250, 肺気腫が消え、妹の腎臓癌も快癒

              T. Y (男性)  「宝蔵」 第324号(H24.10.1)より 2012年11月 6日更新  

  合掌 ありがとうございます
昨年10月に実家の父から突然の電話があり、
妹が腎臓癌であると知らされました。

  妹は結婚していて、幼い子供が2人います。
両親はとても落胆してしまっていて、
私も妹の病気をすぐには受け入れることは出来ませんでした。

 生長の家の御教えは母方の祖母の頃からの信仰です。
私は青年会員でしたが、ここ10年ほどは青年会活動から離れてしまっていました。

  今回の妹の病気がきっかけとなって、
私は「今、何をすべきか」と信仰の原点に返ることが出来ました。

 すぐに宇治別格本山へ出向き、幽斎殿で祈り、
妹の神癒祈願を申し込みました。

 実は私自身が神癒祈願で癒された体験をしています。
それは、平成4年高校3年生の時に肺気腫を患いました。
医師からは「手術しか方法はない。一生治らない可能性が高い」
と診断されていました。

  宇治の初詣練成会に初めて参加し、
体験集『宝蔵』合本第1集( 宝蔵第8号 )、
「幽斎殿の神想観中に住吉大神、谷口雅春先生があらわれいやされた」という体験と、
第3集(宝蔵第26号)、「多発性胃十二指腸潰瘍癒ゆ」を見つけました。

私はすぐに幽斎殿へ行ってお祈りをし、神癒祈願を申し込みました。

 帰宅後、手術のための検査を受けると、
医師はレントゲン写真を見て、首を傾げながら
「不思議だ、肺はすっかりきれいになっている。」とおっしゃいました。
肺気腫は全く消えていたのです。

 自分の治癒体験から、妹も必ずよくなると信じていましたので、
いつも明るく力強い言葉で「神様が一番いい方向に導いて下さるから大丈夫。」
と明るく力強い言葉で接していました。

  神癒人型が届くと、感謝の気持ちはより一層深まりました。
2週間後、両親から再び連絡が入り、手術は無事に終わり、
予想以上に全てが順調で良好だということと、
「再発の危険性は全くない」と担当医が太鼓判を押してくれたことを伝えてくれました。
家族中がやっと安心できた瞬間でした。

  もうすぐ一年が経ちますが、妹はすこぶる健康に過ごしております。
今回のことで、生長の家の大神様に助けて頂いたありがたさを痛感しました。
少しでもご恩返しがしたいと思い、再び青年会活動に励もうと決意しました。

青年会の仲間からも快く迎えてもらい、
これからは、教区の仲間と共に生長の家の素晴らしさと
信仰の悦びをより多くの方々にお伝えしていきたいと思います。

 

249, 危険な状態の妻の高血圧症がすっかり癒されました

              M. K. (男性)  「宝蔵」 第323号(H24.9.1)より 2012年9月29日更新  

                                        
  合掌 ありがとうございます
今年2月12日、妻(86歳)が高血圧症で危険な状態になり、
急遽神癒祈願をお願い致しました。
今ではお蔭様で、血圧の上が140~150mmHg、下は60~70 mmHgに安定し、
大変楽になっています。ありがとうございます。

   妻は若い頃から高血圧症気味でしたが、
あの時は上が200 mmHgを越えていました。
病院からもらっている血圧降下剤を服用しましたが、
普段は1時間前後で正常値になるのですが全く効きません。

  身体が震えだすし、すぐに日赤病院へ救急で診察して頂きました。
1時間程で血圧は下がって、CT検査で脳にも全く異常なしと診断されて帰宅致しました。

  自宅でほっとして休んでいたのですが、
再び妻の気分が悪くなり始め、血圧を測ると、
またも200 mmHg、あれからまだ数時間しか経っていません。

  妻は、「目を閉じたら天井がお花畑に見える。
天井に洗濯物がいっぱいぶら下がっている」といい始め、
幻影が見えている様でした。

  背中をさすりながら、「神の子・実相円満完全」と唱えていると、
うとうと眠り始めました。私は「神癒祈願をお願いしよう」と思いつき、
すぐに宇治別格本山へFAXで祈願を申し込んだ次第です。

  妻には「もうしっかりと神様と繋がっているから大丈夫。
安心していいよ」と伝え、2時間ほど背中や足をさすりながら
実相円満誦行を続けました。

   祈願人型が届いてからは、ずっと枕の下に敷いていました。
妻の症状はその日から段々よくなって、
食べる気がしないと殆ど食事もせずに、
僅かな飲み物しか口にしなかったのが、
2日目の朝には、「茶粥が欲しい」と言って、
軽く一膳食べることが出来ました。

    私にとっては言葉に表せられないほど嬉しいことです。
今も毎食きちんとおいしく頂けるようになり、家族中大変喜んでいます。
血圧も130 mmHgまで下がり、安定しています。
勿論、薬はあれ以来全く飲んでいません。
神様の癒しを体験させて頂きました。
皆様に心から感謝申し上げます。

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248, 外孫の嫁の切迫流産の快復と息子の繁栄成就

            H. A さん 〈女性〉  「宝蔵」 第322号(H24.8.1)より 2012年8月11日更新  

合掌 ありがとうございます

5月中旬に、外孫から
「妻が切迫流産のおそれがあると診断された」
との電話がありました。

お嫁さんは出血をして、かかりつけの産科に診てもらうと、
即刻、最低2週間の絶対安静を申し付けられたそうです。

すぐに私は電話にて宇治別格本山へ神癒祈願をお願いし、
翌朝神癒祈願の申し込みをしました。

姑になる私の娘の家に引き取って安静を続けることになり、
祈願人型が送られて参りましてから、
私は人型を両手に挟みながら神想観をして、
「神の子の曽孫が元気で誕生致しました。
ありがとうございます」と実相円満誦行を
心込めて行じました。

2週間目にエコ−検査をして頂きますと、
「赤ちゃんは元気に動いています。もう大丈夫。
それにしても快復が早いですね。」
と医師から太鼓判を押して頂きました。

神癒祈願のお蔭と感謝致しております。
お嫁さんも切迫流産という危険な状態の生命を救って頂いて、
大変感謝しております。
本人も医師をしており、ご恩に報いられるように、
さらに患者さんのお役に立てるようになりますと誓っておりました。

また、息子の神癒祈願のこともお蔭を頂きました。
息子は昨年1月で定年を迎えましたが、
会社の役員会議で「まだ当分会社に残って力を貸して欲しい」との要望があり、
私は昨年より毎月、会社の繁栄と息子の健康を
宇治へ神癒祈願をお願いしております。

祈願人型が届きましたら、息子にいつも
「『神癒祈願に関する谷口雅春先生のお言葉』を読んで、
必ず実行するように」と申しておりますし、
息子もスーツの内ポケットにいつも人型を携帯してくれています。
 
息子の会社は中堅の総合商社で、
特に祈願をお願い始めてから、金沢、福井、下関など
初めての会社に出向いて、部長クラスの人と商談を始めますが、
不思議なくらいに先方より信用して頂き、
次から次へと大きな注文を頂いております。

今期も今までにない大きな黒字が続いております。
社員も喜び、今まで以上に団結しているそうです。
7月中旬には一泊の社員旅行のご褒美も頂けました。
これもひとえに神癒祈願のお蔭です。
祈って頂きました皆様、本当にありがとうございます。 


 

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247, 娘のさまざまな心の病いが消えました

            G. K さん 〈女性〉  「宝蔵」 第321号(H24.7.1)より 2012年8月4日更新  


  合掌 ありがとうございます
昨年6月から今年の3月迄、娘の心の病気で継続神癒祈願をさせて頂き、
祈願成就させて頂きましたので、お礼の報告をさせて頂きます。

 娘は摂食障害、うつ病、家庭内暴力、対人恐怖症のため、
登校拒否を起こしておりました。

  今年4月、病状が完治致しまして、心より感謝申し上げます。
当時高校3年だった娘は、昨年6月より多数の病状が現れてきました。
「優秀で、行動力のある娘がいったい、どうして?!」と
私たち夫婦は悩み、死にたくなる程、辛くて悲しく厳しい日々が続きました。

  娘の現状を素直に受け入れるには相当時間がかかり、
悪夢であってほしいと願うばかりで、私にとって初めての体験でしたので、
私の方が心身共に不安定になってしまいました。

 すぐに宇治別格本山へ娘の神癒祈願をお願い致しました。

 神様としっかり繋がっていると安心した私は、
聖経読誦と神想観、聖典拝読を毎日続け、
「神様が必ず一番いい時期に最もふさわしい
解決策を与えて下さる」と確信することが出来、
祈願を継続しました。

  真理を真剣に学ぶようになって、
私自身にも反省の気づきがありました。

私は両親や弟妹達と今まで不調和でした。
神に懺悔して、直接お詫びし、和解させて頂きました。
そうして私は自分を神の子として見つめ直すことが出来て、
一層真理を生活に実践していきました。

 今年3月、あれ程まで別人のようになっていた
娘のさまざまな症状は全て消えてしまいました。

4月からは対人恐怖症だった娘が、
接客業のアルバイトをしながら、
通信制の高校へ入学して登校しております。

  娘は、以前よりも意欲的で行動的になり、
益々心優しく温厚な性格になって、
本人も、家族中も驚くばかりの大奇跡を頂きました。

  夫婦の間も以前よりも仲良く調和して、
私も心身ともに健康にならせて頂きました。

 このような貴重な体験を私達家族にさせて頂き、
家族の心の絆も強くなりました。

  これからも三正行に励み、真理を生活に生きて参ります。
娘を通して数多くの学びをさせて頂けまして、
神様ありがとうございました。

神癒祈願をして下さった皆様、ありがとうございました。
周囲の皆様のお役に立てるような神の子の生活をして参ります。

 

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246, 主人の母の悪性リンパ腫が完治した

            M. H さん 〈女性〉  「宝蔵」 第320号(H24.6.1)より 2012年7月18日更新  


  合掌 ありがとうございます
平成22年11月、主人の母が悪性リンパ腫と診断されました。

 私達は埼玉県に住み、主人の両親は関西に住んでいました。
父は16年前に脳梗塞となり、右手右足が不自由で
,母はひとりで介護していました。
その母が病気になり、治療するために両親を埼玉に呼び、
私達の家で孫達三人と七人で暮らすことになりました。

母の治療は、転地したことで病院探しから始まり、
本格的な治療に至るまで一ヶ月を要しました。

 12月24日に入院出来るというところまでこぎつけたのに、
12月22日母の気力が急激に失われ、
このままでは危ないと思って、夜中に入院する病院に無理をお願いして、
2日早く入院させて頂き、それからすぐに抗がん剤の治療が始まりました。

 悪性リンパ腫と診断された11月すぐに宇治へ神癒祈願を申込みました。
母は祝福祈念された祈願人型をいつも感謝して患部にあてていました。
私も母の実相を祈り、神想観と聖経読誦を毎日続けていました。

 第一回目の抗がん剤治療でかなりの効果があって、
母は日に日に快復の兆しが顕著となりました。

  およそ半年の治療を終えて、最終のPET(ペット)検査
( 核医学検査の一種で、全身を一度に調べられる為、
癌の転移や再発を調べる際に重要な検査とされている)
の診断結果では、医師から「もう完全に治りました」と
太鼓判を押して頂きました。

 その後、両親は長年住み慣れた地を離れ、埼玉に引っ越して、
小さな一軒家にふたりで住んでいます。
父は車いすの生活で、色々介護が必要なので、今も日々、
さまざまなことがありますが、近くに越してきてくれたお蔭で、
主人の両親の世話をすることが出来て、私はとても幸せです。
 
 振り返ってみると、真っ先に宇治へ祈願を申し込み、
神様としっかり繋がることで、大変安心出来ました。

  皆様から祈って頂いたお蔭で、全てがスムーズに運び、
母は順調に快復しました。本当にありがとうございます。
心よりお礼申し上げます。

 あれから丸一年経ちましたが、母は何事もなく、
大変元気に過ごしています。
両親の家からは、新河岸川の桜並木がとてもきれいに見えます。
今年は家族揃ってお花見が出来ました。

 

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245, 二男が無事高等学校に合格しました

            M. F さん 〈女性〉  「宝蔵」 第319号(H24.5.1)より 2012年7月2日更新  

 合掌 ありがとうございます
此の度は、二男の高等学校の受験で
神癒祈願を申込みさせて頂きました。

  2月15日に、県立公立高校の推薦、特色(選抜)入試が行われ、
第一志望校である県立S高等学校の会計科を推薦入試で挑戦しました。

しかしながら、2月21日に合格内定通知を頂くことが出来ず、
息子は3月6日に行われる一般(選抜)入試に再挑戦することとなりました。

一応、念のために滑り止めとして、私立の併願校の受験を2月10日に受けて、
その方はお蔭様で2月13日にすでに合格通知を頂いておりました。

 それでもやはり本人としては、第一志望校の進学を強く望んでおり、
一般入試で、もう一度挑戦できるという特権を活かしてもらうことが
出来たらよいという親としての思いもあって、宇治別格本山に神癒祈願を
申し込みさせて頂きました。

 推薦入学で一足早く進路が決まった仲間がいる一方で、
息子は最後まで諦めないという強い意志を持ち続け、
「神の子 無限力」という、頑張る力を神癒祈願により、
たくさん頂けたと思います。

 その結果、お蔭様で二男は無事、3月16日に第一志望校に合格することが出来ました。
ありがとうございます。

また、息子と同様に県立S高等学校を一般入試で再挑戦をした仲間も、
無事に一緒に合格することが出来、みんなとてもありがたく感謝しております。

本人はこれからの高校生活に夢と希望をいっぱい持って、
4月9日の入学式を無事終えることができました。

お祈り頂きました皆様、本当にありがとうございます。

 

 
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244, 弟の大腸癌が消えた

            Y .S さん 〈女性〉  「宝蔵」 第318号(H24.4.1)より 2012年6月15日更新  

  合掌 ありがとうございます
私の弟(65才)は3年前に大腸癌となり、手術を受けました。
その後、弟は医師から「リンパに転移している」と云われました。
そのことを弟から聞かされた時には、これから弟はどうなってしまうのかと
気がきでなりませんでした。

  私は誰にも言うことの出来ないまま、不安でいっぱいでした。
聖典『生命の實相』や普及誌を、弟に読んでもらいたい一心で渡しました。
そして宇治別格本山へ神癒祈願を申込みました。

 昨年6月に、弟は医者から余命6ヶ月の生命との宣告を受けました。

私は引き続き神癒祈願を申し込み、毎日弟の完全円満な
神の子の生命を祈り続けました。

 宣告を聞いた時は悲しみだけだった心は、
日一日と明るい方向へ向き始めました。
神様の世界には「本来不完全なものなし」と、
弟の實相を祈り続けることができました。

 そして半年が過ぎ、12月に検査をした結果、
弟の癌は消えていました。

  「何もない」との医師の診断を頂き、天にも昇る気持ちで、
家族皆心から喜び合いました。

 それから弟は退院し、しばらくの間、自宅療養していましたが、
今では、私の農業の手伝いをしてくれています。
毎日私の家に来て、柿の枝の剪定など軽い仕事をしています。
体重も随分増えて、顔色もよくなっています。
その姿を見て、家族中がニコニコ顔でよかった、よかったと喜び合い、
感謝の気持ちで生活させて頂いています。

 これからも感謝の気持ちを忘れずに、
神様第一の生活をしていきます。

 

243, 脊椎圧迫骨折の奇跡的な快癒

             T .N  さん〈女性〉  「宝蔵」 第317号(H24.3.1)より 2012年5月14日更新  

  合掌 ありがとうございます
先月1月16日に電話で神癒祈願をお願いした者です。
大変な大事故、大けがだったのですが、
神癒祈願のお蔭で医師が「全くの奇跡だ」という程の快復振りで、
お礼の報告をさせて頂きます。

こうしてお礼を申し上げることが出来きて大変嬉しいです。
本当にほんとうにありがとうございます。

実は、私は私立高校の養護教諭をしております。
柔道の新人戦が1月15日にあり、
その試合中に私が勤めている高校の生徒が、
相手に技を掛けられて背中から床にたたきつけられてしまいました。

その生徒は脊椎の圧迫骨折になってしまい、
首から下が全く動かなくなっていました。

すぐに救急車で病院に運ばれて、7時間にも及ぶ大手術を受けて、
手術は成功しましたが、担当医からは
「最悪の場合は、首から下が全く動かせなくなるかもしれません」
と言われたそうです。

翌日学校で、引率していた柔道部の顧問はおろおろとうろたえて、
私に話してくれました。

「生徒がそんな状態なら不安になるのは無理もない」と思いましたが、
幸いにも私は生長の家の御教えに触れていますので、
その話を聞いた時、不思議にも「その生徒はきっと必ず良くなる」という気がしました。

その若い男性の顧問には「今は医学もとても進歩しているし、
良くなっている人もたくさんいるよ。あきらめずに元気を出して彼の快復を信じましょう」
と励ましの言葉をかけ、すぐに宇治へ神癒祈願をお願いした次第です。

私は今まで、数々の奇跡的な体験を頂いておりますので、
その生徒は本当にきっと良くなるという確信に満ちた気持ちが溢れてきました。

送られてきた生徒の人型を手に挟んで神想観をして、
實相完全円満なすがたを祈り続けました。

毎日病状を知らせてくれる教員へも「大丈夫、大丈夫」と
朗らかで大安心の力強い言葉をかけてあげることが出来ました。

そして2月10日には、その顧問から
「本人は初めて足を動かすことが出来るようになるまで、
快復しました」と嬉しい報告をしてくれました。

「神様ありがとうございます。本当に良かった」
と私も嬉しくてたまりませんでした。

今(2月21日)その生徒は退院して、リハビリに励んでおります。
神癒祈願は本当に素晴らしいです。ありがとうございました。

 

 

  

242, 乳癌は消えていた

             A .S  さん〈女性〉  「宝蔵」 第316(H24.2.1)より 2012年2月13日更新  

  合掌 ありがとうございます
私は昨年10月上旬に乳癌の検診を受けました。
その時私は自覚症状は何もありませんでしたが、
何となく「乳がんではないか」という不安な気持ちがありました。

1 ヶ月後に検診結果が届き、
案の定、乳癌の項目のみに「要精密検査」と印が付けられていました。
 
  11月下旬に精密検査を受けました。
その結果は「今はまだ小さすぎて腫瘍が良性なのか、
悪性のものなのかを検査することも出来ません。
また1ヶ月後に来て下さい」とのことでした。

 私はとても不安になり、
「こんな気持ちでこれから1ヶ月間も過ごせない、
誰かに相談したい」と思いました。
好都合なことに、翌日は母親教室があるので
思い切って相談してみると、
ちょうど明日宇治別格本山へ行く方がおられたので、
神癒祈願の申込みを預けました。

 翌朝より宇治からの神癒の祈りが私の元に届くと思うと、
ありがたくて感謝の気持ちでいっぱいでした。

 それからは毎朝夕時間を決めて神想観をし、
先祖供養を続けました。

母親教室の皆さんからは読んだらいい聖典や
真理の言葉などを教えて頂きましたので、
仕事に行く時には『生命の實相』八巻
「無限生命に汲む道」や聖経『続真理の吟唱』を携帯し
繰り返し読んでいました。

 神の子の自覚が深まるように、「われと神とは一体なり。
わが実相は神にして今現に絶対健康なり。
神はすべてのすべて。神のみ在(い)ます。
ありがとうございます。」と、いつも心の中や、
声を出して唱えました。

 そしてちょうど1ヶ月が経ち、再検査を受けました。
結果は、「全く何も見つかりません。 小さな腫瘍さえも消えています。」と
太鼓判を押して頂きました。

神様、ありがとうございます。
神癒祈願で祈って下さった多くの皆様、ありがとうございます。
これからもより多くの方々のお役に立つように致します。

 

 

  

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241, 希望以上のマンションを購入

             A .I  さん〈男性〉  「宝蔵」 第315号(H24.1)より 2012年2月10日更新  

  合掌 ありがとうございます
此の度はマンション購入の祈願を申込みました。
お蔭様で納得のいく予想以上の素晴らしいマンションを
購入することが出来ました。

近頃は不動産価格が下落しており、
買い時ではあったなと思いますが、
条件を絞り込んでいくと中古のマンションといっても、
価格も手頃で納得いくものは殆ど見つかりませんでした。

一時期は周辺環境や場所の遠さに目をつぶって、
価格の比較的安い物件を検討したりもしてみましたが、
やはり満足いきません。

そんな頃に、築浅の物件を見つけました。
築浅(ちくあさ)・・・建築されてからの年数が浅いこと

周辺は緑豊かで、リビングからの風景も、
のどかな感じがして気に入りました。

すでにリフォーム済みで、広さも条件を満たしていて、
構造も強固でしっかりとしています。

少し見栄も張ってみたいなと思い、
この立派なマンションに私も妻も一目惚れでした。

でもやはり価格が高い。
他の物件で妥協するか…等々と悩んでいた時に、
母から神癒祈願を勧められた次第です。

祈願を申込んだ後は、神様に全てをお任せすることにし、
とりあえず一番気に入ったこの物件に対しては、
支払える最大限の金額で購入希望を出しておきました。

最大限といっても一般よりはかなりの値引き金額でお願いしたわけで、
仲介の不動産の担当者は、ややあきれていた様子でした。

しかし、売り主側の不動産は私達の希望購入額に応じてくれたのです。
今でも信じられない気持ちで、将に神様のお導きと感謝しています。

新居で実際に生活を始めてまだ一ヶ月弱ですが、
とてものどかな地域で、住民の方々も雰囲気が良くて、
家の住み心地も申し分ありません。

駅から歩くと少し遠いのですが、最近体重を気にし始めている私には
むしろちょうどいい運動かも知れません。

今後、子供達が自然の中で明るく元気に育ってくれるのを楽しみにしています。
願ったとおりの素晴らしいマンションに大変満足しています。
本当にありがとうございました。

 

 

  

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240, 娘の受験合格

              O.Rさん〈女性〉  「宝蔵」 第314号(H23.12)より 2012年2月7日更新  

合掌 ありがとうございます。

この度は、娘の高校受験で
神癒祈願をさせていただきました。

私は随分前から友人のお宅で開催されている
母親教室に参加させて頂いておりました。

娘の受験のちょうど1ヶ月前の母親教室で、
娘の担任の先生から「志望高校の合格は厳しいですね」と言われ、
どうしたらいいのかと相談させて頂いた時に、
神癒祈願のことを教えてもらいました。

特にお孫さん3人の神癒祈願を申し込み、
皆揃って希望の大学へと進んだという話を伺い、
早速宇治別格本山へ娘の合格の神癒祈願を申込みました。

人型が届いた日から毎晩寝る前に娘のことを祈りました。

祈り続けているといろんなことが思い出されました。

担任の先生に冷たく言われたお蔭で、こうして神癒祈願を教えて頂き、
改めて色々な方々や出来事に感謝する大切さを知りました。

祈っていると、正月には毎年家族でお墓参りをしていたのに、
今年は忙しさのあまりお参りしてなかったことを思い出し、
すぐにご先祖様のお墓に行き、感謝の気持ちで聖経を誦(あ)げました。

普段何気なく見過ごしてしまっていた
感謝する心に気づかせて頂いた、
そんな気がしました。

間もなく第二志望の私立学校を受験する日が来て、
娘は無事に合格させて頂きました。
「これで第一志望も必ず合格する」と確信が持て、
神様が「真っ直ぐそのまま進んだらいい」と
娘や私に示して下さっている気がしました。

娘も気持ちがとても楽になったようで、
受験の日「絶対大丈夫だから」と言って出かけていきました。

娘は人型を身につけて「神の子・人間」を信じて試験に臨みました。
「わが魂の底の底なる神よ、無限の力湧き出でよ」と心の中で
何度も唱えていると答えがふっと浮かんできたそうです。

第一志望校の合格発表の日、
足が震えつつも娘の受験番号を見た瞬間、
喜びに変わりました。

見事合格させて頂きました。ありがとうございます。

生長の家のみ教えを私に教えてくれた友人に感謝しています。

これからはこの体験を通してより多くの方々の
お役に立ちたいと願っています。

 

 

  

239, 息子の不登校が治る

       

Y.Kさん〈女性〉  「宝蔵」 第313号(H23.11)より 2012年2月6日更新

合掌 ありがとうございます
6月末日に、夜遅く電話にて緊急で息子の實相顕現をお願いしました。

担当の若い男性職員の方が、
「もう大丈夫ですよ。安心なさって下さい。すぐにお祈りしますから」と
仰って下さった言葉に、心が久しぶりに安らいだことを今も憶えています。

「本人の成績では絶対に無理」と担任は云われても
「いいえ、受験します」と断固として答え、
50番以内の成績で無事合格して、高校生活が始まりましたが、
校風に疑問を持ち、6月の中間考査2日目からは全く登校せず、
大好きな部活も止めて不登校となりました。

家の中では、静かにしているかと思えば、
壁を叫びながら叩いたり、泣きわめいたりすることもありました。
私に泣いて怒鳴り、鏡を殴り、物をひっくり返して壊すこともあって、
どうしてやることも出来ず、おろおろとするばかりでした。

その頃、藁をも掴む思いで宇治別格本山へ神癒祈願をお願いしました。
「神様と繋がっている」と思うと気持ちが大変楽になり、
祈願の人型が届いてからは、ずっと手のひらに挟んで神想観を続け、
息子の實相を心穏やかに、ただじっと観(み)続けることが出来ました。

担任の先生とも何度か話し合い、
「なんとか今の高校で頑張らなくてはもったいない」という私の欲も捨て、
「欠席が多く、この状態では早めに私学へ転校した方が良い」という
勧めも受け入れることが出来ました。

最終的に息子は父親と一緒に学校へ行き、
私立高校へ行く手続きをし始めたのです。

それが不思議なことに、「こんな高校止めます」と、
担任の先生に言い切った息子でしたが、
「明日から学校へ行く」と言って、
次の日から登校して行きました。

その日はちょうど神癒祈願の満願の日でした。
自分で希望高校も決めて受験し合格、
不登校をしましたが、息子はあらためて通学する決心をしました。

ちょうど今は2学期の中間考査ですが、
息子は喜々として通学しています。

その元気な後ろ姿を眺めながら、感謝の思いでいっぱいです。
あの頃の姿が全く嘘のようです。

これからは同じように悩んでおられる皆様のお役に立てるように、
ご恩返しをしたいと思っています。 

 

 

  

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238, 息子の「馬尾神経腫瘍」癒ゆ

          大阪府 T.Kさん 「宝蔵」 第312号(H23.10)より 2011年11月27日更新

今年4月に次男が聞いたこともない病気を宣告されて、
なんとか手術が無事に成功しますようにと
神癒祈願のお願いを致しました。

次男は若い時から腰痛気味で、時々医者通いをしていました。
今回もお嫁さんの電話で、「またか……」と感じていましたところ、
病名は「馬(ば)尾(び)神経腫瘍」。

馬尾とは脊髄の下の方にある神経だそうで、
初めて聞く病名でした。
10万人に1人くらいの割合でしか罹らないとても珍しい病気で、
医学書を見ても病名すら載っていません。
インターネットで調べてみると同病者の体験談があり、
手術は身体の中心の神経に触れるので
大変危険であると記されていました。

次男の場合はお蔭様で、この病気の手術を
担当した経験のある先生が病院におられました。

詳しく検査をして頂き、「早期に切除手術をしましょう」との判断に、
本人は少し様子を見てからと思っていたようでしたが、
家族中で話し合い、すぐ手術をお願いしました。

手術前には、主治医から
「手術する箇所が神経の集中する身体の中心部なので、
術後は後遺症が残る危険性もあります。
覚悟はしておいて下さい」と云われ、身体の震える思いでしたが、
神癒祈願のお蔭様で「神の子・人間」の言葉が浮かんできました。

手術は検査時点よりもより複雑な場所に
複雑な状態で腫瘍が出来ていて、
切除しにくく予定の時間をオーバーしましたが、
無事終わりました。
担当医からの「大変難解な手術でしたが、
悪い部分は完全に切除できました。

もう大丈夫。」と自信に満ちた第一声に、
家族中が飛び上がらんばかりの
感謝、感謝の気持ちでいっぱいでした。

私は「生長の家の大神様に救って頂いた。
ありがとうございます」と心の中で叫んでいました。

3週間ほど入院しましたが、退院後も順調に快復し、
7月には職場復帰することが出来ました。

職場の上司、先輩、同僚の温かいご配慮により、
勤務時間や業務内容も優遇して頂きました。

お蔭様で現在はこの猛暑の中ですが体調を崩すことなく
元気に元通りの勤務に励んでおります。
これひとえに生長の家の大神様のお蔭様と感謝しております。

本当にありがとうございました。

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237妹の出産と就職成就

     香川県 森下静香 さん(仮名) 「宝蔵」 第311号(H23.9)より 2011年11月19日更新

息子の怪我、姑の病気、夫のお酒など、
以前より何かある度に宇治別格本山へ
神癒祈願をお願いして、
すべてが成就しておりますことを
心より感謝申し上げます。

今回は、妹の出産と私の就職の祈願をお願い致しました。

実家の妹は、昨年1月末に2人目を妊娠していることが分かり、
その後、卵巣が大きく腫れていると診断されて手術を致しました。

術後にエコー検査すると、医師より「お腹の子供は双子で、
1人は既に亡くなっている」と云われました。

それを聞いて親族は驚き「堕ろさない」「堕ろす」の大問題になりました。
周りの者は「堕ろした方がいい」と結論を出しましたが、
妹夫婦は「どんな覚悟も出来ているし、40歳を過ぎてのチャンスだから、
出産します」と決心しました。

私は早速宇治へ神癒祈願を申し込み、
電話での個人指導もお願いして、
現状をすべてお話ししました。

先祖供養の大切さと「子供が両親を選んで生まれて来るのだから、
まず、喜びましょう」と丁寧に教えて頂きました。

入院中の妹と母にその話を伝えると大変喜び、
母は昨年6月長寿練成会に手押し車を押しながら、
私と参加致しました。

帰宅後、母も私も感謝の気持ちで真剣に聖経読誦を続けておりました。

9月23日お彼岸の日に無事に男子が生まれ、
心配していた障害も全くありませんでした。
今は8ヶ月経ち、元気に成長して体重8kgと
すくすくと育っています。

また、私の就職も素晴らしい職場を与えて頂きました。
今から2年前所属していた部署が合併、その後1年間仕事を続けましたが、
昨年の夏に7年半勤めた会社を退職しました。
そして入院中の妹の家族の世話も一段落した秋頃から、
パソコン訓練校に通い始め、短期間の臨時職員として働きましたが、
次の仕事が全くありませんでした。

面接に明け暮れる毎日にすっかり疲れてしまった時、
神癒祈願をお願いすることを忘れていたことに気付き、
すぐに申し込みました。

気持ちはすっかり明るくなり、「働くことは、はた(周り)を楽にすること。
神様にお任せしたのだから、ご縁のあるところで頑張ろう」と
まず三正行*に励みました。

聖経読誦の33巻目が終わって、その朝一番にハローワークへ行きました。
面接をお願いすると、その日の午後に面接して下さり、
翌日には採用決定というトントン拍子で仕事が決まりました。
しかも、家から5分で通える嬉しい職場でした。

神様は、私に最もふさわしい時期に最も良き職場を与えて下さいました。
ご縁のなかった会社へも感謝の気持ちでいっぱいです。
すべて神癒祈願でお祈りして頂いたお蔭です。
この体験を通して、周囲の皆様のお役に立っていきたいと思っています。
本当にありがとうございました。

 

生長の家でいう「三正行」とは以下の三つを指します。

1. 神想観
2. 聖典・聖経など生長の家の書籍の読誦
3. 愛行

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 236腎臓癌癒ゆ

              Y.H さん 「宝蔵」 第310号(H23.8)より 2011年11月6日更新


 合掌 ありがとうございます 
平成21年の暮れに、血尿に気づき、検査を受けた結果、腎臓癌と診断されました。
数年間介護してきた母が、苦しむことなく安らかに天寿を全うし、
後のことも一段落ついてホッとした矢先のことでした。

すぐに神癒祈願をお願いし、気になっていたご先祖様を
永代供養にさせて頂きました。

忙しさにかまけて疎かになっていた神想観、聖経読誦も
再開、続けるようになりました。
その後、初詣練成会に参加させて頂き、行事を受ける中、
亡くなった主人や両親の様々な思いを振り返り、
いつのまにか自分一人だけで頑張ってきたような気でいたことに気づかされ、
霊界の夫の寂しさを感じ、懺悔と感謝で涙が溢れました。

また、あれこれ考えながら自分を責め、裁いていたことにも気づきました。
浄心行では、父母やご先祖様に愛され、守られていたと感じた時、
ご先祖様が束になって自分の中に入って来られたような衝撃を受けました。

身も心浄められた思いで、新たに検査を受けましたが、
腫瘍は左の腎臓と副腎にもあるようで、
手術を受けるように言われ、正直ショックでした。
でも、ここからが大切と気を取り直し、
本当に神様にお任せする気持ちになり、
「みこころのままに」という祈りのみになりました。

自分のものなど何一つなかった……仕事も財産も、この肉体も命も、我が子も……
すべて神様にお返ししようと思い、幽斎殿に行き祈りました。

勧められてセカンドオピニオンを受けましたが、診断結果は同じでした。
でも、切除しやすいところだけを取り、残ったところは薬で治療してゆくことに
なっていたのが、大手術になっても全部切除した方が、良いということになり、
手術の方法が変わったことにより、二月の予定だった手術日が三月に延び、
そのお蔭で二月の一般練成会を二泊受けることが出来ました。

お陰様で手術も無事に済み、その後の経過も順調で
四月には退院することができました。
再発防止の治療はその後もしばらく続きましたが、
今は、それもなくなり、一年を経て先日検査では、
主治医の先生から「どこにも何の影もありません」と行って頂きました。

これまでの間、毎日ずっと神癒祈願をお願いし、
祈り続けて頂きましたことを心から感謝申し上げます。

思い起こせば、すべて感謝すべき、ありがたいことばかりでした。
元気にならせて頂きました。これも宇治の先生方、
そしてご縁を頂き多皆様の、まごころの祈りとご指導によるものと
心から感謝致しております。本当にありがとうございました。

この気持ちを忘れずに、神想観と聖経読誦を怠らず、
少しでも神様のお役に立つ、みこころに叶った生き方を
してゆきたいと願っています。
                

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 235, 娘の卵巣の腫れと糖尿病癒ゆ

             宮城県 H.Y さん 「宝蔵」 第309号(H23.7)より 2011年9月20日更新

合掌 ありがとうございます 
此の度は2回にわたり、娘の神癒祈願をして頂き、
誠にありがとうございました。

娘は現在56歳で、5年前から糖尿病を煩っています。
夫は既に亡くなっていて子供もいませんでしたので、
実家の私の家に戻っています。

最近、主治医から「左側の卵巣が腫れて8cmにもなっているので、
婦人科で詳しく検査してもらって、入院が必要です」と言われていました。

娘は入院せずに通院しましたが、検査の結果
「卵巣の手術をしましょう」とのことでした。

早速私は宇治別格本山へ神癒祈願を申し込み、
毎朝晩、神想観をし、聖経『甘露の法雨』を読誦して
娘の完全円満な神の子の実相が顕現するように
祈りつづけました。

娘も今回のことをきっかけに、私と一緒に
生長の家を少しずつ学び始めました。
すると次第に病気への不安も消えていき、
気持ちも表情も明るくなってきました。

今まで何となく「重い」「だるい」と感じていた身体が
不思議に軽くなったらしく、そのうちに出血がありました。

2回目の検査では、医師から「8cmもあったあの腫瘍は
すっかり小さくなってしまっているから、もう大丈夫、
安心していい。」との嬉しい言葉を頂きました。

「よかった。ありがとうございます。ありがとうございます。」と
娘と一緒に飛び上がって喜びの声を上げました。

ここ数年患っている糖尿病の方も、血糖値が下がり始め、
毎日ありがたい日々を送ることが出来るようになりました。

毎月一回の誌友会ではこの体験談をお話ししています。

ご祈願して頂きました宇治の先生方、皆様に感謝しています。
御先祖様、家族に感謝し、神様に常に護られている感謝を忘れずに、
神の子の自覚をして生活させて頂きたいと思います。
本当に此の度はありがとうございました。

 

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234, 夫息子の合格と病気の平癒

兵庫県 N.T さん 「宝蔵」 第308号(H23.6)より 2011年9月17日更新

 今年、四男の大学合格の神癒祈願を申し込み、
無事第一希望の大阪大学に合格することが出来ました。
窓口で「無事合格できますよ」と言って頂き、とても嬉しかったです。

私の家には息子が5人いて、長男は就職しておりますが、
次男は大学院生、三男は大学生、五男は高校2年生と、
教育費がとてもかさみます。

四男が国立大学に入ってくれ、とても大助かりで、
ありがたいです。
先生方ありがとうございました。

また一昨年3月に三男が心臓の手術をしました時にも
神癒祈願を申し込みました。

実はこの三男は出産直後に「大血管転位症」という、
心臓の大動脈と肺動脈が反対になって
身体の血液がきれいにならない病気で、
「長くて5日の生命です」と医師に言われていました。

3回の手術を受けることになり、すぐに神癒祈願を申込みました。
手術は成功し、それからずっと私は生長の家のみ教えを
一所懸命に行じ続けてきました。
(息子の病気があったればこそと感謝しています。)

その後順調に成長してくれましたが、18歳になった一昨年の3月、
「心臓肥大」と「大動脈閉鎖不全」と診断されました。
心臓は100才位の人の血管のようにもろくなっていて、
大変難しい手術になると言われました。

私は早速神癒祈願をFAXで申し込みました。
27時間にも及ぶ心臓の血管を繋ぐ大手術を受けました。

お医者様からは「手術がうまくいかなくて申し訳ありませんでした。」と頭を下げられ、
「二度と目を開けることはありません。今夜が山です」と告げられました。

しかし、奇跡が起きました。
三男は一命をとりとめ、目を覚ましたのでした。

この様な状況で目を覚ますのは、「0.000000〜という限りなく0に近い奇跡です。」と
先生は仰いましたが、「頭の中や内蔵はだめでしょう。
寝たきりになるかもしれません」と告げられました。

けれど、内蔵は奇跡的な快復力で良くなっていき
「脳梗塞」と告げられてもいましたが、それも消えてしまって後遺症も殆どなく、
無事に退院することが出来ました。

すべて神様のお護りのお蔭と感謝しております。
今は元気に大学生活を満喫しております。
神癒祈願で一心に祈って下さったお蔭と心から感謝申し上げます。
数々の体験を通して一人でも多くの皆様のお役に立つ人生を送って参ります。


 

233, 乳無痛分娩・6人目の神の子誕生・母子共に健康の大安産!

             東京都 W.H さん 「宝蔵」 第306号(H23.4)より 2011年5月28日更新

昨年7月父が数え年98才で天寿を全うしました。
亡くなる数日前、私の妻に8年ぶりの神の子が授かったことが分かり、
「すぐに知らせなくては」と病院へ駆けつけて、意識はもうない状態の父の枕元で
「6人目のおめでたです」としっかり報告が出来ました。

数日後、父は実に柔和な表情で天寿を全うしました。
家族は父の代からの日本舞踊家で、
今回の妊娠はその父の生命を受け継ぐように授かった神の子を‘宝’と信じ、
宇治別格本山へ大安産の神癒祈願をお願いしました。

私達家族は、熱心な生長の家の信徒で、
宇治の練成会に全員参加しています。

今回神癒祈願をお願いしたのは、
実は私達夫婦には5人の子供達がいますが、
長女、長男は自然分娩の大安産でしたが、
次女は7ヶ月で帝王切開をして744gで産まれ、
下の2人も帝王切開でした。

医師からは「帝王切開を2回した後に自然分娩をした妊婦さんはいたが、
3回帝王切開をした後での自然分娩は例がない」と言われていました。

しかも今回の妊娠は出産から8年の年月が経っています。
夫婦の心の調和が第一と、「自然分娩させて頂きましょう。」と決めました。

宇治へ神癒祈願をお願いしてからはとても安心できて、
毎日夫婦一緒に神想観、聖経『甘露の法雨』を読誦し、
「神様、仏様が定めて下さいました吉日に母子共に健康、
自然分娩、無痛安産既に成就致しました。ありがとうございます」と唱えていました。

妻はいつも神癒人型を身に付けていました。
出産予定日前日の2月19日に自然分娩の大安産で
3,508gの男の児が誕生しました。

「自分達が産むのではなく、神様、御先祖様の宝を産ませて戴くという気持ちで、
赤ちゃんが産まれてこようとするタイミングと妻の分娩の息とが一つと成りますように」と、
神癒人型を枕元に置き、出産に臨みました。

分娩台に上がり30分かからずの大安産でした。
医師も看護師も皆、大変喜んでくれました。

これもひとえに、御先祖様、皆様に護られ、神癒祈願のおかげと
心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

 

232 , 乳癌癒ゆ

             岐阜県 S.M さん 「宝蔵」 第305(H23.3)より 2011年5月14日更新

合掌 ありがとうございます
神癒祈願して頂いておりましたことが成就致しましたので、
お礼と感謝を込めてお知らせさせて頂きます。

平成20年10月に乳がんが見つかり、
翌年の1月中旬に部分切除の手術を受けました。

退院して仕事に復帰し、3月からは毎日放射線治療を約5週間続けました。
夏の頃から軽い咳が出始め、身体がだるい状態が続きました。

乳がん発見の1年後の平成21年10月、会社での集団検診の際に、
X線検査結果で影が写り、「精密検査・要」になってしまいました。

その時は再発・転移かと危惧されて、生きた心地がしませんでした。

体調や仕事の都合もあり、すぐに宇治へお参りできなかったのですが、
早速宇治の神癒祈願を申し込みました。

一昨年に乳がんが見つかって以来、
ずっと母が神癒祈願を申し込んでくれたので、
今回は自分で申し込みました。

神癒祈願の人型が届いてからは、家でも職場でも眠っている時も
常に胸に一番近いところに携帯し、心の支えとしていました。

また、お正月に宇治へお参りした時に求めた写経用紙に、
自宅で夫婦揃って真心込めて、聖経『甘露の法雨』を初めて
写経して祈りました。

その後、CTでの精密検査をしましたが、以前レントゲンで写っていた
白い丸の影は、すっかり消えていました。

現在、とても健康に過ごしています。
これもひとえに生長の家の神様、ご先祖様、
神癒祈願のお陰様と感謝しています。

ありがとうございます。

 

231,父の脳梗塞、膀胱癌が癒ゆ

             京都府 M.Kさん 「宝蔵」 第304号(H23.2)より 2011年4月27日更新

平成21年の秋に、父親が突然血尿を出しました。
3年前に母が亡くなってから、父は一人暮らしをしていました。
病院で検査を受けた結果、診断は膀胱癌でした。

翌平成22年1月に入院して手術する予定となりましたが、
地方講師として活躍していた亡き母の真似をして、
私は父に「お父さんは神の子だから、大丈夫よ」と
のんびりとしていました。

手術前検査の時に、心電図に異常がみられ、
「心臓カテーテルのバルーン処置」が必要とのことでした。
調べてみると、血糖値も高く、インシュリンをしながら
手術の日を待つことになりました。

私は「この機会に、何でも早く見つかってよかった」と
父を元気づけていたのですが、父の様子が変わったのは、
1月21日でした。

バルーン処理後、膀胱癌からの大出血で輸血をした後、
意識が戻った時には、飲み薬が飲みにくくなっていて、
日にちの認識も出来ず、「今日は何日?」と聞くと
「昭和95年」とか、「西暦では?」「1978年」等々、

父は今、自分が入院している病院のことさえ分からなくなっていました。
左手も不自由になり、診断の結果、医師からは
「多発的脳梗塞」と言われました。

さすがの私も「大丈夫」だけでは乗り越えられない心境になりました。
地元の地方講師の先生に、「父親のことを祈って欲しい」とお願いしました。
すると、私には内緒で、直ちに宇治へ父の「神癒祈願」を出して下さいました。

祈願の「人型」が届いた時、「ああ、これが残っていた!」と、
思わず感謝で涙が溢れてしました。
それから私も真剣に毎日
「この世で父にまだ何か役目があるならば、どうか、父をお使い下さい」と、
完全円満な父親の姿を思い描き、神様に全托する祈りを始めました。

神癒祈願のおかげ様で、父の支離滅裂な発言は数日でおさまり、
だんだん元通りの状態になり、左手も動くようになって、
病室でパソコンが打てる程に快復しました。

2月15日に膀胱癌の手術をし、16日より歩行訓練を始めて、
1週間後には無事退院しました。
神癒祈願満願日の2月26日退院後の外来で、
脳梗塞は「もう大丈夫」とのお墨付きの診断を頂くことができました。

現在父は、癌については全完治とまでは言われていませんが、
通院で治療を続けています。
日常生活では普通に何でも出来るようになり、
みなさんのお役に立てることもさせて頂いている様子です。

八方塞がりで、どうしようもない状態だった時に、
宇治へ神癒祈願を申し込んで下さった地方講師の先生には、
感謝の言葉以外ありません。
神様に、父のことで多くのお世話になった皆様に感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。

 

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230,夫の膀胱癌は再発なし

             北海道 Y.M さん 「宝蔵」 第307号(H23.5)より 2011年4月22日更新

先日は新しいお人型をお送り頂き、ありがとうございます。
主人の病気で神癒祈願をお願いし続けて、
今月末で1年となります。

その間、どんなにか勇気づけられて暮らすことが出来ましたか、
言い尽くせない程ありがたく、心から御礼申し上げます。

主人の病気が膀胱癌と分かったのは、昨年の3月下旬でした。
主人が「血尿が出た」と言って、近くの泌尿器の医院で
みてもらいに行きますと、
「膀胱癌ですから、大学病院で再検査してもらって下さい」
との診断が出ました。

私はすぐその日に申込用紙を探して、
宇治別格本山へ神癒祈願をお願い致しました。

3日後に大学病院で再検査を受けると、即入院、
翌月の初旬に手術とのことでした。

手術は成功致しましてホッとしている矢先、
医師からは「この病気は手術して3ヶ月後の再発が
とても多いので注意しましょう」と言われました。
その言葉通り、主人は7月下旬に再発し、
再手術となってしまいました。

その後2ヶ月間は通院して薬の治療を致しました。
そして3ヶ月目、今年1月21日の検査では
「腹部レントゲンも異常なし、転移なし。膀胱癌の再発なし。」
とのお墨付きの所見を頂きました。天にも昇る慶びでございます。

今回14回目の申し込みになりますが、
毎月神癒祈願を続けてお願いしておりますおかげ様で、
祈っておりましても私1人なら不安な心になるところを
「宇治別格本山で主人の実相を祈っていて下さっている」と
安心できまして、本当に心強く、ありがたさでいっぱいです。
心より感謝申し上げます。

夫のために日々祈りつつ、実はこれは私自身の魂の
勉強をしているところと、気づかせて頂きました。

まことに未熟な信仰でございまして、
人型に書かれていることば「神癒既に完し唯有難し」を
噛みしめるようにして、毎日朝夕のお祈りの終わりの
ことばとしております。

この体験を通してみ教えを一人でも多くの方に
お伝えして参ります。


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229,重症の誤嚥性肺炎から奇跡的に快復

             大阪府 T.Kさん 「宝蔵」 第302号(H22.12)より 2011年1月14日更新

87歳の高齢の母親が食事をしていた時、
食べたものを嘔吐して口から戻しました。
それが気管に入り込んでしまい、とても苦しみました。

大慌てして救急車を呼んで、病院に運ばれました。
病院では、重症の誤嚥性肺炎と診断され、
1週間ICU(集中治療室)に入ったままの状態でした。

医師からは、
「吸引性肺炎ともよばれていますが、
高齢者によく起る肺炎で、
食物や液体、胃内の容物を
誤嚥したり誤飲したりしたのが原因でしょう。
いったん発症すると治療は困難で、
死亡率も高いですので、覚悟をしておいて下さい」
と云われました。

私は、ふと宇治別格本山の神癒祈願のことを思い出しました。

早速、申込用紙を送ってもらおうと電話をしましたら、
「今からすぐに祈らせて頂きますから、ご安心下さい。」
と仰って下さいました。

その言葉を聞いた時、切羽詰まった気持ちがほっと楽になり、
とてもありがたく嬉しかったです。

すぐに、光明の念波が印象された「神癒人型」が送られてきました。

私の家族は父の両親が「生長の家」の教えに触れて以来、
みんな聖使命会員です。
ですから「神様といつもつながっている」と強く感じていましたが、
母の實相顕現を祝福祈念してお祈り下さった人型を見て、
「母のことは、絶対に大丈夫」と確信が得られました。

それからの母の容体は順調に快復していきました。
奇跡としか思えない快復ぶりで、医師も大変驚かれていました。
退院の日はちょうど神癒祈願満願日でした。

その後1ヶ月間リハビリをして、
今は自宅で普通の生活を送っています。

生長の家大神様ありがとうございます。
神癒祈願のおかげです。
宝蔵神社にお祀りされている亡き父も
霊界から母を護ってくれたのだと思います。

これからも生長の家の教えの素晴らしさをお伝えして、
ご恩返ししていかなければと思っております。


228,第一志望の高校に合格

             大阪府 Y.Yさん 「宝蔵」 第303号(H23.1)より 2011年1月12日更新

この度、娘が第一志望の公立高校に
合格することが出来ました。

近年にない競争率の高さでしたが、
宇治別格本山に神癒祈願をお願いしていましたし、
神想観、聖経読誦を毎日続けていましたので、
すべて神に全托する気持ちになっていて
何の不安もありませんでした。

人型を娘は毎日学生服の内ポケットに入れて通学していましたし、
入試の当日は、どきどきしてきたら、
胸のポケットの人型に手を当てながら
「魂の底の底なる神よ、無限の力湧き出よ!」
と心の中で唱えていたそうです。

私も試験当日に神想観をしていると、
子供がお世話になったすべての方々や
併願で合格していた私学の皆さんへの感謝の気持ちでいっぱいになり、
ありがたくて涙が溢れてきました。

現在、娘は、「将来は教師になる」と言って
勉強や部活にとても充実した高校生活を送っています。




227,第一希望大学に合格

             東京都 K.Yさん 「宝蔵」 第302号(H23.1)より 2011年1月12日更新

昨年(平成21年)の12月より
息子の大学入試の合格祈願をさせて頂いておりました。

お陰様で第一志望の大学に現役で合格することが出来、
無事入学式を迎え、元気に通学を始めました。

1月のセンター試験で思うようなよい結果を出せず、
なかなか厳しい状況の中での挑戦でしたが、
最後まで諦めることなく合格を信じて勉強に取り組みました。

希望大学でおこなわれる本試験の前期試験では、
得意教科で問題に恵まれ、
「全問解答出来た」と大変喜んでおりました。

合格発表の日、受験番号を見つけた時の
本当に嬉しくてたまらない息子の笑顔を忘れることが出来ません。

現在も元気に大学生活を楽しんでおります。
ありがとうございました。



226,肺癌の疑いが消えた

             和歌山県  Y.Yさん 「宝蔵」 第301号(H22.11)より 2010年11月14日更新

今年の初め頃、熱があり気分も悪かったので病院で診察を受けますと、
肺に腫瘍が見つかりました。
主治医に、「悪性かどうか分からないが、おそらく癌だろう」
と云われました。

10年前に胃癌の手術をしたときに「癌の転移の可能性もあります」と云われ、
私は「とうとうその時が来たか」と思いました。
主治医から総合病院で再検査するように勧められ、
紹介状とレントゲン写真を渡されました。

「こんにちまで、こうして生かして頂いていたのだから」
と覚悟を決め、 意外に冷静な気持ちでいました。

私は、まず宇治別格本山へ行って、
3年前に亡くなった妻の祥月命日供養にお参りすることにしました。
宇治は妻と一緒に何度も練成会に参加した思い出の場所です。

供養祭に参列する前に、幽斎殿で神想観と写経をしました。
神癒祈願を申し込もうと思い立ち、急いでお願いしました。
以前お世話になった講師の方が、
「すぐ祈願しますから、大丈夫ですよ」
と温かい言葉をかけて下さり、
その言葉を胸に妻の祥月命日供養祭へ参りました。

帰宅後しばらくしてから、総合病院へ再検査を受けに行きました。
神癒祈願の申込日から23日経った時でした。
以前撮ったレントゲン写真を見て、医師は、
「写っているのは新しい癌でしょう。10年後の転移とは考えにくいですから」
と言われました。
私はすでに覚悟していたので、何を言われても心は乱れませんでした。

ところが、新たにCT検査をしてもらった結果では、
「そんな腫瘍はどこにもない」との診断でした。
私は一瞬、「ええ?」と聞き返しました。
何もないということがどういうことか、何が起こったのかと、信じられない気持ちでした。

妻の命日供養祭に参ろうと思ったから、神癒祈願の申込みができました。
きっと妻が私を導いてくれたと思います。
妻は亡くなる時、家族一人一人の手を握って、
「みんなを護ってあげるからね」と言って旅立ちました。
亡き妻に導かれている私は幸せ者です。

神癒祈願の体験は今回で3度目です。
1度目は、妻と一緒に練成を受けていた時、歯の激痛が消えたこと。
2度目もやはり妻とともに参加した「長寿練成会」で、
私の体調不良がすっかり癒やされたこと。
そして今回の神癒祈願で、肺癌が消えたことです。

今も信じられない気持ちです。
「私は生かされているのだ、まだこの世でしなければならないことがある」
と思い、 妻の分まで長生きして、
一所懸命に、家族や地区のみんなのお役に立てるように生きていきます。



225,無事に女児を大安産

              東京都  M.Tさん 「宝蔵」 第300号(H22.10)より 2010年10月14日更新

私は平成19年9月に長女を出産し、
その後、育児休暇をとって1年半ほど育児に専念し、
平成21年4月職場復帰をしました。

当初育児と仕事の両立をやっていくことはとても大変でしたが、
夫や父母から多くの協力をいただいて、
家族みんなが健康で順調に過ごすことができました。

そんな中、「もう1人子供がほしいな・・・」という思いが募ってきて、
「一番いい時期に我が家にとって最もふさわしい神の子が誕生しますように」
と毎日祈るようになりました。

すると、平成22年1月に第二子の妊娠が分かったのです。
「2人目の素晴らしい神の子さんと出会える」と思うととても嬉しくて、
何とも言えない幸せな気持ちになりました。

妊娠が分かってから、すぐに神癒祈願をさせていただきました。
長女の時は、母が神癒祈願を出してくれていましたので、
今回は自分で毎月神癒祈願を申し込みました。

そのおかげで、妊娠経過はほぼ順調でした。
7ヶ月目に入った頃、「胎児が小さすぎるのでは」
との医師からの言葉で少し心配もしましたが、
私は「毎月神癒祈願を継続し、皆さんに毎日祈ってもらって頂いている」
と思うとありがたくて、「守られているのだから大丈夫」と強く信じることができ、
いつも平安な心で神の子さんの健やかな成長を祈り続けることができました。

胎児の大きさ以外には特に問題もなく検診回数を多くしてもらって、
より丁寧な診察を受けることもできました。
その度毎に元気な神の子さんを確認することができたので、
かえって更に大安心で過ごすことが出来ました。

仕事をしながらの妊婦生活でしたが、
家庭ではゆっくり身体を休ませることに専念させてもらい、
夫が家事や育児のほとんどをやってくれました。
私の体調を常に気遣ってくれる夫に心から感謝しています。

出産は予定日より約10日程早まりましたが、順調にお産が進み、
8月11日午前8時16分に、安産で次女を出産することが出来ました。
その後の経過も良好で母子ともに元気に過ごしています。
神癒祈願のお祈りの効果は絶大ですね。

長女の時も、そして今回の妊娠・出産もとても順調で、
常に神様や御先祖様に護られていることを強く感じました。
そして、多くの方々に祈って頂いているおかげだと感謝しております。
これからも白鳩会員として地元でお役に立つように励んでいきます。
本当にありがとうございました。


224,神癒祈願と写経の功徳で左肺腫癌癒ゆ

                  北海道  T.Eさん 「宝蔵」 第299号(H22.9)より 2010年9月2日更新

主人の左肺腫癌が癒やされましたので、
嬉しいご報告を致します。

昨年レントゲン検査で左肺の様子が気になるから、
北見赤十字病院で調べてみるように言われました。
今年1月17日の検査の結果で、主人は肺癌だとわかりました。
病名は左肺腫癌。
早期発見だったので幸いに転移は無く、大きさも2cm程度でした。

主人が癌だと判った時に、すぐ神癒祈願を宇治別格本山へ申込みました。
「大丈夫、大丈夫、必ず良くなる」と意外と気持ちは落ち着いていました。

その日から神想観・聖経読誦を真剣に始めました。
神仏に無関心だった主人も、
聖経『甘露の法雨』の写経(「神」の項、「人間」の項、「全項目」)をしてくれました。
写経を教化部へお出しすると早川教化部長先生も喜んで下さって、
早速宇治へ送って下さいました。

医師からは悪性ですからすぐに手術しましょうと言われましたが、
主人は放射線治療を希望しました。
3月から約2週間、放射線治療を8回受けました。
その後、定期的に検査・診察を受けていく内に、癌はどんどん小さくなり、
ついに6月17日の最終診断で、癌は消滅したと言われました。

それからというもの、聖経の素晴らしさが益々身に?みてきました。
今、先祖供養は真心で毎日聖経読誦を行い、
神想観では主人の完全円満な生命を拝み、日時計日記を活用しています。

「自分が変われば世界が変わる」の言葉通り、
今では主人は神棚と仏壇に手を合わせるようになり、
夫婦大調和で、笑顔で毎日を過ごしています。最高に嬉しいです。

この教えの道があったればこそ、主人の癌は早期発見に至り、
最も善き治療にて癌消滅に繋がったと思っております。
これを機になお一層、人類光明化運動に邁進させて頂きます。
ありがとうございます。






223,念願叶って医療事務職に就職

                  島根県  M.Tさん 「宝蔵」 第298号(H22.8)より 2010年8月1日更新

いつも神癒祈願をして頂き、ありがとうございます。
念願が叶って、医療事務職に就職することが出来ました。

私は、平成18年6月の宇治一般練成会に参加して、
研修生として1ヶ月本山でお世話になりました。
その頃から将来は、医療事務の仕事がしたいという夢を持っていました。

平成20年6月に、医療事務の資格を取得することが出来ましたので、
お礼の意味で、宇治の一般練成会を受けて、再び研修生を1ヶ月させて頂きました。

その後、小学校で事務の仕事をしていましたが、
どうしても医療事務職の夢を忘れられないので、
昨年の12月から就職活動を始めました。

毎月、宇治へ神癒祈願をお願いして
「最も相応しいところに就職できました」と書き続けていました。
私は面接が苦手で、何度も落ちていましたが、
その度に兄から 「一番いいところに決まるから、大丈夫。」
と励ましてもらっていました。

医療事務職はとても狭き門で、資格を持っていても、
採用は経験者を優遇するという病院がほとんどで、
年齢的なこともあり、内心は殆ど諦めていました。

「もうダメかな・・・。」と思っていた矢先、地元の病院に採用されました。
医療事務経験者も受験されていたのに、
私の明るさと前向きなプラス思考が評価されたそうです。
神癒祈願のお蔭です。
本当にありがとうございます。

現在は医療事務員として働かせて頂いており、毎日がとても充実しております。
ありがたくて感謝の気持ちでいっぱいです。
今まで不採用ばかりが続いたのも、
きっとこの職場で働かせて頂くためだったのだと思っています。

いつも祈願して下さっている神癒祈願部の皆様、ありがとうございます。
採用して下さった病院の職員の皆さんや、
ハローワークで何度も親身になって探して下さった係の方、そして大切な兄へ、
期待に応えられるよう、明るく、深切に働いていきます。

これからも毎月、神癒祈願を続けてお願いしますので、どうぞよろしくお願い致します。 

                        

222,私たち家族みな、祈願に護られています

                  岐阜県  Y.Mさん 「宝蔵」 第297号(H22.7)より 2010年7月4日更新

合掌 ありがとうございます。
私は4年前に関節炎になって以来、ずっと神癒祈願を申し込んでおります。
毎月ご祈願下さいまして誠にありがとうございます。
祈願をして頂いて「本当にいつも神様から護られている」と実感し、
心から感謝しています。

去年の8月29日のことでした。
いつものように玄関先の階段に置いてある植木鉢の花に、
じょうろで水をかけようと思い、
階段を7段まで上って8段目に足をかけたその瞬間に足を踏み外してしまい、
そのまま一気にコンクリートの道路へと落ちてしまいました。

びっくりしましたが幸いにも、頭は打っておらずに、
左の鎖骨の変形と、肋骨にヒビが入った程度で大きな事にならずにすみました。
奇跡だと思いました。

私はもう86歳なので、こんな高齢者があの程度の軽い怪我で無事だったのは、
「神様に守られているからなんだぁ。助けて頂いた、ありがたい。」
とつくづく感謝しました。

それに、その年の11月16日、自転車で通勤している孫娘が
青信号で渡っている最中に、右から曲がってきたタクシーと衝突してしまいました。
自転車は2度と乗れないまでに壊れてしまいましたが、
自転車に聖経『甘露の法雨』のお守りをつけていたお蔭から、
孫娘はひざの打撲だけですみました。
本当にありがたかったです。

ちょうどその日は三男の命日でしたので、
神様や御先祖様からいつも護って頂いているお蔭でもあると思います。
本当にありがとうございました。

そして、平成19年には高校入学の合格祈願をお願いし、
娘の息子が第一志望の高校に入学することが出来ました。
今年はその高校を無事に卒業し、大学に入学することも出来ました。
ありがとうございました。

毎度、毎度、本当にありがとうございます。
「すべて祈願のお蔭」と家族みんなで悦んでおります。 再拝


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221,肺病癒ゆ

                         Y.Tさん 「宝蔵」 第267号(H20.1)より 2010年7月4日更新

合掌 ありがとうございます。
私は肺病でした。
息子が病院に連れて行ってくれました。
医者から「今まで何で放おっておいたんだ。肺病は死病だ、すぐに入院。」
と叱られたそうです。

すぐに神癒祈願を申し込みました。
最初個室に入りました。
婦長さんから「この人は変わっている。重い病気なのにニコニコして」
と言われました。

数日後、皆と同じ病棟へ変わることが出来ました。
教区の講習会があるので、外泊を申し込みましたが、
なかなか許可がおりませんでした。
無理に頼み、外泊の許可がおりましたので、
出発の場所まで行きましたが、バスは出てしまっておりました。
仕方なく自宅へ帰りました。

翌日、病院へ戻るためにバス停で降りましたら、
歩くことが出来なくなりました。
元気な時は歩いて30分くらいの距離です。
その日は、日曜日で人の行き来はな無く、
タクシーも通っていませんでした。
神様、神様と祈りながら3時間近くかかってやっと病院に着いた時
「この姿は嘘だ」と心の中で叫びました。
すると身体が高く昇っていくようでした。
自分ではないと思いました。

翌日、主治医の先生に診てもらいましたら、
「貴女の病気は、もう治っているよ。不思議な人だね」と言われました。
それまでは、歩く時もゆっくりでないとダメ、聖経も2回目はしんどかったのです。
今では聖経『続々甘露の法雨』までも続けて誦げることが出来るようになりました。
本当に嬉しかったです。
これも神癒祈願のお蔭です。本当にありがとうございました。



220,直腸癌で医者も「最後?」という A

                          S.Aさん 「宝蔵」 第43号(H1.5)より 2010年6月21日更新

医学的立場で言えば、決して快方に向かっているわけではありません。
薬も以前と同じですし、足の痺れや、お尻の痛みが
完全になくなったわけでもないのですが、でも何故か違うんですね。
主治医からは、
「本人の精神力で此処まで持ちこたえているのでしょう。
血液検査や尿検査も極端に悪くなっているわけではない。
このまま積極的治療はせずに、自然に任せましょう」
と言われております。

《 妻の「心の変化」という神癒と永代供養 》

私の方と言えば、まず大きく変わったことと言えば、
心の安らぎとでも言いますか、落ち着きを取り戻したことでしょうか。
それまではちょっとした病状の変化にも敏感で、
熱が出れば「尿は濁っていませんか」「水枕をしましょうか」と、
まるで看護師さんなのですね。 妻ではなかったように思います。

会社の方に対してでも、
「私がいなければ、私が今倒れたりしたら」と、
肩にいっぱい力を入れてきたように思います。
これは廻りからも「やいのやいの」と言われてきたせいもあるのですが、
何もかも自分ひとりで背負い込んでいる錯覚にとらわれていたのです。
そして、いつも不安と同居していて、どうにもならない状態ばかり目について、
焦燥の気持ちをふくらませていたのですね。

それが、主人の両親の永代供養後、
ぴたりと主人の顔つきが変わってからは、
「これはご両親様の気持ちが、やっと主人に届いたのだ、
可愛い我が子を見捨てるわけが無いじゃないか、
ああ、ありがたいこと。これからは、何よりもご両親様が見方になっていて下さる。
神様が悪いようにするはずはないではないか」
と思えてきました。

これが心の区切りと申しましょうか。
それからは少々主人が嘔吐しようが、熱が出ようが、
そんなことちっとも苦にならなくなりました。

会社の方も従業員のみんなが、一所懸命に頑張っていることだし、
ありがたいことに仕事も途切れることなく入ってくるし、
私はただ、その場に活かされて仕事をしているだけなのだと、
病人にとっては身内の笑顔だけで、
それだけで充分看病になるのだと身をもって感じております。

ラジオから流れてきた歌に思わず涙が出ました。
「こんなに小さな人間だから、いつまでも誰かに助けられている……」
本当に私は主人に助けられて、こうやって生きているのかも知れません。

自分の方から笑顔を作ると、笑顔が返ってくるように、
自分から大きく手を差しのばせば、きっと光は輝くに違いないと思います。
少しの勇気と毎日の努力が必要ですけれども。
ありがとうございます。


219,直腸癌で医者も「最後?」という @

                          S.Aさん 「宝蔵」 第42号(H1.4)より 2010年6月20日更新

私の主人が直腸癌と診断され、3年の月日が過ぎようとしております。
その間、何度となく悪化する時がありましたが、
昭和62年10月頃、私が生長の家を知り、総本山に神癒祈願をしたり、
私に生長の家を紹介して下さった方からの紹介で
講師の先生のお話を聞いたりして、 お蔭でどうにか
癌患者特有の痛みも、比較的に少なく生かされて参りました。

ところが昨年12月に入りますと、目に見えて体力が衰え、
お医者様ももうこれが最後とまでになり、
どうしたものかと講師の先生に相談しましたところ、
永代供養やら、宇治の神癒祈願のお話を聞きました。

《 永代供養と神癒祈願 》

主人の両親は、主人が3歳の頃、
当時流行していた結核で、相次いで病死していましたし、
主人が、この地に来て、今の会社を築いてからずっと、
両親の供養のことは心の中にいつもありながら、
今日未だ出来ていない状態でした。

私も主人と結婚して約10年になりますが、
ことある度に口にして参りましたが、
今ひとつ主人の腰が上がらないというか、途中やめになったりで、
気にかかってしようがありませんでしたので、
「まあ、せめて主人がこの世で生が与えられている内に、
やはり両親の供養だけはしておいた方がよい」と思い、
主人の神癒祈願を申し込みました。

この時は年末も押し迫る12月27日だと思います。
このころは主人の意識もハッキリせず、苦しみと痛みが続く毎日で、
お正月もままならない状態でしたのに、
神癒がはじまったとたん(後で郵送できた日付を見てですが)
病状が落ち着き、主人の顔に笑顔が戻ったのです。

そしてお正月も過ぎ、両親の御霊様が
宝蔵神社紫雲殿に永代祭祀された1月10日ごろからは、
今までモルヒネやら病で少し幻覚症状があり、
口とも少し回らなかった主人が、
元気な頃と少しも変わらず、
まして自分が少し変なことを言っていたことなどを思い出したり、
電話での応対も何ら健康人と変わらないどころか、
会社のことも、仕事のことも、全て頭の回転が元に戻ったではありませんか。
まぁ、こんなにありがたいことはないと思わずにはいられません。

お医者様や看護師さんもビックリしていますし、
ご両親様のお気持ちが、そうさせたのだと感謝致しております。
神癒祈願の満願の28日には2ヶ月近くでなかった便が出るようにもなりました。

《 2回目の神癒祈願 》

2月7日より2回目の神癒祈願をお願い致しました。
そしてその後は、ベッドの上で自分の身体を左右に動かせることが出来るようになり、
全く動かなかった足を、膝をたてられるようになりました。

そして会う人、電話で話す人全てが
「いったいどうしたの。何があったの。凄く調子がいいじゃないの」
と驚きの声をあげるのです。
事実顔色もすこぶる良好で、主治医や看護師さん達との会話も、
冗談をまじえては笑わせるようなことも以前と変わらないのです。
また会社のことも、
「今日の売り上げはいくらか、仕入れはいくらか、
銀行への返済は滞りなくできているか、月々の支払いはきちんとできているか」
こちらが忘れかけているようなことでも、「ちゃんとしておくように」とか、
病院で一日寝ている人とは思えないのです。

その反動からでしょうか、1日に1,2度嘔吐するようになりました。
胆汁というのは、人間の身体の中では大切なものなのでしょうが、
いったん口から外へ吐き出されたものは、どろどろとしていて、
まさに人間の汚物としか、たとえようにない色をしているのです。
これは今日まで知らずに犯した悪口の全てを、少しずつ吐き出して、
そうやって神様に近づいているのでしょうか。
現に嘔吐後はすっかりとして何の苦痛も訴えないのです。 (Aへ続く)


218,うつ病回復し、全て順調に整う

                  滋賀県 O.Tさん 「宝蔵」 第296号(H22.6)より 2010年6月12日更新

ちょうど1年前に、30歳の息子が「うつ病」で、
神癒祈願をお願い致しました。

祈願を受けて以来この1年間の変化は大きく、
ひとえに、祈願を頂きましたおかげでございました。

病院に入院しましてから、1ヶ月少々で、
ちょうど満願の前日に退院することができました。
退院後も回復の様子は、
あまりはかばかしいものではありませんでしたが、
1人住まいを続けることが出来まして、
身の回りの世話も友人達に頼むなど、しておりました。

会社の方は、リストラの多いこの時期にもかかわらず、
解雇もされることなく、それどころか管理職のポストを空けて待っていて下さり、
しかも医療給付も期限いっぱいまで頂く事が出来ました。
私はせめてもの「感謝とお礼の気持ちを」と思い、
会社を聖使命会に入れ、現在も続けております。

ところが息子の気持ちとしては
「どうしても職場復帰ができない」という事で、
辞めさせていただくことになりました。

その後、大好きだった祖父(私の父)が亡くなりました。
息子は病院での介護の様子を見ていて心を動かされたようです。
そして昨年秋に、老人介護施設に就職することになりました。
就職後、資格の必要性を痛感して、
準看護士の2年コースを受験し、今年の春に入学致しました。

実は息子は高校を中退しておりまして、
本人は「何かの形で学校に入り直したい」
と思い続けていた事が実現したのです。
入学式には、「新入生代表で花束を受け取るからぜひ見に来てほしい」
と言ってくれました。

勤め先の方も、学校の授業の合間の時間に
アルバイトとして仕事を続けられるように配慮して下さいました。
更には学校からは、この夏から奨学金も頂けるようになり、
生活費の不足分などは娘(息子の姉)や、
友人達が助けてくれていたのですが、これで生活の目途もたちました。

何もかも息子を助けて下さる方向に整って参りました。
本当に神業としか思えません。ご祈願本当にありがとうございました。


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217,父の狭心症癒ゆ

                       T.Yさん 「宝蔵」 第202号(H14.8)より 2010年6月12日更新

合掌 ありがとうございます。
5月19日(日)に、生長の家宇治別格本山にて
神癒祈願を申込みさせて頂きました。
そして、この度めでたく神癒祈願が成就致しましたので、
嬉しくご報告致します。

5月16日(木)の朝7時頃、
実家の父(72歳)が突然心臓の発作に倒れ、
救急車で病院に運ばれました。
狭心症と診断されました。

予定では入院後の5月23日(木)、
鎖骨と右大腿部からワイヤーを心臓部まで送り込んで、
検査をすることになっておりました。
しかし「この検査には危険が伴う」と何度も医者に言われ、
目を潤ませました。
私はこんな時だからこそ「生長の家」に行こうと思い、
土曜日の夜、主人に相談し、日曜日の朝一番の新幹線で、
「魂のふるさとー宇治」に参りました。

その日は丁度、 生長の家総裁谷口清超先生ご指導による
特別練成会にあたっておりました。
あこがれの谷口清超先生にもお目にかかり、
素晴らしい御講話を聞きました。
ただ、ただ嬉しくて、有難くて、涙をぬぐいながら幸せな一日でございました。
もう帰る時には、神様はきっとよいようにして下さると確信して、
心は晴ればれとして安心していました。

次の日(5月20日)のお昼過ぎ、
病院にいる母親から電話がかかってきました。
「あんた、宇治へ行ってくれたの?」
「行って来たよ、どうして」
「どうしてって、今からお父さん退院だよ、ありがとうね。
やっぱり宇治へ行ってくれたんだね」
と母親は泣いて喜んでくれました。
毎日検査のことばかり説明されていたのに、
その日から父の発作はなくなり、
特にこの日の検査は、‘異常なし’との診断で即退院となりました。
家族一同よき驚きでした。
母親も昨年11月宇治へ行って、長年痛めていた膝が治って帰ってきているので、
生長の家の大神様を本当に信じているのです。

私は、今、両親と大調和出来てとても嬉しいです。
父が危険な検査を受けることもなく、今、毎日花の手入れをしたり、
穏やかに過ごせることを心より感謝しております。
ありがとうございます。再拝


216,肝機能障害 無事に快癒

                   滋賀県 N.Tさん 「宝蔵」 第295号(H22.5)より 2010年6月1日更新
                             
一昨年前私はS字結腸ガンの手術を受け無事に成功しました。
ところが本年の2月に入り、全身の倦怠感から思うように身体が動かなくなり、
病院で検査を受けました。
その結果は「抗ガン剤の副作用と想定される重度の肝機能障害」との診断でした。
私は通院治療を受けながら職務を続けておりました。

ところが2月22日にどうしても状態がままならず、
入院し加療をはじめることになりました。
黄疸の症状がかなり重篤で、
医師も顔を曇らせる状態が2週間に亘って続きました。

以前、手術直後にお礼のつもりで参加した短期練成で
「いかに現象的に悪くてもホントはナイ。
出てきたことは消えてゆくスガタである。」と学んでいましたので、
「病はない。症状が現れているのは自壊作用であり、これから良くなるばかり。
ありがたい。ありがたい。」とベットで唱えていました。

妻が宇治別格本山の神癒祈願を出してくれ、
その人型を聖経にはさんで、
毎朝「全て神様に全托します。何の心配もありません。
私は実相円満完全です。ありがとうございます。」
と念じながら神想観を続けました。

すると、毎日、朝を迎えることが「嬉しい!ありがたい!」と感じ出しました。
生かされている実感が湧いてきたのです。

症状の方は3週間を過ぎたころから急に良くなりました。
身体が軽くなり、肝機能が改善いたしました。
23日間の入院からやっと退院出来ました。

現在勤める職務が、3月末日で職務満了予定となっていたのですが、
この度の入院で職務戻れるかどうか心配でしたが、
タイミング良く職場に戻ることができ、職務も無事全うすることが出来ました。
本当に万事好都合でした。

これからも生かされている生命を家族共々ありがたく感謝し、
皆様のお役に立つよう生かして参ります。ありがとうございます。


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215,子宮脱が癒やされる

                        Y.Nさん 「宝蔵」 第112号(H7.3)より 2010年6月1日更新
                        
合掌 ありがとうございます。
この度、神癒祈願のお蔭で子宮脱が癒されましたので御礼申し上げます。

私は数年前、下血がひどいので病院へ行きましたら、
医者より「子宮脱です。それも10年近くも経ていて、
かなり大きくなっておりますし、76歳の高齢ですから手術も出来ないので、
もう治る見込みはないでしょう」 とまで言われておりました。

そういえば10年くらい前より下腹部が重苦しく、
1日の内に何10編もトイレに行っていました。
(医者の話では子宮脱が大きくなり
膀胱を圧迫して尿意を催す為と言われました)

昨年平成6年12月中旬頃、下血が余りにもひどいので、
12月23日に宇治の神癒祈願を申し込みました。

今年平成7年の1月2日に、
病院より頂いていた塗り薬を付けようとしたら、
その個所がないのです。
子宮脱がいつの間にか上にあがっていたのです。
たった10日余りの神癒祈願によって、子宮脱は癒やされたのです。
まるで夢のようで、何ともお礼の言葉も見つかりません。

お医者さんも「長いこと医者をしてるが、こんなことは初めてだ」と驚いておりました。
この様に素晴らしい神癒祈願のお蔭を頂きましたので、
残る余生を光明化運動のために捧げたいと決意しております。


214,再発の膀胱癌が完治

                 福岡県 T.Mさん 「宝蔵」 第293号(H22.3)より 2010年5月24日更新
                             
平成20年の秋に膀胱癌の告知を受けました。
その年末から平成21年2月まで、 手術に続き薬物治療を行いました。
その間、5ヶ月間にわたり神癒祈願を行っていただき、
宇治の短期練成会にも参加しました。
その結果は、検査で「異常なし」となりました。

その後体調も良好に推移いたしておりましたが、
昨年12月に内視鏡検査をしましたところ、
膀胱癌の再発を告げられたのです。

実は私は、昨年元旦より妻に教えてもらって
毎朝神想観と聖経読誦をしていました。
ですから「神の子人間病気なし」「実相円満完全」など
少しは身についておりましたので、
最初の告知の時に比べて、
かなり落ち着いて受け止めることができました。

そして今回もまた神癒祈願をお願い致しました。

検査入院は年明けの予定でした。
ところが急にベッドが空くこととなり、22日に入院することができました。
少しでも早く検査入院を望んでおりましたので、
大変ありがたかったです。

神癒祈願の「人型」が到着しましたのが、
まさに病院へ出発しよう、と玄関先へ出た時でした。
「人型」を手元にもっての入院となって有難いことでした。

24日に検査手術となり、その後の経過も極めて順調で、
3日後の朝に退院することができました。

そして年明けの1月6日に知らされた結果は、
「全く異常ありません。癌は完全に治ってます」と告げられました。

一緒にいてくれた妻と静かに手を握り合い、喜びを分かち合いました。
私の癌は完全に消えました。ありがとうございました。


213,胃癌を摘出、全快しました

                神奈川県 H.Mさん 「宝蔵」 第294号(H22.4)より 2010年5月24日更新
                 
主人が昨年の人間ドックを受診しましたところ、
胃に影があるということで再検査しました。

その結果は「胃癌が先端に出来ているので全摘出です。
29日に入院して下さい」とのことでした。
手術日は2月1日となりました。

すぐに神癒祈願をお願いし「なんとか消えないかなあ」と思いながら、
お医者様にも感謝して写経もしました。

主人の胃にも、今まで使わせて頂いたことに感謝して、
亡くなっているご両親にも、
胃を切除することへのお詫びと感謝をしました。

そうしましたら、「胃癌が消えるにこしたことはないけれど、
神様の御心のままにおまかせすれば、必ず良くなる」と思えてきました。

手術の朝、夢で美しい白鳩が窓からピョンと入ってきて私の腕に留まり、
清らかな眼でジッと私を見つめてくれました。
白鳩は平和の象徴です。
「これは吉夢だな」と思い安心した気持ちになりました。

手術中、私は『甘露の法雨』を読誦しました。
4人の子供たちも立ち会ってくれ、
31歳の長男が主人に「よかった。よかった。」と声を掛けてくれ、
私も胸がジーンと熱くなりました。

私は手術後もお医者様や看護婦さんへ「ありがとうございます」と、
いつも声に出して感謝の気持ちをお伝えしていました。
17日に退院しました。

入院してみてわかったことは、
主人が事務所の皆様にとてもとても愛されているということでした。
ほとんど誰にもお伝えしていないのに、
世界中の事務所の方々から、お花や心のこもったメッセージが続々と届き、
看護士さんも驚いておられました。
外資系に勤める主人は今年6月で定年になりますが、
世界の方々から本当に沢山の愛を頂きました。

お医者様や看護士さんが本当に一所懸命やって下さり、
感謝の気持ちは忘れられません。
「入院している患者さん一人一人も、
色々な人生を送ってこられたんだろうな…」など、
入院して初めて感じたことも沢山ありました。

「Hさんの様に順調に退院した方は珍しいですよ」と言われ退院しました。
唯々感謝の気持ちで一杯です。
神癒祈願は退院後も続け、今主人は元気モリモリで、
食事も本当に美味しそうに食べて下さり健康そのものです。


212,肝癌が癒やされた

                       K.Yさん 「宝蔵」 第225号(H16.7)より 2010年5月19日更新

合掌。この度は神癒祈願をして頂き、 誠にありがとうございました。

私はこの度肝癌にかかりました。
内科的治療が出来ない場所であるため、手術する以外に方法がありませんでした。

既に肝硬変も進み「元気になれるものかしら?」と大変心配でしたが、
「神は吾を許し給いて吾を抱き吾を包み給う、吾は既に癒されてあり」
と何度も口にしていると、不思議と不安も和らぎ、手術に臨むことが出来ました。

最初、医師から「肝臓の癌の部分を切り取ります」と言われていましたが、
くり抜く方法に変わりました。
周りを焼いてくり抜くことで、肝臓へのダメージを
少しでも少なくするということでした。

癌は動脈の表面に絡んでいて、少し巻き付いた形でしたが、
深く根を張ったものではありませんでした。
そのため、手術の時間は最初4〜5時間と言われていたのが、
たった3時間ですみました。

とても幸運だったのは、まず癌がまだ2cmの大きさで発見されたこと。
動脈への絡み方が浅かったこと。
それにもまして周りの不思議と、次から次にラッキーなことが重なり、
術後3週間でのスピード退院となりました。ありがとうございます。

そして今、我が家へ帰ってきて、はや2ヶ月が過ぎました。
私は、術後の傷の治り方が驚く程早く、
「本当にこれで治ったのだろうか?」と少し不安でしたが、
今では庭の草花の手入れ、車の運転や食事のことなど、
主人と娘の協力を得て、忙しい日々を過ごせるようになりました。

子供の頃、おじ・おばから真理の話はよく聞いていましたし、
今も講演会等がある度に勉強させて頂き、祖先・父母への感謝を心がける毎日です。
今日も神様に見護られているという思いを深めさせて頂きました。
本当にありがとうございました。 再拝

211,動脈瘤・便秘・イボ全てが癒ゆ

                       O.Tさん 「宝蔵」 第173号(H12.3)より 2010年5月19日更新

合掌 ありがとうございます。
わたしは平成6年12月に人工透析に入りました。
それから3ヶ月後、今度は主人が肝硬変で倒れました。
治ることなく家で療養するよう言われまして、病院から帰ってきました。
その後、下痢、下血、不眠状態が7ヶ月間続き、
主人は平成7年11月に他界しました。

私も透析をしながら看病をしている内に、
鬱病、不眠症、自律神経失調症になり苦しみました。
子供のいない私はひとりぼっちになりました。
立ち直ろうと努力しましたがダメでした。
仏教も3年間やりましたがそれでもダメでした。
その時は死ぬことばかり考えていました。
そんな時知人から電話がありまして
「生長の家のお話がありますから行ってくれませんか?」と言われました。
体調が悪かったのですが「30分くらいならいいです」と言って
初めて誌友会に行きました。

そのあと数日してバス停で先生と出会い私の苦しみをお話ししました。
先生は「生長の家のお話を聞きにいらっしゃい。必ず良くなりますよ」
と言って下さいました。
私はその時に生長の家をやってみようと思ったんです。
平成9年10月から誌友会に行っています。
3日間はとても無理なので1泊2日しか行けないのですが、
教区練成会にも6回行きました。

平成11年の2月に誌友さんから
「宇治別格本山の方に神癒祈願を出してみては?」と言われ、
直ぐに申し込みました。

すると3月になってから体調が良くなってきました。
実は私は7つも8つも病気があったのです。
平成11年の3月頃から便秘が消えました。
それからほほの所にイボがあり、病院では
「手術をしなければ治らない」と言われたんですけど、
気がついた時にはそれも消えていました。
透析中にはお腹が痛んだり吐いたりしていたのですが、
それも消えていたのです。

9月3日に動脈瘤が胸と足とお腹3箇所に見つかりまして、
危険な状態なので入院するように言われ、医大病院に検査に行くことになりました。
‘私は手術なんかしたくないし、家に帰りたい’と心の底で願っていました。
そして神癒祈願をお願いしましたところ手術しないですみました。
神様に感謝しています。
宇治での神癒祈願、心から御礼申し上げます。
私のように苦しんでいる人たちにこの真理をお伝えしていきたいです。
ありがとうございました。

210,狭心症癒ゆ

      H.Tさん 「宝蔵」 第219号(H16.1)より 2010年2月10日更新

私は、平成15年の7月頃から、
毎日続けているウォーキングの途中で息切れがするようになり、
それが日増しに激しくなってきました。

そこで医師の診察を受けましたところ、
血圧、心電図、血液検査等全て正常でありましたが、
念のためにと循環器治療で有名な病院を紹介されました。

カテーテルによる心臓動脈造影撮影をしましたところ、
3つの冠動脈の内一つの動脈の根本が
動脈硬化で狭窄していることが判明致しました。
病名は狭心症とのことでした。

将に、病は心の影。
利己的な偏狭な心、融通のきかぬ頑固な心が肉体に反映したものと、
己の精進不足を思い知らされました。
自己の健康を過信して「人間・神の子」の真理を忘れ、
いささか増上慢に陥っていたことを深く反省している次第です。

この様なわけで、10月下旬、手術を受ける前に、
宇治の神癒祈願をお願い致しました。

そして11月上旬には、カテーテルによる冠動脈形成術を施行しました。
手術を受けるにあたりましては、
手術を行う医師や医療機器を操作する技師及び看護師の方々に
絶対なる信頼を置き、かつ感謝の念をもって臨みました。

通常1時間程度で済む手術が、
動脈硬化がかなり進行していたため難航し、
3時間以上もかかりました。

しかし、何ら苦痛もなく、術中ジョークを飛ばしたり、
後半は居眠りしてしまうなど、
医師も驚く程終始平静な気持ちで過ごすことが出来ました。
ありがとうございます。

そして今は、すっかりげんきになり、
元通りの日常生活を送ることが出来る程恢復しました。
今は再び、名ピアニストを夢見る少年のように、ピアノに熱中しております。

これも生長の家の大神様のお蔭と、深く感謝しております。
本当にありがとうございました。再拝

209,妻のポリープが消えた

      H.Tさん 「宝蔵」 第203号(H14.9)より 2010年2月10日更新

合掌 ありがとうございます。
宇治の職員の皆様には、人類光明化運動に、
また、私達信徒の願いを神様にお取り次ぎ下さる神癒祈願のために、
日夜ご活躍下さいますことを有難く感謝申し上げます。

このたび、私の妻は、
宇治で3ヶ月にわたって神癒祈願をして頂きましたお蔭で、
下咽頭腫瘍が完全に消え、退院することが出来ました。

まだ放射線治療による「のど」の痛みが残っているので、
食事を普通に頂くことが困難なため、
自宅で栄養剤の点滴治療を受けておりますが、
主治医の先生からは
「痛みが消えて、必ず食べられるようになるから、安心するように」
と言われて、ただ今完全治癒に向けて努力致しております。

当初は、かなり進行した癌でありましたが、
それが完全に消え去ってしまったことは、
神様のお働きとお取り次ぎ下さった神癒祈願の職員の皆様のお蔭と、
深く感謝申し上げます。

今後は、再発しないよう身体の健康管理に留意すると共に、
感謝報恩のため聖使命会の特志会員とならせて頂くことを決意致しました。
最後になりましたが、職員の皆様のご健康ご多幸をお祈り申し上げます。
合掌 再拝

208,くも膜下出血から生還

      長野県 M.Kさん 「宝蔵」 第292号(H22.2)最新号より 2010年2月3日更新

平成21年10月22日夜8時頃、
夕食を終え、入浴後、風呂から出た途端、
今までにない頭を締め付けるような痛みで
「お父さん頭が痛い・・・。」と言ったまま廊下に倒れてしまいました。

それからの記憶が、11月7日の手術まで、記憶がなくなっていて、
私自身に何があったかは、わかりません。

ただ家族の話などから、当時の様子がわかる程度などですが、
救急車が呼ばれ、脳神経外科病院に運びこまれたそうです。

検査の結果は、くも膜下出血の疑いがあるとのことで、
最初の病院では処置できないので、
大学病院へ午後10:30頃転送され、入院しました。

今思えば9月頃から、何かやっていましても、大変疲れやすくて、
その疲れからいつも眠気があり、予兆だったようです。

入院後家族が、宇治別格本山の神癒祈願を出してくれました。

10時間にも及ぶ手術を無事終えて、12月4日に退院できました。
生長の家の大神様の特別のご加護を頂きありがとうございました。
おかげで無事以前と同様の身体になりました。

手術は男性医師3名と女性医師2名の計5名で行われたそうですが、
退院の際に「私達はお手伝いをしただけです。
貴女自身の持って生まれた生命力があったからです」と話して下さいました。
目に見えない力のお守りを頂いたことやご先祖様のお守りが感じられました。

今、私たち夫婦は、最高の笑顔で笑い合っています。
主人が、 「生きているということが、こんなに嬉しく有難いことなんだな。」
と笑顔で言うと、
私は「生きていることそれがただ有難いのよ」と嬉しく答えます。
生かされた生命を人様の役に立ち、
喜んでいただけるように生きたいと思っています。


207,高価格で土地の売却が

      Y.Hさん 「宝蔵」 第113号(H7.4)より 2010年2月3日更新

昨年(平成6年)12月に申し込みました神癒祈願のお蔭で、
私名義の土地売却が成就致しましたので御礼申し上げます。

私は昨年6月に老後生活の安心のため、
埼玉県より娘夫婦の住んでいる九州に転居して参りました。
しかし実情は、埼玉の土地が売れないので実家より借金して、
今の土地家屋を購入しての転居でした。

昨年5月に土地売却の神癒祈願をお願いしました。
ところが半年経っても話がまとまらず、神様に全托とは言葉のみで、
現象ばかり見て取り越し苦労をしていました。

バブル崩壊の後と土地価は下がるばかりで、
どうせ安く他人に売るくらいなら
借金先の実家に買ってもらうのが神様の導きかと思い実家にお願いしました。

そして1月11日の講習会が済み次第に登記等を済ませる予定でした。
しかしもう一度、神様にお願いしようと
昨年12月16日に、宇治の神癒祈願を申し込みました。

ところが昨年12月16日に、
私は自転車で転び圧迫骨折で動けなくなりました。
講習会には参加できないし、埼玉の登記にも行けない最悪の状態でした。
その時、私は「神様の世界は善のみで決して悪いことはない、
これできっと良くなる」と強く思い毎日感謝の生活でした。

そうしているうちに宇治の神癒祈願の満願日である1月15日に、
埼玉の実家の姉より電話がありました。
「貴女の土地を買いたい人が尋ねてきて、
買い入れ提示価格は嘘のように高いし、名字も同じで、
司法書士の事務所を経営している方です」
私はその場で姉と相談して売却することに決めました。

私は怪我で痛い思いをしましたが、
神様は素晴らしい買い主をお導きして下さり、
また、どんな状態でも感謝することの素晴らしさを体験させて下さいました。

直ちに土地売却の契約をし、2月1日には土地代金が送金されてきました。
これも偏に神癒祈願の賜物と感謝申し上げます。
御礼の気持ちとして百万円を献金させて頂きます。


206,69歳で司法書士合格

      大阪府 K.Mさん 「宝蔵」 第291号(H22.1)より 2010年1月13日更新

主人の司法書士合格の祈願をして下さいまして、
ありがとうございました。
11月20日に無事、試験の合格証を授与していただきました。
本人は勿論家族一同、跳び上がって喜びました。

主人は会社定年退職後の63才のときから、
「今度は違う方面で社会のお役に立ちたい」と
司法書士の勉強を本格的に始めました。
そして今回、5回目の挑戦でやっと夢が叶ったのです。
69才での合格はなんと、今年の全国最高齢だそうです。

昨年の7月に初めて、主人は生長の家の練成会に参加して下さり、
嬉しいことにそれ以来、生長の家の真理を学び、
神想観もする様になって下さいました。

ところが、以前から白内障を患っておりました主人は、
試験日(7月5日)の2ヶ月ほど前から、
体調が思わしくなくなり、体力的にも限界にきておりました。
そんな中にあっても、試験に向かって諦めることなく頑張ることが出来、
穏やかに受験することが出来ましたのも、
神様のお導きと感謝しています。

毎週の模擬テストでお世話になりました某ゼミナールからは、
全国最高齢で合格したものですから、
「合格体験記」を依頼されまして、
主人はその中に、神様へのお護りお導きへの感謝の言葉や、
健康で受験できた丈夫な身体を頂いた両親へ、
生んで下さったことへの感謝の言葉を書いていました。

そして更に嬉しいことに、
娘が来春から主人の司法書士事務所を手伝うという気持になってくれて、
今我が家は益々、喜びと平和に満ち溢れています。


205,大腸癌が癒やされた

                      M.Kさん 「宝蔵」 第223号(H16.5)より 2010年1月13日更新

今年2月の中旬頃、
私の主人(77歳)の大腸癌の神癒祈願をお願い致しました。
宇治の皆様には、ご祈願戴きまして、本当にありがとうございました。
主人は検査を6回も受け、その都度病状はよくなり、
とうとう癌は消えてなくなりました。
神様ありがとうございます。

この度、主人は癌の自覚症状はなかったのですが、
町の総合検診で異常が見つかりました。
私自身も含めて、妹も、友達数人も、真理を実践した方は、
皆、癌が消えてしまった体験から、
「癌ほど治りやすい病気はありません」と私は信じていました。
それで私は、「大丈夫、癌は直ぐに消えてしまいますから」と主人に言いました。
それでも主人は「癌は治るはずがない」と言って、とても心配していました。

そこで宇治の神癒祈願をお願いすることに致しました。
主人は、宇治から送られていた神癒人型を肌身離さず身につけて、
暇を見つけては、聖経『甘露の法雨』を誦げていました。
そして「神の子 ・病なし」の真理を悟り、
神癒祈願の有り難さをわからせて頂きました。

主人は、便秘がちでトイレの時間が長いため、今は
「昨日頂きましたご馳走が全部血となり肉となり、
本日皆様のために働くエネルギーとなりましたことを、感謝致します。
私の中の醜い心の汚れなど、この排泄物と共にこの場所で
全部浄化されて洗い流されましたことを、感謝致します。
大腸さん、小腸さん、直腸さん、寸暇の休みもなくお働き頂き、
お陰様で毎日元気に働くことが出来ますこと、感謝致します。
ありがとうございます。」
とトイレの中に入って毎日唱えています。

神様そして宇治の祈願部の皆様、本当にありがとうございました。
感謝合掌



204,息子夫婦の離婚の危機解消

                   A.Mさん 「宝蔵」 第266号(H9.12)より 2009年12月17日更新

 合掌 ありがとうございます。
 私は10月18日に息子夫婦の不調和の件で神癒祈願をお願いしました。思えば夫婦げんかのようなことでしたが、お嫁さんが息子の欠点・不満を言ってきて、離婚してもいいようなことでしたので、すぐに神癒祈願をお願いしました。
 私は仕事が忙しく、日曜日にしかお嫁さんと連絡が取れませんので、ただただ不安の2週間でした。息子は自分で解決するからと言っていましたので、私は生長の家で学んだことを思い出し、行ずることにしました。送って頂いていた「宝蔵」の中に、鹿児島県の松元さんの体験文の「酒乱の父の姿は娘さんの前世の業を消して下さっているのだ」という文章で気づきました。
 私は30年前現在の主人と離婚して、1年3ヶ月後に復縁し、現在にいたっています。息子夫婦は私の30年前の業を消してくれる観世音菩薩だったのだと思いました。
 息子とお嫁さんの和解の神想観も真剣に致しました。生長の家の日訓に「問題がある人はその問題に感謝するんです。すると解けなかった問題が自然にスラスラ解けてくると言うわけであります。それは神の智恵が現れてくるからです」とありました。
 この問題があればこそ色々気づかせてくれたのだ、ありがたいと感じました。宇治で祈っていて下さると心強く思い、先祖供養も致しました。
 お蔭で夫婦仲直り致しまして、10月7日から実家に帰っていたお嫁さんを10月21日に息子が迎えに行き、戻って参りました。
 今回のことで、私がしたことは私に返ってくることが解りました。
 夫は優しく頼り甲斐があり、2人で乗り越えましたが、2度にわたる心配をさせてしまったことに申し訳なく、でも今1度、主人への尊敬の念を新たにすることが出来ました。
 今は息子とお嫁さんの笑顔いっぱいの顔を描き、その周りにいっぱいの讃嘆のコトバを書き、夫婦円満大調和と祝福しております。
 これからも人間神の子 の真理を1人でも多くの方にお伝えして参ります。再拝

203,主人が国家試験に合格し、知事より表彰さる

                    H.Mさん 「宝蔵」 第117号(H7.7)より 2009年12月17日更新

 この度、主人が社長をしております塗装の有限会社より、「銅橋塗装」技術の国家試験に4名が受験致しました。合格率が40%弱との難しい試験ですので、早速4名の合格祈願を宇治の神癒祈願に申し込みました。
 その結果、社長、工場長、専務の3名は一級に合格し、長男は二級に、と4名全員が合格致しました。また、今回合格した中で優秀技術者として県内より主人が第一位に、工場長が第三位に選ばれ表彰されることになりました。そして先日、知事より表彰状を戴きました。これも神癒祈願のお蔭と心より感謝申し上げます。

202,就職が決まり、足の痛みが消えました

                O.Yさん 「宝蔵」最新号 第290号(H21.12)より 2009年12月4日更新
 
 昨年の9月、私は、左足の外反母趾による腫れと痛みで思うように歩くことさえ出来ず、杖をついて歩いている状態でした。お医者さんに診てもらいますと、「あなたは一生、杖の生活ですよ」と宣言されてしまい、落ち込んでいました。
 そのような状態で、私は9月の宇治一般練成会に参加いたしました。
 練成中に、ある方から神癒祈願を受けることをすすめられまして、申し込みをしました。祈願していただいたお陰でしょうか。翌日の十八日頃から、痛みを感じなくなり、19日には、もう杖なしで歩き回ったり、階段を登り降りすることが出来るようになっていました。
 練成が終わって自宅に帰ってきてからは、練成中に教わった三正行を毎日実践し、行じ続けておりました。
 そんな中で、私に与えられた最初の試練であった就職試験も「私は神の子、実相円満完全。やれば何でもできる。」という気持ちで臨んだところ、すんなりと決まりました。
 練成参加から1ヶ月後の丁度祈願の満願を迎えた、10月18日のことです。ふと気がつくと、左足からは、腫れも痛みも全く消えてしまい、会社の中を元気に走りまわっていました。これも生長の家のお陰と思い、これからは、一人でも多くの方に御教えを伝えていこうと思います。

201,胃潰瘍逆流性食道炎癒ゆ

                      K.Yさん 「宝蔵」第215号(H15.9)より 2009年12月4日更新
 
  合掌ありがとうございます。 この度は胃潰瘍逆流性食道炎の神癒祈願をお願い致しまして、神様のお蔭にて快方致しましたこと、心より有難く厚く御礼申し上げます。本当にありがとう存じました。
 私は胃潰瘍逆流性食道炎と診断され、今年4月より約1ヶ月半、薬物療法にて病院にかかっていました。昼間はよくなったと嬉しく思っていると、夜が来るとまた胃が苦しくなり、咳が出るという状態でした。「こんな時こそ祈らねば」と祈っていたのですが、自分の力でははかばかしく行きませんでした。
 今まで友人・知人の神癒祈願は何回もお世話になっていましたが、今年の6月12日初めて、自分も神様のお力を頂きたいと神癒祈願をお願い致しました。
 するとどうでしょうか。神癒人型の届いた日には、それまであれ程苦しかった胃の調子がよくなり、何か憑き物が落ちたという感じになりました。みるみるうちに、神様の不思議な有難いお力を実感させて頂きました。不思議な神癒祈願のお力により、今までいくら飲んでも効き目の無かった薬が、よく効くようになりました。又、その他にも有難いことが次々と起こって参りました。
 神癒祈願の満願の頃には、あんなに苦しかった胃が嘘のようによくなりました。本当に嬉しく思います。唯々感謝のみの幸せな毎日が送れますと、ありがとう存じます。「ああ、これで私は救われた。これでまた少しなりとも自分の天分に叶った人類光明化運動のお手伝いが出来る」と、今は感謝感謝の日々を送らせて頂いております。
 1ヶ月間、神癒祈願頂きましたこと、厚く厚く御礼申し上げます。再拝