を治療する記事を知り、それをいとこに試みることになったそうです。
約1ヶ月の患部注射を続け、3回目の手術をしました。手術の結果、最も難しい部位になった結石は消えていたそうです。
入院から4ヶ月目の12月15日に無事退院し、今では元気に仕事をしております。これもひとえに神癒祈願の賜物と心から感謝申し上げます。

189,孫が医師国家試験に合格

                     M.Kさん 「宝蔵」第287号(H21.9)より 2009年9月10日更新

平成11年に、私の孫が医師になりたいとの夢をもって、中高一貫教育の私立高に入学致しました。しかし高校の頃から、勉強からだんだん遠ざかり、成績が急に落ちてしまいました。このままの成績が続いては、医学部への道は難しいからと、予備校にも通いはじめました。でも成績はそれ程変わりませんでした。
私は「孫が自分で選んだ道を是非叶えてやりたい」と思い、神癒祈願を申し込ませていただこうと決め、それから毎月お願い致しました。祈願内容は「健康で立派な医師となり、人様のお役に立てますように」と書きました。そして、有名な私立大学の医学部に合格させていただきました。
ところが入学後、一人暮らしのマンションでのんびり過ごすようになりますと、茶髪にし、ズボンのベルトをお腹の辺まで下げ、同時に顔の表情がきびしくなってきました。成績はとうとう最低となってしまいました。でも私は「こんな姿は現象で、孫は神の子で素晴らしいんだ」「実相は円満完全で霊的実在である」と感謝の心で思念しながら神想観を続けました。
神癒祈願の回数が重なるにつれ、四回生の頃からは、茶髪を止め服装も正しくなりました。下宿から帰郷しました時には、仏壇に合掌し、お墓参りも欠かさないようになりました。
そうして、いよいよ大学の卒業試験が始まりました。この試験を合格しないと医師国家試験を受ける資格がなくなってしまいます。結果はトップクラス30名の中に入りました。
その頃は、性格も顔の表情もとても温和になっていました。そして2月には3日間の日程で医師国家試験を無事終えました。3月20日に発表があり、念願の合格を果たさせていただきました。
6月上旬、桝添厚生労働大臣から「医師としての称号を認めます」との証状を戴きました。今年の4月1日より研修医として充実した毎日を過ごさせていただいております。7年間の長い間、生長の家大神様の御礼もとで成就の祈願して下さいまして心から感謝申し上げます。

188,咽頭癌癒ゆ

                     O.Kさん 「宝蔵」第213号(H15.7)より 2009年9月10日更新

合掌 ありがとうございます。この度、私の息子が4月23日、咽頭癌のため大学病院に入院致しました。そこで早速宇治別格本山の神癒祈願をお願い致しまして、「神癒人型」をお送り頂きました。
5月13日に咽頭癌の手術を行いました。16時間という非常に長時間の手術に耐え、見事成功致しました。ありがとうございます。おかげさまで、日々快方に向かっており、まだ声は出せませんが、今では笑顔も出るようになりました。心より感謝申し上げます。
これから食事の方は、10日前より、3分がゆ、そして5分がゆになり、今では油もの以外は何でも食べられるようになり、大変喜んでおります。
今回の手術では、声帯も切り取り、喉に穴を開けておりますので、大変な入院生活でございました。そのことを思いながら、神を信じ、「人間神の子・病なし」を信じ、「神想観」を実修し、聖経『甘露の法雨』を読誦して祈っておりました。
私の息子も会社の重要な役職にあり、今後がどうなることか不安がよぎる時もあります。それでも、また「人間・神の子 」を信じ、「必ず良くなるのだ」と信じ、日々生かされていることを神に感謝して「病気は存在しないのだ」と自分自身に申しております。ありがとうございます。
4月23日神癒祈願をお願い致しました時の「神癒人型」を返送致します。また、5月28日に神癒祈願をお願い申し上げております。 

187,夫の大腸ポリープ消える

                         M.Kさん 「宝蔵」第208号より 2009年8月28日更新

合掌 ありがとうございます。体験談でお聞きしたり、体験集「宝蔵」で目にすることが、現に我が家で起きましたことに驚愕しております。
私の主人は11月上旬の明け方、5,6回下血を致しまして、都内のある大学病院に即入院となりました。大腸には、年齢と共に、けい室というくぼみが出来るそうですが、そこが炎症を起こし出血するけい室炎という病気でした。幸い経過はよく、10日ばかりで退院となりました。その際再検査で「ポリープが5個(そのうち大きくて大腸に固着しているポリープが2個)、それを取り除くには出血が普通より多くなるので、何日か入院して下さい」と言われました。そして2ヶ月後の1月8日に再入院しました。ポリープを切除するため下からカメラを入れたところ、なんと5個あったポリープのうち4個が消えてなくなっていました。しかも残りの1個も小さくなっていたのです。医師は「おかしい!前回見間違えたのか!?」と言いました。前回は違う先生2人が検査して下さいました。(内1人は医学博士)主人もカメラのモニターを見て、確認したそうです。「これで私の商売あがったりだな」と先生が言われたぐらいです。それほど主人の大腸は恢復していたのでした。
主人も病院から第一声「娘(次女)のお蔭だ」と電話をかけてきてくれました。次女が一所懸命、宇治の神癒祈願を出してくれたお蔭だと思います。12月に10日間入院していた時は、病室でひとり『生命の實相』を読んでおりました。まだ半信半疑の処がありますが、私はありがたいやら、吃驚やらで、「本当にこういう奇蹟(神癒)があるのだな!」と思いました。宇治の皆様のご愛念、本当に有難いことだと思っております。ありがとうございました。

186,乳がん癒ゆ

                         A.Tさん 「宝蔵」第206号より 2009年8月28日更新

6月に知人の神癒祈願を申し込ませて頂いた者でございますが、この度手術が無事終わり、乳がんを癒されましたので、大変遅くなり申し訳ございませんが、ご報告申し上げます。
私の友人の妹さんは乳がんに罹かられ、癌研究所で診察を受けられました。医師の診断の結果、乳房にかなり大きな腫瘍があるので、抗がん剤で腫瘍を小さくしてから摘出手術を行うことになりました。そして6月より抗がん剤を3ヶ月にわたり投与した結果、がん細胞が医師の予想よりもはるかに小さくなり、リンパの方へ転移していたものも消えていました。
そして9月6日には、腫瘍の摘出手術を行い、見事成功致しました。抗がん剤による治療が功を奏し、腫瘍がとても小さくなっていたので、手術は医師が思ったよりもとても楽だったそうです。その方は生長の家に入会しておられませんので、「神癒人型」だけをお渡しして、影ながら神想観実修の時にその方の実相円満完全を念じてお祈り致しました。
生長の家大神様と祈って下さった皆様の愛を受けられ、手術に至るまで、ご家族の協力もあり、心穏やかな日々を過ごされました。ご家族とはなお一層調和され、全て順調に事が運び、手術の結果も良好とのことです。
神様の愛の霊波が皆様の祈りによって、彼女の生命に伝わったものと心から感謝しております。本当にありがとうございました。

185,結石癒ゆ

                         F.Aさん 「宝蔵」第239号より 2009年8月11日更新

合掌 ありがとうございます。日々お祈り頂きますこと感謝申し上げます。
先般、結石が下りてこないとのことで、お願い致しました息子(40歳)の母でございます。「もう少しの処まで下りてきているのに」と思いつつ、去る6月の初めに再度、宇治に神癒祈願をお願い申しました。そうしますと、本当に有難いことが起こりました。息子のお札(神癒人型)が届き、本人に持たせた日の翌朝、石が自然と尿と一緒に出て来ました。本人は「これ、ひとりでに出たよ」と申し、私の処へ持って参りました。何と摩訶不思議なことでしょう。手を合わせて合掌し、感謝致しました。こんなに有難く、感激したことは今までにございませんでした。涙が溢れました。本当に嬉しゅうございました。深く御礼申し上げます。
また、例の石は念のため担当の医師に持参しますと、医師は「不思議なことがあるんだなぁ!よかったね!念のため石の内容を詳しく検査して、今後の食生活やその他のよい方向づけをしてあげましょう。手術もしなくてよかったですね!」と言って下さいました。約3週間後に石の内容が分析され、一覧表に書いて下さいました。少し記しますと、ほうれん草やプリン体等でした。プリン体は牛肉(動物性の食品)に含まれているものだそうです。嫁も以後食材に気を遣ってくれています。その間ずっと祈願して下さり、ありがとうございました。ただ今はもとの明るい息子になり、嫁と子供3人で仲良く明るい生活を致しております。私も主人もホッとして喜んでいます。
本日遅くなりましたが、神癒人型をご返却申し上げます。早くお知らせをと思いつつ、遅くなりましたことをお詫び申し上げます。今後ともよろしくお願い申し上げます。本当にありがとうございました。

184, 血尿が神癒で癒された

                          N.Tさん 「宝蔵」第236号より 2009年8月11日更新

合掌。私は、3月21日の朝トイレに行きましたところ、大量の血尿がありました。2日経っても血尿が止まらず、尿が殆ど出なくなりました。妻は「宇治に神癒祈願を申し込みましょう。きっと生長の家大神様が癒して下さいますよ」と、私のために神癒祈願を申し込んでくれました。その夜から2日ぶりに血尿は止まりました。しかし、今度は背中と腰に激痛が襲ってきました。妻は私の身体に手を当てて「実相円満完全」と唱えながら、一所懸命、私のために祈り続けてくれました。そしてようやく痛みは治りました。
そして宇治別格本山より「神癒人型」が送られてきました。それを見た妻が「生長の家大神様が来た!」と言って大喜びしました。その封書を合掌に挟んで「生長の家大神様!お待ち致しておりました。ありがとうございます」そう言って封を開けました。その瞬間でした。私の今までの身体の痛みが、嘘のようにすっかり消え去ってしまったのです。封の中から神気と言いましょうか、神の癒しの霊波とでも言いましょうか、尊い神癒が、私の内に入り込んできたのです。すると身体の痛みが吹き払われたという感覚でした。大神様がわが家に、神癒人型を媒介としてやってこられました。神癒祈願の先生方が、真心を込めて祈って下さったお蔭です。「治った」私は大声で叫びました。「あなた、よかったね!あなたが元気になってくれて、私、本当に嬉しいわ!」と妻は私に合掌し、涙を流し、私の手を握って喜んでくれました。2人で大泣きしました。
妻が神癒祈願を申し込んでくれたお蔭で神癒を頂きました。心より生長の家の大神様に感謝申し上げます。神癒祈願の先生方に感謝申し上げます。そして妻に感謝致します。本当にありがとうございました。 再合掌

183, 癌が快癒し、感謝の毎日

                   M.Hさん 「宝蔵」第286号(最新号)より 2009年8月3日更新

今年の5月27日、胆石症による胆のうの摘出手術をしました。その後の病理検査で今度は癌が見つかり、告知を受けました。早期の発見だったのですが、かなりショックを受けました。癌に対する知識も乏しく、癌イコール死というように受け取ってしまいました。
不安の募るなか、翌日私の実家にまず電話をしました。長く生長の家を熱心に学んでいる義姉と共に、宇治の練成会を6月10日~16日まで受けさせていただきました。何かすでに道が準備されている、すべて神に守られている、と感じながら・・・。練成中に神癒祈願を申し込みました。
16日の早朝、宇治を離れ、千葉県の国立がんセンターの予約の時間に間に合うよう、戻りました。受診のなかで、「このような状況では40%の確率で転移あり、60%は転移なし。しかし、あくまでも開腹手術をし、組織を検査しないとわからない」との事でした。私は、癌の転移の不安の中で生きるより、手術をし、状況をはっきりさせ、前に進む決心をしました。
そして23日には、MRI、内視鏡、超音波検査を行いました。映像的にはまったく異常はみられず、30日に入院し、7月6日の手術となりました。
手術の結果、転移なしとの事で、ありがたい限りです。術後の経過も良く、7月14日の神癒祈願の満願の日、退院する事が出来ました。祈願中、「人型」を肌身から離さず持っていました。どれ程心安らいだ事か・・・ありがとうございます。
手術後、自分自身を見つめていると、自分がしている事はひとつもなく、神さまの力で生かされている事、そして生命力は自分の無限力の中に、調和して働いている事に気付きました。そして、すべてに感謝することができました。
私は、すべてのものに生かされ、尊い生命に生かされている。ただ感謝です。すべてが好転し、我が家で穏やかな喜びに満たされています。心より感謝申し上げます。

182, 難病骨髄癌癒ゆ

                         U.Tさん 「宝蔵」第234号より 2009年8月3日更新

合掌 ありがとうございます。この度祈願が成就し、私の姪のご主人の骨髄癌が完治致しましたので、ご報告させて頂きます。そのご主人は、昨年の2月、医師より骨髄癌との宣告を受け、入院することになりました。そこで、私は宇治へ神癒祈願をお願い致しました。それと同時に、大小二巻の聖経『甘露の法雨』をお送り致しました。「小さい方は患部に当て、大きい方はよく読んで下さい」と申し上げました。生長の家を知らない方ですので「神癒祈願人型」は私の所へお送り頂きました。
「神癒祈願のお知らせ」に書いてあります通り、神想観中に「人型」を合掌に挟みながら、ご主人が神癒を受けておられる様子を強く心に描きました。毎日神想観中に「人間は本来実相円満完全である。霊的実在である。病気はないのである」と祈りの言葉を何回も何回も繰り返し唱えました。朝夕2回欠かさず祈らせて頂きました。そして遂に、骨髄癌は完全に治りました。全く消えてしまったのです。神癒を受けたのでございます。神様のお蔭を受けました。大神様の御いのちを頂き、先生方の真心のこもったお祈りを頂いたお蔭でございます。本当にありがとうございました。お蔭をうけ、12月には完全に治癒致しまして、退院することが出来ました。
皆々、神の御心とご祈願下さいました先生方のお蔭でございます。神癒の成就、誠にありがとうございました。私は今、神想観中の集団神癒祈願に合わせて祈らせて頂き、また、聖経『甘露の法雨』の読誦、御先祖供養、親族の霊牌供養等もさせて頂いております。
平成16年の12月まで、長きにわたりご祈願下さいまして、本当にありがとうございました。唯々、感謝申し上げます。再合掌

181, 主人の左肺そして右肺の腫瘍も消えた

                         M.Sさん 「宝蔵」第127号より 2009年7月25日更新

この度、神癒祈願のお蔭で、主人の左肺と右肺の腫瘍が癒されましたのでお礼申し上げます。病院と注射嫌いの主人に人間ドックを何とか受けてもらおうとあれこれ考えていたところ、主人の方から「今回受けてみようか」と素直に言ってくれました。1月30日、近くの病院にて各種の検査を受けた結果、院長先生より「ご主人の左肺に1㎝くらいの影があります。紹介状を書きますので大きな病院で検査を受けて下さい」と診断されました。
早速、宇治別格本山へ行き、及川先生に個人指導を受け、神癒祈願を申し込みました。2月9日、レントゲン写真と紹介状を持って大きな病院へ行き胸部外科の部長先生に診察を受けました。「以前の病院のCT、レントゲンでは確かに左肺に影がありますね、確認のために血液検査とレントゲンを撮ります」しばらくしてから先生に呼ばれて行ってみると、「左肺……左肺の影が消えているぞ、患者名は間違いなし、不思議だ。おっ待てよ、右肺に影が見えるぞ、レントゲンの裏表が逆じゃないのか、違うなこれが心臓だよな、間違いないよな」そして「左肺の腫瘍は消えてなくなったようですが、新たに右肺に影があります。CTの予約をして帰って下さい」と言われました。
直ちに、及川先生に電話で経過を報告し、先生の勧めで新たに神癒祈願の申込みを速達でお願い致しました。2月22日、病院でCTを撮って帰りました。2月26日、再びレントゲンを撮り、部長先生の診断を受けましたら「無いんだよ、又消えたよ。右肺にあった影がないんだよ、2回も消えてるよ。最初は左肺だろう、次は右肺、両方とも消えてるよ。実は前の病院からの紹介状には肺がんの疑い有りと書いてあります。CTレントゲンで影がある場合は直ぐに入院して手術ということになりますが、あなたの場合は消えてないんだから不思議です。また血液検査の結果も正常値ですので肺がんの疑いは全くありません」と言われました。
主人と帰り支度をしていると「私も長い間医者をしておりますが、片方の肺腫瘍が消えたのも初めてですが、何の治療もせずに両方の肺とも短期間に腫瘍が消えたのは現在の医学では説明できない奇蹟ですね」といわれました。
主人の左肺の腫瘍は神癒祈願の申込みから10日目の検診で消えており、また新たに出来た右肺の腫瘍は祈願の申込みより17日目の検診で消えておりました。このように主人の両肺の腫瘍が消えておりましたのも、まさしく宇治の神癒祈願は最高であると心より感謝申し上げます。

180, C型肝炎癒ゆ

                          M.Sさん 「宝蔵」第94号より 2009年7月25日更新

昨年の暮れ、健康診断で肝機能の数値が異状に高いので、精密検査を受けるように言われました。今年の初めに肝臓の専門医院に行き、精密検査を受けました。各種の検査の結果‘C型肝炎’と宣告されました。医師の話では、以前私が子宮筋腫の手術の際に、輸血したその血液が原因ではないかと言っておりました。早速、宇治の神癒祈願を申し込みました。
2月中旬より6月初めまで、インターフェロンの治療を受けました。治療を始めてから1ヶ月位で肝機能の数値は正常に戻りました。しかし、医師の話では最低三ヶ月間インターフェロンの治療を受けるようにとのことで、合計53本のインターフェロンを打ちました。その間、毎月宇治の神癒祈願を続けておりましたので「全て神様がよくして下さる」との感謝の気持ちで生活していました。神癒祈願のお蔭で、副作用はほとんどなく治療を終えることが出来ました (副作用のひどい方は、高熱で身体が衰弱し頭髪が抜けたりするそうです) 。6月中旬の精密検査の結果、ウイルスはマイナスとのことでした。医師は「あんたは運のよい人だね。副作用も全くなく、また、肝機能の数値は正常になっても、ウイルスがマイナスになるのは、ほんの数割しかないんですよ」とニコニコ顔で言われました。
その後、元気で愛行に励んでおります。これも私のために真剣に祈って下さった先生方のお蔭と心より感謝申し上げます。

179, 娘の再就職が叶った

                    T.Yさん 「宝蔵」第285号(最新号)より 2009年7月14日更新

21歳の娘が昨年、「もっと働きがいのある職に就きたい」との希望を持って退職し、未熟ながら毎日、自分なりに活動していました。母親の私から見ていて、「娘は兎年だから、よく跳ねるなあ・・・」とその毎日の生活のユニークさと若さに驚き、そして「娘は神様に護られている」との強い思いで見ていました。
私は神癒祈願をお願いしましたが、すぐには次の進路が決まりませんでした。私は神様に全托しておまかせいたしました。そして、宇治別格本山の体験集『宝蔵』の体験談の素晴らしい就職成就のお話しも読んだりして信念を強め、「我が家の娘に最も適する方向を」と祈っていました。
その間はまさしく娘の社会勉強の時間でした。娘はゆっくりと自分自身を見つめる時間が神様から与えられました。
以前の事務職の時には、お昼も食べずに頑張っていた日もあったらしく、仕事に多大な負担を感じていたようでした。また、体調不調にも及んでトイレで出血があり、医師に診察を受けた事もありました。
谷口清超先生は、「本当に自由に生きていくとは、神様の智慧が不可欠だ」とお示し下さっていますが、私が、神癒祈願に心が向くのも、直接に神様の方向づけを与えて頂きたいと願うからです。今まで生長の家で学ばせて頂いた事を最高にまで実現する結果にもつながると確信するからです。
娘は、5月25日付で某リフォーム会社に就職を決めさせていただきました。生長の家大神様ありがとうございました。人間にとって、衣・食・住という大切な基本を考えていく時、今後この会社を通して、良い貢献ができれば、と思っています。神様よろしくお願いします。神癒祈願という素晴らしい場を創っていただいた神様に感謝申し上げます。


178, 祈願で右足切断を免れた

                         K.Jさん 「宝蔵」第284号より 2009年7月14日更新

私の実母は現在82歳で、4年前に脳梗塞で左半身が動かなくなってから現在まで、車椅子の生活をしています。その母が、昨年の10月9日に「右足の付け根が痛い」と訴え、病院で診断してもらいますと、「すぐにでも右足の切断をしないと命にかかわります。手術はこの病院でも出来ますが、手術後のことを考えると、家に一番近い地元の病院がよい」とのことでした。その翌日に地元の病院で本格的な検査を受けました。その結果は「右下肢閉塞性動脈硬化症」と診断され、即入院しました。
母の状態は悪く、動脈が右足ひざで塞がって血流が止まった状態で、ひざ下が冷たく、色も悪く、特に足首から下は紫色でした。担当医は「このまま放っておくと壊疽により肉が腐敗します。右足ひざ下十センチのところから切断します」「もし血流が戻ったとしても、血栓が心臓や肺に移動して、命にかかわります」との説明でした。四年前から左の手足に麻痺のある母にとって、ここで更に右足を失うなんて、本当に残酷だと思いました。
私は帰ってから、神癒祈願を申し込みました。母が今まで私を大切に育ててくれたことが思い浮かび、涙がいっぱい出てきました。私の服を全部母が手で作ってくれたことや、人形好きの私に、布に綿を詰めて人形を作ってくれたこと等が思い出されました。申込用紙に記入しながら「母は大丈夫。助かる」という神様に護られた大安心の気持ちが湧いてきました。
母は、だんだん右足の色が良くなり、手術の前日に見舞った時には、足首から下の赤紫色が残る状態にまで回復していました。そして手術当日の朝、私が病院に着いた時には、すでに医師による回診が終わっていて、医師より「手術は必要なし。」との診断が下りていました。
そして10月22日には無事退院の日を迎えることが出来ました。私は祈願を出してから、目に見えない力で、不思議に不安の心は一切起こりませんでした。神様に護られているという実感が常にありました。皆様には母を、そして私や兄の家族を、助けて頂きまして、心より感謝申し上げます。


177, 聖経『天使の言葉』の功徳

                          T.Jさん 「宝蔵」第69号より 2009年7月7日更新

若葉が色鮮やかな季節になりました。先生方におかれましては、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
さて一ヶ月前、息子の足が悪く曲がらなくなり、歩くのも大変な時期があり、これでは中学に入学したばかりで、困ったことだと思い悩み、神癒祈願をお願いしました。ところが、なかなか良くならず、毎日が不安でいっぱいでしたが、期限ぎりぎりの三日前より、聖経『天使の言葉』を誦げさせていただき、息子の悪い方の左足をさすってやりました。
すると不思議なことに、あれだけ痛くて曲げられないと言っていたのが、嘘のように和らぎました。二日目も三日目も、一日目と同じことをしております。もう少し、続けて誦げさせて頂きます。本当にありがとうございました。
これで学校でも、元気にお友達と一日が有意義に過ごせるのではと喜んでおります。何もかも順調にいくような気がしてなりません。私達には見えないところで、神様がお守り下さっているのだと気がつきました。ありがとうございました。


176, 牛乳一本分の吐血

                          N.Kさん 「宝蔵」第55号より 2009年7月7日更新

地元の誌友会の皆様が、私のため神癒祈願をして下さいまして、異変が身に起こり、突然牛乳ビン一本位の吐血がありました。そして2~3日後の月曜日にお医者に行き、胃カメラで見てもらいましたが、食道の一番下部が出血しているということでした。しかし一週間後の昨日の尿検査で、「出血はない」と申されました。


175, 子宮のコブがなくなる

                          Y.Hさん 「宝蔵」第55号より 2009年6月20日更新

子宮にコブがあると地元の総合病院の先生から言われまして、すぐに宇治別格本山の方へ祈願をお願いし、この人型をお受け致しました。今日まで自分のそばに置いてまいりました。
正月になり叔母達から「若し手術するようになれば、早いほうがいいのではないか」と言われ、1月13日に病院に行きました。ところが、「そういうことは絶対にない。おかしいね」と言われ、「じゃ、せっかく来たのだから、癌の検査でもしておきますね」ですって!!
とても不思議な体験をさせて頂きました。


174, ソ満国境でつくった大きなたこ

                          H.Tさん 「宝蔵」第44号より 2009年6月20日更新

昨年の2月、初めて神癒祈願をしたのですが、それは私が戦時中、陸軍の歩兵部隊に所属していた関係で、ソ満国境で何キロも行軍するという毎日で、そのため、両足の裏にタコができたのです。場所は丁度足の第二指と第三指との中間の下の方で、歩くときは足指全部を曲げねば痛くて歩けないときもありました。このタコは復員後約40年間、どんな薬を付けてもとれず、医者に行けば手術してとってくれたでしょうが、そんなことをしてもらえば両足のことですから、何日か入院せねばならないでしょうし、痛いことは大嫌いで、また完全に治るということにも不信を持っていましたので、そのままにして約40年間の歳月が経ってしまいました。
心底では半信半疑でしたが、神癒祈願をいたしましたところ、人型が私の手元に着いてから18日目に、風呂上がりに左足の裏に出来ているタコのところが、何となくむず痒いので、指先でその周りを触っていましたら、驚くことにポロリと取れたのです。40年間のものが何の痛みもなく取れ、血一滴も出ませんでした。この時の驚きと悦びは何にたとえようもなく、ただ「ありがとうございます」と何回も言ったほどでした。大きさは丁度金時豆位の大きさで、長さは2cm以上もあり、厚さも4~5mmもあって、とても固くなっていました。また右足の方もしばらくして自然にポロッと取れてしまいました。そして、このタコが取れた体験はもとより、私が宇治別格本山の練成会で生長の家の御教えに真に触れて以来の体験は、昭和63年9月号の『生長の家』誌に掲載されました。

再び神癒が!
しかし足のタコのことはすっかり忘れて、同じところに再びタコが出来たことを気づかずにおりました。ところが、今年の4月中旬頃、風呂上がりにまた足の裏のところがむずがゆいので、指先で触っていますと前回の時のように、また大きなタコがポロリと取れ、これには前にも増して驚いてしまった次第です。実は、3月19日から、怪我をした私のために、宇治別格本山のある方が神癒祈願を申し込んで下さり、その期間中の神癒でもあったのです。
昨年と今年、連続して現れたこの2回の体験で、私は「人間は神の子」であり、神は完全に私の生命を毎日つくり給わっていることをつくづく感じ、毎日一回の神想観を続けてゆくことが、どんなにか私達の信仰と生活の上で大切であるかを解らせて頂きました。そして心新たに神想観と愛行を実践しようと決意した今日この頃であります。   合掌 


173, 医者から「手遅れ」と言われた肺がん

                          N.Mさん 「宝蔵」第63号より 2009年6月10日更新

神癒祈願と生存永代供養をして頂きまして、「手遅れ」と言われました主人の肺がんも、完全に癒されました。
顧みますと、主人は5月末頃より咳が出て、痰も出るようになりましたので、私は主人に「教区の練成会に行ってその咳を置いておいでよ」と言いましたら、主人は5日~9日迄行ってこられたのですが、咳も同じですし、何も変わりもありませんでした。置き薬の咳止めや薬局で求めたうがい薬、咳止め等色々服用しますけれど、全然効果ありません。
それで6月28日に、主人は同居している次男にお医者さんへ連れて行ってもらい、診察を受けると、先生は「どこも悪いところはありませんが、念のためレントゲンを写しましょう」と、やさしくおっしゃいました。そして4日分のお薬を頂いて帰りました。
その夜別居している長男夫婦が参り、子供連れで賑やかでしたが、長男は私をそーっと呼び、「お父さんは肺がんで、もう手遅れらしい」と言いました。私はその瞬間、「死」「別」と、火花が散ったような身震いを感じました。しかし、長男から知らされたことで、私は一心に、神様におすがりすることが出来たのです。若し知らずにいれば主人は今頃どうなっていることでしょう。
6月30日に神癒祈願を出し、7月2日に次男に連れて行ってもらいますと、「国立病院へ行って、一度診てもらいなさい」と紹介状を書いて下さったのです。国立病院では「肺に炎症があるから直ぐに入院しなさい」と言われましたが、前に言われた「手遅れの癌」は消えていたのでしょう。本当に神様のお蔭です。そして4日には咳は殆ど止まっていました。主人とは「練成に一緒に行こうね」と約束していたのですが、入院してしまいましたので、一人で教区練成に行きました。そして私の留守の間に、次男は毎日病院を訪れ、神想観や良本先生のお声の聖経読誦のカセットテープを持っていって、「一所懸命行じる様に」と主人を見舞って下さいました。
こうして家族が一つの心になり、お祈りのお蔭で、入院中は快調な毎日でございました。10月6日には退院しまして、10月29日にレントゲンを撮りました。「大変良くなっている」と言って頂きました。本当にありがとうございました。
90余日の入院であったればこそ、色々と勉強させて頂きました。これを機に神様の御心を心に、主人と共に精進してゆきます。


172, 10日間で二つの資格試験に合格

                          N.Kさん 「宝蔵」第89号より 2009年6月10日更新

この度、神癒祈願のお蔭で長男が簿記二級とボイラー技士の二つの資格試験に合格することが出来ましたので、御礼申し上げます。長男は高校入学の平成3年6月に、宇治別格本山での「総裁谷口清超先生ご指導による特別練成会」を10日間受講しました。その後地元で生高連に入会し活躍しております。
平成4年11月、簿記二級とボイラー技士の二つ資格試験が10日間の中に実施されることになりました。両方の試験日が10日間と日が近いため、「どちらか一方は不合格になるのでは……」との不安がありました。そこで、宇治の神癒祈願に二つの資格試験のご祈願をお願いしましたら、必ず両方とも合格できるとの信念が湧いてきました。
初め簿記二級の試験が、長男が通っている母校の高校で行われました。4日後、見事合格の通知を頂きました。合格の喜びの内に、5日後のボイラー技士の試験を受けました。長男の話では、当日は、学校に集合してから市内の試験場へ移動しました。前回同様神癒人型を胸のポケットに入れて、自宅から学校へ行く汽車の中と、学校から市内の試験会場へ向かうJRの汽車の中で、ボイラー技士の教本と問題集を見て、最後の受験勉強をしました。会場で渡された試験問題を見てびっくりしました。なんと!今朝試験会場まで来るときにぱらぱらと見ていた箇所全て、そっくり問題として出ているではありませんか……。神様の導きは絶対に間違いないとの信念を更に強く致しました。長男が10日間の内に二つの資格試験を受験し、二つとも見事に合格しましたのも、神癒祈願の賜物と心より感謝申し上げます。
これからも親子共々、この素晴らしい生長の家の御教えを精進して参りたいと決意しております。


171, 盲腸の破裂と斜視

                          K.Mさん 「宝蔵」第57号より 2009年5月31日更新

死の宣告のあった友人の父の盲腸
ご報告が遅くなりましたがこの機会にと思いペンを走らせます。
昨年の7月末頃だったと思いますが、友人のお父さんの神癒祈願をお願いしました。当時盲腸の破裂で、医師より家族の方に宣告があり、諦めていたのですが、祈願を受けて一週間も経たないうちに、ICUを出て一人部屋に移ることが出来、更に3日程でもう6人部屋へ移され、とにかく医師の方々も、家族の方々も、信じられない程の恢復振りでした。そして今は2箇所程うみが出ているとのことですが、すっかり元気に仕事に精を出していられます。私の友人のお父さんですが、元気になられ、ただ感謝あるのみです。

娘の斜視
また、わが娘のことですが、3㎜程斜視とのこと、直ぐ手術をした方がよいと言われました。そこで祈願をお願いして、私も、ただ神様に心を合わせ、聖経を誦げさせて頂く毎日でした。そして一年後の目の検査の時には、全く斜視の「斜」の字も出ない程で、すっかり、ずれていた目が治っておりました。娘の目を傷つけることなく、神癒を頂きましたことを、心より感謝申し上げます。


170, 川崎病癒ゆ

                          I.Nさん 「宝蔵」第67号より 2009年5月31日更新

去る1月31日、私の長男が「川崎病」という心臓病に支障の出る病気で病院に入院し、私の母が早速そちらに神癒祈願申込みをさせて頂きました。思ってもいなかった我が子の試練に、暗澹たる気持ちに落ち込んだりもしました。しかしお蔭で、昨日(2月18日)全快退院させて頂きました。


169, 娘二人の良縁成就

                          A.Tさん 「宝蔵」第92号より 2009年5月23日更新

この度、二人の娘に素晴らしい半身を頂きましたので御礼申し上げます。私共の子供は娘二人で男の子がいないもので、どちらかは婿養子が欲しいとの願いもありました。姉は36歳で一度結婚に失敗し離婚歴があります。妹は33歳ですので、良く世間で言われております婚期の遅れた娘です。「二人の娘の幸せな結婚を……」と宇治の神癒祈願を申し込みました。そして毎晩、仏前で聖経『甘露の法雨』を読誦して良縁成就を御先祖様にお願いしておりました。
今年に入ってから、二人の娘に次々と縁談がありました。相手の男性達は、申し分のないとても素晴らしい半身の方々でしたが、姉の方は再婚とのこともあり、結納は致しませんでしたが、相手の方は多額のお金を持って参りました。娘は将来のためにと、全額を貯金したそうです。またとても親思いの方で、私達夫婦にもとても良くして下さいます。3月28日、内々で挙式を致しました。今は県内の新居でとても幸せな結婚生活を送っております。
妹の方は、2月11日の紀元節の日に結納を交わしました。相手の方は県内の大きな接骨院の次男で、副院長をしている素晴らしい男性です。そして6月6日に挙式をすることになっております。必ず幸せな家庭を築くものと確信しております。この様に二人の娘が次々と良縁成就しましたのも、神癒祈願のお蔭と主人共々心より感謝申し上げます。


168, ソファから落ちて大泣き

                          K.Cさん 「宝蔵」第69号より 2009年5月23日更新

現在生後6ヶ月の長男が右目の「流涙」のため、神癒祈願をさせて頂きましたが、完全に治りましたことを報告させて頂きます。本当にありがとうございました。
生まれてから5月12日までは、右目の涙と目やにがひどかったのですが、5月13日の朝、生まれて初めて、ソファから落ちて大泣きし、その日一日、何故か泣かせる時が多く、翌日、何となく目がきれいになったような気がしていました。それからは、涙も目やにもすっかりなくなり、現在に至っています。
「病院で、涙道を通すための治療をしなければならないのか」と、夢にまで見て悩んでいたことが、うそのようで、母から「この子は余り泣かない子だから、神様がソファから転がして下さったのじゃないかしら」と言われたりして、息子の目を見る度に、ただただ感謝するのみです。
いまでは、神様が息子を通して私に教えて下さったのだと、毎日、神様、御先祖様、両親、家族に手を合わせています。息子には申し訳のないことをしたと思っていますが、娘と息子に私自身を見せられるようで、「子供は神様からお預かりしているのだ、神様なのだ」ということが実感させられます。私の一番の宝物です。乱文で申し訳ございません。母に頼んで申し込みましたが、直接結果の報告と感謝の気持ちを述べさせて頂きました。


167, 気象庁に就職が内定

                          A.Tさん 「宝蔵」第162号より 2009年5月19日更新

いつも神癒祈願でお世話になっております。実は、長男(28歳)の就職の神癒祈願をお願いしていましたところ、祈願が成就致しましたので御礼申し上げます。何度も素晴らしい体験を頂いていながら、そのままになっておりました。この度も感謝いっぱいにならせて頂きました。
私の長男は、平成10年6月に国家公務員第一種試験に合格し、8月には国家公務員第二種試験を受け合格しました。ところが職に就けませんでした。どこの庁も内定していて空席なしで、悦びもつかの間でした。
私はことある毎に神癒祈願を出しているのですが、平成11年1月7日に宇治別格本山に参拝に行った折り、長男の就職の神癒祈願をお頼みしました。そして家では聖経『甘露の法雨』を誦げていました。
1月の末にある人と子供の話が出て、明るい思いにさせられました。そのことを子供に話をして「就職の件でいい話になれば良いな」と思っていました。
すると2月5日、昨年9月に不合格であった「気象庁」から留守番電話が入っていて、「再び気象庁に電話を入れるように」とのことでした。長男が一番行きたかったところです。ある方からお世話される予定の就職の話を保留にして、気象庁に電話を入れますと、「まだ気象庁に勤める気持ちがありますか?」と聞かれました。「あります」と答えると、「2月末に採用するか否かの結果を決めますから」とのことでした。そして2月8日にまた神癒祈願を出して待ちました。
2月26日、待望の「採用通知」が来ました。本当にありがとうございます。第一種は3年有効ですが、第二種は一年きりで、気象庁は第二種です。9月の時点でダメなものが、2月に突然採用となりました。どう思っても不思議でなりません。これは神癒祈願と聖経『甘露の法雨』の読誦のお蔭だと思っています。本当にありがとうございました。再拝、感謝。


166, “神癒”と“宇治練成”

                           O.Iさん 「宝蔵」第49号より 2009年5月19日更新

妹の問題と病気
先日は妹の神癒祈願、そして私の質問に対しまして、わざわざお電話を頂戴し、ご指導賜りまして、誠に嬉しく心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。私は妹には祈願を申し込んでいることは一切言ってはおりませんので、妹は知らないはずでございます。ですが、それがもう既に先生方のご愛念によりまして、妹には神様の御力が働いているのでしょう!「今日は何でや不思議なくらい気分がええのよ」と言って参りました。
妹は身体の不調と舅様のお世話、そして舅様をめぐるおばさんの言動について、悩んだり苦しんでいました。それで先日私は妹に出会ったときに、宇治練成会が本当に素晴らしかったので、そのことを次のような風に話していたのです。
「兎も角あなた、ああしたこうしたと不平不満の心で見ず、ひたすら“ありがとう”という真心からの感謝、それが足りないのではない?」「自分が変われば世界が変わる!私もえらそうに言えないけど、今はこの言葉が身にしむわ!」と私は妹に話していました。

電話の向こうで妹が泣いている
すると次の日、「昨日ね、おばさんの方から、おじいちゃん(舅様のこと)に管を通してあげたらどうかと、おばさんの方から言いだして下さった……」と、電話の向こうで妹が泣いているのです。それは舅様が入院されている間は、尿の回数が多いので、管を通して何時でも尿を取れるようにしてあったのです。しかし退院後妹が二時間おきに取り替えていたため、夜も休むことが出来ず、一日二日位なら何とかなりますが、長い日数ですので苦しかったようなのです。それを妹の口から言い出すと“世話がしとうないから”と、おばさんにまた嫌みを言われると恐れていたのですが、それがおばさんの方から言い出して、病院から来てもらい、無事に管を通してもらい久しぶりに昨夜は休むことが出来たというのです。この「おばさんの方から……」と、これを強く何度も言って不思議がりました。そして、しばらくして今度は「姉ちゃん、昨日ね、私病院へ行ったら肝臓の数値がぐんと下がった。これならいいと先生に言われたわ!よかった!」と、明るい声で電話をしてきました。



165, 結婚と神癒祈願

                           O.Hさん 「宝蔵」第69号より 2009年5月8日更新

4月の10日練成の時、神癒祈願をお願い致しました姪が、お付き合いをしている方が(お見合い)、結婚を前提ですけれどなかなかたらたらして、一年余りも気をもましていました。それで年も25歳だし、どうするつもりだろうと、「素晴らしい半身でしたらよろしく」と祈願をお願いしましたら、丁度1ヶ月経った頃に、先方の方から本人と父親が揃って、「よろしくお願い致します」とご挨拶に来られたとの電話があり、とても喜んでおります。


164, 孫が研究員として派遣

                          C.Rさん 「宝蔵」第190号より 2009年5月8日更新

この度神癒祈願のお蔭で孫が、8月より、日本学術振興会の援助で、米国ニューヨーク州バッハロー大学の研究員として派遣されることになりましたので、御礼申し上げます。
孫が高校入試直前に、父母が離婚して、母親と共に実家である私の家に参りました。本人はとても悩んで気力を失っておりました。私はわらを掴む思いで総本山の練成会を受け、「実相は完全でありすべては良くなる」と自信と明るさを学びました。
孫も直ぐに立ち直り、ストレートで県立高校、国立大学工学部に合格しました。また、同大学の大学院の修士課程、博士課程へ進み、今年の3月に応用物理科を卒業すると同時に工学博士の学位を取ることが出来ました。
その間、私は孫のために何年間も毎月、宇治別格本山の神癒祈願を申し込んでおりました。そして念願の米国大学への留学も出来ました。孫は「おばあちゃんが生長の家の神様に、いつもお祈りしてくれるから、僕は運がいいし、ラッキーなんだよ」と申しております。
思いの万分の一にもなりませんが、感謝の気持ちで5万円奉納させて頂きます。孫の派遣中も神癒祈願を続けますので、よろしくお願い致します。


163, 十二指腸潰瘍癒ゆ

                          K.Tさん 「宝蔵」第88号より 2009年4月29日更新

昨年(平成4年)11月13日、宝蔵神社の月次祭に参拝しました。帰りの京都行きの電車の中で、急に気分が悪くなり胃のあたりが苦しくなりましたので、次の駅で下車しました。トイレに入り吐きましたら、吐物に真っ赤な血が混じっており驚きました。やっとのことで夕方頃、自宅に着き、休んでおりましたが、再び吐血しました。看護師をしている息子の嫁がビックリして、直ちに市立病院に連れて行かれました。診察した医師に「胃か十二指腸が悪いようなので、このまま入院して下さい」と言われ入院しました。それから嫁が早速に、宇治の神癒祈願を申し込んでくれました。
翌日からの精密検査の結果、十二指腸潰瘍と十二指腸の入口が狭くなっているので、手術をするようにと言われました。私は神癒祈願を申し込んでいるので、神様は必ず良くして下さると信じて、毎日毎日神想観と聖経『甘露の法雨』の読誦、また『生命の實相』を一所懸命読みました。度々の胃カメラ等の検査毎に「良くなっているよ」と言われ続け、ついに外泊が許されました。
11月30日から12月3日まで外泊届けを出して、宇治の短期練成会に参加しました。2日目に楠本先生の個人指導を受けました。先生は「ご主人の前の奥様と、戦死したあなたの前のご主人とを永代供養するように……」と言われました。早速、2柱の永代供養をしました。
12月9日の胃カメラの検査の結果「不思議やなぁ-。十二指腸潰瘍はきれいに治っています。いつ退院しても良いですよ」と医師より言われ、飛び上がって喜びました。手術もせず短期間に無事、12月12日に退院することが出来ました。
これも楠本先生のご指導と神癒祈願のお蔭と心より感謝申し上げます。これを機会に多くの人に真理を伝道します。


162,希望の会社に就職内定

                          S.Jさん 「宝蔵」第97号より 2009年4月29日更新

この度、東京の大学へ行っております次男の就職が内定致しましたので御礼申し上げます。
次男は以前よりマスコミ関係の仕事をしたいとの希望を持っておりました。しかし今年は不況の関係もあり就職は困難であると言われておりました。8月に東京の放送制作会社を受験しますので、宇治の神癒祈願を申し込みました。1ヶ月後に会社より電話があり、「200人の受験者の中より、3人の合格者の1人に選ばれました。将来はドキュメンタリー放送のディレクターをめざす仕事に決まりました。」と言われて、この様に希望通りの所に内定、親子共々大喜びをしております。これも神癒祈願の賜物と心より感謝申し上げます。


161, 交通事故に現れた神癒と神秘

                          K.Eさん 「宝蔵」第37号より 2009年4月11日更新

6月21日午後3時半頃でした。2日後に控えた総本山の団参に、主人の許しを得て参加させて頂くことになり、私の留守中の食品を「私は幸せだ」と口で唱えながら喜んで、買い物に行く途中、信号の近くの交差点を歩いていた時、突如として青年の乗ったバイクが走ってきて投げ飛ばされ、左頭部を打ち、激しいめまいと、ショック状態で救急車で運ばれました。
頭が痛く気分も悪く、主人も職場から飛んできてくれました。夕方の6時頃「一人では、どうしても治りきらないような気がします」ので主人に御祈願をお願いしました。主人は長崎の総本山へ電話でお願いして下さり、午後7時頃でしたそうです。
その夜、9時頃にうとうとしていましたところ、谷口雅春大聖師様、輝子聖姉様お二人様並んで現れられました。谷口雅春大聖師様は黒いお着物で、輝子先生は薄いグレーのお着物でした。輝子先生の横の1m位下がられたところに、清超先生が白い羽織をお召しになっておられる夢を見まして、私はハッと目を覚ましました。御三方の先生は何もおっしゃらなかったのですが、私は全て神様にお任せしましょうと思い、「実相円満完全」を心で唱えながら、3日間私宅の近くの個人病院で過ごし、6月25日市立病院へ脳外科のある所へ転院しました。
その夜、ベッドの枕元に3人の御方が立って見護っていて下さるのが心でよく分かるのですが、なにしろ頭を動かすことが出来ず、3間位見護っていて下さる状態が続きました。不思議な状態と思っていましたところ、主人が28日に宇治からの御祈願の封筒を持参下さり、姪が宇治別格本山に祈願してくれたとのこと、そして神癒人型の日付を見ましたら、7月25日まで、御祈願下さる日付が打ってあり、一ヶ月間の祈願とのこと、6月25日の夜は3人の高級霊の護念を戴いたのだと、ありがたく思いました。(この日宇治の当神癒祈願課ではコンピューター入力を済ませ、人型に名前を清書しました)
その後すぐ、姪も3歳の子供を連れて、私の入院先の病院まで来て、お湯で足を洗って下さり、私の足がまるで靴の底を洗っているようだと言って看病して戴き、大変嬉しく思いました。「愛行、愛行」で飛び回っている間に足の裏が汚れていたとみえます。地区の会長さんもお見舞いに来て下さり、「神様が休憩しなさいと言うことですよ」と励まして下さいました。この様に沢山の方々のご愛念を戴き、77日間で退院の運びとなりました。逢い難き御教えを戴きながら、少し感謝も薄れておりまして深く反省しました。

――盂蘭盆供養大祭での出来事――
谷口雅春先生ご存命中、ラジオ放送で「神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」とありますように、ただ父母だけではなく祖父母も祖をつけたら、父母になるでしょうとお話になったことを思い出されまして、今は亡き祖父母、父母、夫に懺悔と感謝を捧げました。
6年前くらいになると思いますが、夏の盂蘭盆供養大祭に私も始めて参拝させて戴きましたときのことです。斎主、谷口清超先生、副斎主、谷口恵美子先生の御親祭を賜り行われます本祭に私も白い法衣を来て、全国から寄せられた霊牌を招霊致しておりましたところ、涙が滂沱として、また嗚咽して、沢山の霊牌を招霊しなくてはと、気は急ぐのですが、招霊が出来ないくらいでした。これは御先祖様が、この日をどんなにか喜んで待って居られたのだと感じ、海軍の大将から、二等兵の御霊様をその後、御招霊させて頂きました折りも、涙が沢山出ました。
再伸、このお手紙を書いておりましたら、感謝が薄れておりましたという所で、白光体というのでしょうか光が横で光りました。


160, 求人難は神癒祈願で解決

                          N.Mさん 「宝蔵」第74号より 2009年4月11日更新

私はJRステーションビル内甘党屋を営む者でございます。平成元年2月より主人の堂島店より分かれて天王寺店を任されていますが、求人難の昨今、同ビルの多く店主方も「店員が思うように集まらない」との話題ばかりです。私は神様と御先祖様に全托して「大丈夫、大丈夫」と日々、働かさして頂ける我が身がただただ嬉しく有難く生活させて頂いております。ビルの事務所の方や他の店主さんからも「奥さんの所はいつも明るくて元気な良い店員さんばかりですね」とほめられます。
十数人(学生アルバイトも含めて)おります若い店員の中には、家庭や個人の都合で時々、欠員が出ます。その都度、神癒祈願で神様どうぞ素晴らしい方をお与え下さいとお願いしますと、毎回必ず少しのズレもなく最高の人が、喜びいっぱい出来て下さいます。お蔭さまで店も大繁盛しております。一分のズレもなく神様の御心・ご縁の糸に導かれてきて下さいます店員さん、そしてご祈願して下さいます諸先生方に心より感謝申し上げます。


159, 脳障害が快癒しました

                福岡県 M.Mさん 「宝蔵」最新号第282号より 2009年4月6日更新

合掌ありがとうございます。昨年の8月10日のことです。朝起きてテレビをつけてみると、テレビが2台並んで見えたのです。片方ずつ目を押さえてみると正常に見えるのですが、両目で見てみると1台のテレビが2台に見えたのです。
その日は、生長の家の勉強会(誌友会)があったので出掛けると、道路も2本に分かれて見える、道路脇に止めてある車も2台に見えるので不思議に思えてきました。
やっとの思いで会場に着きましたが、頭がボーッとしていましたので、お話が何も頭に入らないまま終わってしまいました。
帰りに周りの誌友さんが「歩いて帰るのは大変危ないから」を気を使って下さり、ご愛念で会場の市民センターから私の家まで送って下さいました。
帰宅してから、どこの病院へ行ったらいいかと思案していた時、ふと、「脳外科」と頭に浮かんできました。
早速、近くの病院の脳外科に予約をしました。はじめのCTの検査では何も写らなかったのですが、MRIの検査では脳動脈瘤があるのが、はっきりわかりました。
先生からは「なるべく早く手術(カテーテル)をしないといけないが、このような手術をなさる先生は少なく、また、この病院では出来ないので、素晴らしい先生がいらっしゃるので」と、久留米市にある病院の伊藤先生を紹介して頂きました。
そして、私は宇治別格本山の神癒祈願を申し込みました。(祈願は入院後も続けてしてもらいました。)
入院後のMRIの検査で動脈瘤が右側にあって、右目の神経に瘤が触れてこの症状が出ている事を説明されました。手術は全身麻酔をし、股関節からカテーテルを入れて行うということでした。けれども、そのことを聞いても何の不安もなく、9月3日に手術が無事終わり、一週間で退院することが出来ました。瘤は検査時には6ミリあったのが、手術時には8ミリにまでなっていたそうです。
退院後の今も、定期的に検査を続けていますが、MRIや他の検査でも異常もなく有難く思っています。「手術後に目が正常に見える様になるには2~3ヶ月位かかるよ」との先生のお話でしたが、1ヶ月足らずで正常に見える様になりました。
私が、「伊藤先生の手は神様の手ですね」と言いましたら、「あなたは素晴らしい。このように早く回復して素晴らしい」と先生もニコッと笑顔で大変喜んで下さいました。
これもひとえに神癒祈願のお陰です。唯々感謝感謝です。祈願して下さいまして、本当にありがとうございました。


158, 気胸癒ゆ

                           N.Iさん 「宝蔵」第99号より 2009年3月25日更新

平成15年10月中旬頃、急に胸が苦しく呼吸が困難になりましたので、地元の国立病院へ行きました。診察の結果、気胸(肺を包んでいる胸膜の腔内)に空気がたまり、肺臓を圧迫して呼吸困難等になる病気と宣告され「直ちに入院しなさい」と言われました。早速、生長の家本部の神癒祈願を申し込みました。入院して精密検査の結果「肺に2~3cmの穴が空いているので各種の治療がだめなら、重傷なので手術をしなければならない」と言われました。胸に管を入れ、電動ポンプで胸膜の腔内にたまっている空気を抜く装置器具をつけてベッドに寝ている状態でした。そのあいだ色々の治療をうけましたがよくならず、手術することになりました。手術をするには気胸を治す専門病院の方がいいと言うことで、11月15日に転院しました。
そして今度は宇治の神癒祈願を申し込みました。その専門病院では手術の患者さんが大勢いて順番待ちをしておりました。入院して10日後の検査で、2~3cmもあった穴が自然に塞がり、すっかり治癒していると医者に言われました。また「こんな事はめったにないことなので、実に不思議だ」と医者は首をかしげておりました。神癒祈願のお蔭で手術せずに気胸が癒やされました。そして11月30日に無事退院することが出来ました。心より感謝申し上げます。


157, 兄の肺炎が癒された

                         S.Sさん 「宝蔵」第146号より 2009年3月25日更新

さる9月3日に神癒祈願をお願い申し上げました83歳の兄の肺炎を速やかに治癒して頂きましたこと、誠にありがとうございます。
9月1日に39度6分の高熱が出て、私が「兄ちゃん、兄ちゃん」と声をかけても意識がない状態になり、近くのかかりつけの先生に来て頂きましたところ「重体ですから直ぐに入院しなければならない」と言うことで救急車で市立病院に運ばれました。兄が入院してから毎日聖経『甘露の法雨』を誦げていましたら、3日目の明け方に胸の底から‘神癒祈願’という思いが突き上げて参りまして、ハッとして目が覚めました。枕元の時計は午前4時でした。その時「必ず治して頂ける」との確信が満ち、お医者様は重態ですと申されましても、兄も私も心が乱れずに、時間があると一心に聖経『甘露の法雨』を読誦致しました。お蔭様で9月29日に無事退院出来、誠にありがとうございます。
入院中、37.8度の熱があります時も、朝夕の食事は全部食べることができましたので、お医者様も熱があるのに食べられるのは不思議だと申されておりました。また、胃カメラ、胸部レントゲン、CTスキャンで色々と調べて頂きましたが、逆に病気は一切無いことが証明される結果となりました。 生長の家の大神様の御守護により兄を癒して下さったと心から感謝申し上げます。
また入院中、兄は聖経を誦していましたら、看護師さんが尋ねられた由で、手元にある「白鳩」誌を五冊差し上げました。これからは病院にも出かけて普及誌の愛行に励みます。

156, 頭内の病変が消えた

                         S.Iさん 「宝蔵」第161号より 2009年3月16日更新

この度「神癒祈願」のお蔭で、次男(16歳)の頭内(脳と鼻との隙間)の病変が消えて癒されましたので、御礼申し上げます。
平成10年8月初旬、次男に病変(頭部の痛み)があり、念のためにと病院でMRIの検査を受けました。どうしてそんなものが映るのかと、とても心配になり、宇治別格本山に神癒祈願を出させて頂きました。私は一心に神様に祈り続け、先祖供養にも力を入れさせて頂きました。するとその結果、医師は「2cm程あった影が1cm程になっている」といわれました。そして「今は直ぐにどうこうすることもないだろう」と言われ、そのままにしておきました。
そして12月27日に次の予約を入れており、再びまた別の医師に診察を受けました。するとその医師は「どうして今まで放っておいたのですか。すぐにMRI検査を受けさせなさい。手術をしても一番難しいところだし、このまま放っておくと、目が見えなくなることもあるから」と、色々不安になることを言われ、全身から血が引いていくのがわかりました。
12月30日、早急に私は宇治別格本山に再度、神癒祈願を出させて頂きました。神様は「完全円満な素晴らしい神の子さんを私に授けて下さっているのだから病気など一切無い」と堅く信じ、ただただ実相円満完全な神の子の息子を想い、神想観の実修に、聖経『甘露の法雨』の読誦に徹しました。次回の検査は1月26日でした。その検査の日にも息子にはしっかりと神癒祈願のお守りを持たせて、「僕は神の子・完全円満」を心の中で唱えるように言いました。そして今回の検査の結果は、異常なしで、何にもありませんでした。前回の検査の結果と今回の検査の結果を何度見比べても、不思議なことに今回のMRIにはないのです。きれいな頭の中です。医師はとても不思議そうな顔つきでした。医師は「何もないからもうここには来られなくてもいいですよ」と言われました。私は有難くて有難くて感謝の気持ちでいっぱいになりました。神様ありがとうございます。全てを神様に全托し、祈りに徹した時に、神様の愛が顕れ、癒されたのだと実感致しました。
今までも色々なお蔭をたくさん頂いております。そしてこのような貴重な体験をさせて頂き、息子も今は精一杯勉強に励んでおります。これからも一層、一人でも多くの方に、この素晴らしい御教えをお伝えしていくことが私の使命だと思っております。ありがとうございます。合掌 


155, 心筋梗塞癒ゆ

                         C.Hさん 「宝蔵」第160号より 2009年3月16日更新

この度神癒祈願のお蔭で、主人(58歳)の心筋梗塞が癒されましたのでお礼申し上げます。
平成10年4月5日の日曜日、お天気も良く、私達夫婦は友人の夫婦とご一緒に花見に出かけました。お弁当を食べたり、カラオケ大会の応援をしたりと、楽しいひとときを過ごしました。
午後4時頃帰宅して、主人が「疲れた」と言いますので、私は「横になったら」といってパジャマを着せて差し上げました。すると主人は急に「胸が苦しい」と言いますので、これはおかしいと直感し、救急車を呼び、市民病院に行きましたところ、その病院の医師は少し検査をして「心臓の血管に血の塊があり、それを急いで摘出しなければなりません。しかし、地元の市民病院では日曜日のため手術が出来ないので、救急病院まで運んで手術を受けなければなりません。でも、命があるかどうかはわかりません」と言われ、また別の救急病院を紹介して下さいました。
そして、救急病院まで運ばれ、さっそく手術が始まりました。その時、私の娘と生長の家の誌友さんがすぐに宇治別格本山での‘神癒祈願’をお願いしてくれておりました。一方、私はお聖経のお守りを主人に持って頂き、聖経『甘露の法雨』の読誦を続けていました。そして手術は終わり、なんとか一命をとりとめることが出来ました。
入院中主人は聖経『甘露の法雨』と神癒人型を身につけておりました。そして思ったより早く退院することが出来ました。
後に市民病院の医師にお礼に行きましたところ「えっ、あの時の方ですか」と、主人が生きていたことにビックリしておられました。
そして半年後の平成10年11月24日から、カテーテルの再検査を致しましたが、その時も入院するにあたり、身体の調子が余り良くありませんでしたので、大変心配しておりました。医師からは「血管が細くなっているところがたくさんあります」と言われました。
そこで早速、神癒祈願の申込みを致しました。毎日神癒の成就を信じ、神想観の実修、聖経『甘露の法雨』の読誦を続けました。
検査の結果の日、担当の医師が「大変に心配しておりましたが、大丈夫です。よかったね、本当に良かったね」と言って下さったと、主人より聞きました時、本当に嬉しくて涙が出ました。私はその時「神様 ありがとうございます」と言っておりました。
主人と共に“これは絶対に「神癒祈願」のお蔭だ”と喜び合いました。神様・御先祖様に心より感謝申し上げます。この喜びを多くの人にお伝えさせて頂きます。ありがとうございます。合掌


154, 子供のリンパ管腫癒える

                         F.Mさん 「宝蔵」第137号より 2009年3月10日更新

4年前のことです。1歳9ヶ月の長女が、左肩に腫瘍ができ、大学病院で診察を受けましたら‘リンパ管腫’という病名でした。「手術をしますが、腕の上がらない、再発するなどは考えておいて下さい」と言われて、ショックでした。
神癒祈願で授かった神の子さんだった。神様が守って下さる、大丈夫だと思い続け、宇治に神癒祈願をお願い致しました。
いくつもの検査の後、医者と看護師さんに押さえつけられて、薬を入れてもらいました。夜中から高熱が出て来て、しばらくは下がらず、何度も看護師さんを呼びに走りました。家の方に神癒祈願の人型が届きましたので主人が直ぐに持ってきてくれました。小さな聖経『甘露の法雨』のお守りに入れて、いつも肌身離さず持っておりました。
日が経つにつれてどんどん腫れていき、ちょっと触っても痛がって泣き出してしまいます。谷口雅春先生の聖典『生命の實相』や『病が消える』を拝読しましても、何が悪くてこうなったんだろうと、目の前の病気を掴んで放せませんでした。
1ヶ月後の診察をお願いして、思い切って退院しました。神癒祈願をして21日が経ち、4月15日に2回目の神癒祈願をお願いしました。申込用紙に名前を書き込んでいますと「娘は神の子さん、神様の御心のままに導き給え」と思えてきました。神様に全托することができてからは本当に楽になりました。
1ヶ月後の診察では「2回、3回注射をすれば治るケースもありますが……」と言われても、動揺しなかったのが自分でも不思議でした。全て一切のことが神の現れであるとわかった時、本当に嬉しくて有難くて仕方ありませんでした。そんな思いになった時、目に見えて肩の腫れが小さくなっていきました。3月下旬に入院し、5月15日の2歳の誕生日には左右対称の肩になり、すっかり治っていました。「そのまま素直に有難い」と言う心が、神様の波長にあって癒して下さったのでしょうか。特に父母に感謝し、一切のものと和解することの大切さを身をもってわからせて頂きました。
その後の経過は後遺症も再発もなく、4年後の今日も、娘は健やかに育っています。


153, 宅建試験に1回目で見事合格

                         H.Sさん 「宝蔵」第76号より  2009年3月10日更新

平成3年10月の宅地建物取扱主任者(宅建)試験合格者が、12月4日に発表され、小生はめでたく合格させて頂きました。昨今、宅建試験も法律改正や不動産ブームのあおりを受けて難関となり、ここ数年は毎年40万人の受験者で、合格率は10%弱となっています。小生が一回目の受験で見事合格できましたのは、神様のお導きで最も必要な参考書、問題集などを授かり、短期間に効率的に勉強できたこと。また、試験直前よりお願いしました神癒祈願のお蔭で、試験当日は心が落ち着いて、充分な力を発揮できたことにあると感謝申し上げます。
神癒人型を胸のポケットに入れて試験に臨みました。120分の時間の内、100分で一通り終え、残り20分で見直しましたが、不思議と見直した箇所に間違いがあり、訂正して正解を得ました。普段なら間違っていたような問題でも正解を得ていたようです。これも祈願のお蔭と感謝いたします。結局、自己採点で40/50(合格ラインは31/50といわれています)ということで楽勝だったようです。


152, 最も善い短大に合格

                   Y.Nさん 「宝蔵」第78号(最新号)より  2009年3月2日更新

私は、この度の大学受験に際し神癒祈願をお願いし―神様の最も善いと思われる短大に入学させて下さい―と祈っておりました。
最初、4つの大学を受験することを考えておりました。1校目の試験が終わり、2校目の受験の前日が、4つめの学校の願書締切日になるので、願書を出すべきか否かと悩んでおりました。その時、母より「神想観しなさい。きっと良い答えを神様が下さるよ」と言われ、真剣に祈っておりますと、ぱっと心に「背水の陣」と言う言葉が浮かびました。「あっ、『生命の實相』を読まなくちゃ」と思い、『生命の實相』を手にしたのが第7巻で、パッと開いたところが151頁で、最後の行が目にとまりました。そこから読み出しますと、それがなんと私の置かれている状況にぴったりだったので、驚きのあまり大声で叫んでしまいました。ずーっと読んでいく打ちに、感動で涙が止まりませんでした。そこで私に一番ぴったりだったのが「断じて‘われ神と偕になす、それゆえに必ず成就する’と信ぜよ」と言うところでした。その力強い谷口雅春先生のお言葉で私の不安も何もかも吹き飛んで行ってしまいました。
4つめの短大は、高校の先生に「大丈夫か?」と言われながらも、神様の御心のままに必ず良くなると信じて、出願しませんでした。2つめに受けた短大が合格しました。その短大はかつて谷口雅春先生が講演会をなさった所ということで、そこに入学することに決めました。これも神癒祈願の導きと感謝いたしております。私は幼稚園の先生になりたいので、短大に入ってからは、愛深い先生になれますように努力いたします。


151,脳動脈瘤癒ゆ

                        K.Tさん 「宝蔵」第135号より  2009年3月2日更新

この度、神癒祈願のお蔭で脳動脈流が癒されましたのでお礼申し上げます。
11月末頃より頭痛(左耳の横)がひどく、病院へ行き頭痛薬と筋肉をやわらげる薬を服用していました。11月16日に国立病院へ行って、脳神経外科でCT検査をしてもらいました。指定日にMRIを撮って頂きました。一週間後の27日に病院へ行きましたら「脳動脈瘤がありますので、12月2日に入院し、3日に造影剤を入れての検査をします」と言われ、目の前が真っ暗になりました。
翌28日宇治別格本山へ行き、及川先生の個人指導を受けました。先生は「頭の病気だから目上の人に感謝して、先祖供養を真心込めてしっかりやることですね」と言われました。神癒祈願を申し込み、幽斎殿で神想観をして帰りました。
私の主人は12年前に脳梗塞で手術をしました。それ以来退職し、家でずっと養生していて手がかかります。また、88歳になる姑に対しても心の奥では素直になれず、主人と姑に不満があったことを懺悔しました。先生の言われたように「主人と姑は私の魂を向上させて下さる観世音菩薩であった」と心から感謝しました。
12月2日に宇治より送られてきた神癒人型を身につけて国立病院に入院しました。翌3日の午後1時より約一時間の造営検査を受けました。その結果「脳動脈瘤は消えています」と医師が不思議そうに言われたそうです。検査後にわかったのですが、家族には「年内には必ず手術しなければならない」と言われていたそうです。
この様にありがたいお蔭を頂きました生長の家の御教えと聖経『甘露の法雨』の素晴らしさ、更に神癒祈願の賜物と心より感謝申し上げます。