神癒の社 入龍宮幽斎殿とは
建設にあたって
第七次元の実相界に存在する「神癒の社」を御心の天に成るが如く地上に建立するのは、神を宮の中に祀り込めて置く “容れもの” のような神殿を造ることではないのである。
それは、実相世界の「神癒の社」の延長を現象世界につくることによって、現象世界の人間を実相世界の「神癒の社」に直参せしめる媒介をつくることである。
そこでやはり私はあの宇治山頂に 「神癒の社」を「入龍宮幽斎殿」として建てることにきめたのである。
幽斎とは形式を通して神を礼拝するところの顕斎に対する語である。
すなわち魂を鎮めて神と一体なることを期する神想観を厳修する斎殿のことである。
入龍宮とは?
龍宮とは “生みの底” 即ち創造の根底の世界であり実相世界であり、神想観によって、本来無病無苦無争の実相世界に入ることを “入龍宮” というのである。
幽斎殿の形について
私は本尊として住吉神社を神社形式の神殿で建てれば 形式の上から、神道の一宗派みたいな形になって、キリスト教やイスラム教までも包容する生長の家の万教包容の大理想が形の上から崩れてしまうので、本尊神を祀る神殿を建てるのなら、神式でも仏式でもない中道的な奈良の夢殿みたいな形式がよい。
『生長の家』誌 昭和42年1月 「明窓浄机」
谷口雅春先生ご文章より抜粋
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