『 宇治だより 』  宇治を愛する人  

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『宇治だより』 第44  平成4年5月1日 

  宇治に想いを馳せて
   生長の家富山教区地方講師会会長(当時) 吉原 茂雄


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今でこそ全国各地に立派な教化部会館や道場が与えられ、
盛んに練成会が持たれている。誠に有難い事と感謝、
感謝に堪えないところです。その昔はと言えば決してさに非ず。
「地方練成会」ともなれば、
その都度適当な会場を物色しての“間借りの練成会”
が多かったのではないかと想像されます。

当教区の場合でも昭和三十年代後半の頃だったろうか、
高岡市駅南のお寺をお借りしての地方練成会が催されました。
時の指導講師は宇治別格本山からお招きした
嘉村総務と金戸講師のお二人でした。
金戸講師は当時宇治入りして恐らくまだ日も浅い頃でしたでしょうか。
つつましく自らの体験を語られた姿が思い出されます。
この頃が私の宇治へのつながりを感じた最初と思われます。

昭和四十年正月、小林春恵教化支部長のころ、
富山県誌友相愛会連合会(県連と愛称した)の役員会の席上、
満三十六才にあと半歳余を残す若輩の私に、
突如連合会長の役がまわって参り、同年二月一日付で連合会長、
併せて宇治別格本山評議員の委嘱状がとどけられました。

この年の盂蘭盆供養大祭には“受付係”でデビゥーしました。
翌年と翌々年の盂蘭盆供養大祭には神官係の委嘱をうけ、
夏の日の数日間を宇治の霊気にひたらせていただきました。
全国有名盆踊大会の一席に「越中おわら踊り」の奉納も行なわせて頂きました。

そして昭和五十二年十月から五十五年九月まで再び相愛会連合会長。
そして昭和六十三年五月から地方講師会長を委嘱され今日に至っております。
会社勤務の関係から、
連合会長時代は盂蘭盆供養大祭での神官奉仕を心掛け、
地方講師会長拝命以後は新年祭奉仕一番乗りを心掛けて参りました。

私の神官奉仕は先ず暮の三十一日の参籠にはじまります。
そして元旦の新年祭とこれに続く御神酒授与奉仕を
当日夕刻までつとめ自宅には夜分に帰宅して家族共々お宮参りを済ませ、
明けて二日朝のおとそをもって
我が家でのお正月とするパターンが定着しております。」

昨年の元旦に、宇治での奉仕を終っての帰途のこと
富山駅に出迎えに来た家内が「来年はお正月を家でやろうよ」
とささやいた言葉を聞き流しつつ、
やがて一年経った春頃には家内の言は一進歩し、
「お役目を通して奉仕出来ることは有難いことだから今年も宇治に行って」
ということになり、本年も快く宇治での新年を迎えた私でした。 

合掌

 

 

 

 

 


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