*開殿時間
*神想観厳修
*写 経
*写経祝福祈念
*写経奉安式
*書き初め
*神癒祈願

午前9時20分~午後5時
午前10時・午後1時(その他各30分随時)
午前9時20分~午後4時30分
毎日厳修
12月上旬
1月1日~31日
毎日厳修

 

 
神癒の社 入龍宮幽斎殿とは



 建設にあたって


第七次元の実相界に存在する「神癒の社」を御心の天に成るが如く地上に建立するのは、神を宮の中に祀り込めて置く “容れもの”  のような神殿を造ることではないのである。

それは、実相世界の「神癒の社」の延長を現象世界につくることによって、現象世界の人間を実相世界の「神癒の社」に直参せしめる媒介をつくることである。

そこでやはり私はあの宇治山頂に 「神癒の社」を「入龍宮幽斎殿」として建てることにきめたのである。

幽斎とは形式を通して神を礼拝するところの顕斎に対する語である。
すなわち魂を鎮めて神と一体なることを期する神想観を厳修する斎殿のことである。

入龍宮とは? 
龍宮とは “生みの底” 即ち創造の根底の世界であり実相世界であり、神想観によって、本来無病無苦無争の実相世界に入ることを “入龍宮” というのである。


  
幽斎殿の形について


私は本尊として住吉神社を神社形式の神殿で建てれば 形式の上から、神道の一宗派みたいな形になって、キリスト教やイスラム教までも包容する生長の家の万教包容の大理想が形の上から崩れてしまうので、本尊神を祀る神殿を建てるのなら、神式でも仏式でもない中道的な奈良の夢殿みたいな形式がよい。


『生長の家』誌 昭和42年1月 「明窓浄机」
谷口雅春先生ご文章より抜粋


 

 

 


 

 

 

 

 



  
神癒の社 入龍宮幽斎殿について

  入龍宮というのは龍宮に入ると書かれていますが、
龍宮というのは海(生み)の底にあって、
一切のものを神様が生み出し給うところの底、
生長の家でいう実相の世界です。

この入龍宮幽斎殿というその頭に“神癒の社”とありますが、 『古事記』に目無堅間(めなしかつま)の小船(おぶね)乗って龍宮へ道案内される神話がありますが、 この目無堅間にあたるのが“神癒の社”です。

その目無堅間の小船に乗れば、龍宮海に入って行くことになります。 目無というのは、時間の目盛がないということ、堅間というのは堅い間と書きますが堅く空間が詰っているので無空間ということで、時間の流れなく、空間の広がりなく、無の一点にこれは存在します。
無の一点というと実相世界の時間と空間とを超えた世界がいよいよ現象界に展開して来るところの、たとえばレンズの中心のようなところです。

しかし、実相の世界から現象世界に展開して来る、そのレンズのところが曇っていると、現象世界というスクリーンに映って来る姿が、曇った姿、即ち、不幸、災難、病気、経済難というような状態が現われて来るのですが、その心のレンズが無空間、無時間の、どんな引っかかりもないところの、空なる、無なる心境になって実相世界から直通して、何らの曇りも、屈折もなくなると、
直接実相世界が現象世界に現われる。
その境目のレンズになるところの“社”が、この“神癒の社”です。

ここで“神癒の社入龍宮幽斎殿”の神癒祈願が執り行われています。




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