『 宇治だより 』  宇治を愛する人  

- 39-

『宇治だより』 第41  平成3年6月1日 

  不思議のエネルギー
   生長の家愛知教区教化部長(当時) 岡田 淳


------------------------------------------------------------------------
昭和五十四年に、教化部長を拝命してから私は、
夏の大祭に、毎年神官として奉仕させて頂くようなった。
が、それまでの私は、あまり宇治には縁が濃くなかった。
高校生や大学生の練成の指導などで、時々立ち寄る程度のことである。
飛田給で育ち、そのまま、本部員となった私の認識は、宇治は、
単なる練成道場のひとつであった。

教化部長になってから、教区の信徒や幹部と接してみると、
「単なる練成道場のひとつ」という私の感じが、
「おや?」というようにみんなと異なっていることに気がついた。
私の方が、一方的であったのだと解ったのは、
何年か経ってからのことである。

宇治は、練成道場として新生の場であることは勿論であるが、
もっと異なった意味で、信徒の中に、
大きな比重を占めていたのであった。
その事が解ってから、大祭の神官くらいは真剣に務めようと思うようになった。

大祭の担当は、私の場合、いつも幽斎殿である。
神想観の指導などの行事の間、数人の先輩と雑談を楽しんだ。
しかし内容は光明化運動を離れることはなく、
涙ながらに、聖使命拡大の話をしてくれた先輩もいた。
教化部長としての教育の場でもあったとさえ思っている。

今年の正月三日、私は家族をつれて、
自家用車で、宇治の参拝に出かけた。
現在の任地である愛知教区の人たちが、バスを何台も連ねて、
「宇治へ、宇治へ」と参拝に行くからである。
この不思議なエネルギーを一見しておく必要があるとも思った。

参拝して解った。正月の三日だというのにこの人出の多さはどうだと、
眼を見はった。どこへ行っても、人、人、人で溢れていた。
活気、よろこびが溢れていた。ああ、解った。
みんな、この不思議な雰囲気の中に、全身を置きたいのだと思った。

幽斎殿の片すみで、ゴミを焼いている老人は、北海道から、
二十年来、毎年奉仕しているのだと語った。
それが、私の正月ですという老人の顔は輝いていた。
奉仕して楽しい。集まって嬉しい。ここはそういう所だった。

宗教の殿堂が持つ、本来のエネルギーを宇治は持っていた。
みんなが宇治を好きなのはこのエネルギーを感じていたのだった。
私も教化部や、教区の地方道場を、
信仰のエネルギーで溢れるようにしなければならないと考えている。

 

 

 

 

 


©生長の家宇治別格本山