永代供養の種類
申込方法
送信方法
永代供養の礼状
 

 

 どなたでも、故人、または流産児(自然流産・人工流産した赤ちゃん)を
お祀りすることができます。
また、生存中にご自分の永代祭祀のお申込みも可能です。

 永代祭祀される方
名前の書かれた『御霊代』(みたましろ)は、
宝蔵神社の紫雲殿に祭祀され、その魂の永遠の向上のために、
真理の言葉の綴られた聖経『甘露の法雨』を読誦し、
永代に渡って供養いたします。

祥月命日供養祭を永代に渡って厳修致します。

 生存中にお申込みの方
生長の家総本山の龍宮住吉本宮神前の誠魂奉安筐(せいこんほうあんきょう)に奉安され
ます。

 

 




霊宮聖使命菩薩(永代祭祀)について
宝蔵神社に永代祭祀(えいたいさいし)されることを希望し、
一定額の宝蔵神社永代祭祀奉納金を納入された方の御霊代(みたましろ)を、
宝蔵神社内の神座の周囲にしつらえられた紫雲殿(しうんでん)に、永代にわたって祭祀申し上げます。
その永代祭祀される御霊を霊宮聖使命菩薩と申し上げます。




永代祭祀の素晴らしさ
霊宮聖使命菩薩として永代祭祀される御霊様(みたまさま)は、
『御霊代』(みたましろ)の表(おもて)に故人の名前を浄書して紫雲殿に祭祀されますが、
このことは日々読誦される聖経の功徳と共に、
その霊魂が常に『甘露の法雨』に護られていることを意味しており、
その功徳は計り知れないものがあります。




お申込から供養の始まりまで
所定の手続きにより申込

『御霊代』 (みたましろ)に筆で御霊様(みたまさま)の名前を記入の上、提出。

合祀祭(ごうしさい)にて「御霊代」に招霊し、みたましずめの上、
宝蔵神社内の紫雲殿にお祀りされて、供養が始まります。




永代祭祀の種類
①生存者の永代祭祀

生存中から宝蔵神社に永代まで祀られる事を希望し、申し込まれる場合、
自筆にて御霊代(みたましろ)の表に自分の名前を書いていただきます。
生存中は、生長の家総本山の龍宮住吉本宮神前の誠魂奉安筐(せいこんほうあんきょう)に奉安されて
神様の祝福の霊波を受けられることになります。
また、霊界に移行(昇天)後は、ご家族の方等がすみやかに永代供養課までご命日をお知らせください。
宝蔵神社の紫雲殿に移して永代祭祀されます。

②故人祭祀

故人の御霊を宝蔵神社にお祀りしてあげたいと希望する場合には、
御霊代(みたましろ)の表に故人の姓名を書いていただきます。
(本人の霊波を招くために生前着用された衣類があれば、その一片を御霊代の中に挿んでいただきます。)

③流産児祭祀(自然流産児・人工流産児及び死産児)

流産児も家族の一員ですから、宝蔵神社にその御霊をお祀りしてあげたいと希望される場合には
「実相妙楽宮地蔵○○○○童子」(じっそうみょうらくぐうじぞう○○○○どうじ)の解脱名をつけて
永代祭祀することができます。
流産児は男女の性別が分からないことが多いので、
男女どちらにも適する名前【操(みさお)や薫(かおる)など】をつけてあげてください。




Q & A (ご質問と回答)

質問 : 時々、永代供養でおまつりしてもらっていますが、施主が亡くなったら供養はどうなるのですか。

回答 :  施主様の変更をお願いします。

 一度、永代供養でおまつりなさいますと、施主様が亡くなられた後も、永代供養と申しますとおり、永久にご供養させて頂きますことはもちろん、みたま様の祥月命日(○月○日)には、必ず「祥月命日供養祭」を永久に厳修し、聖経『甘露の法雨』を読誦させていただきます
ので、どうかご安心ください。





申込方法
1.永代祭祀(供養)の申し込み経路は次の3通りあります。

① 生長の家宇治別格本山 永代供養課(以下永代供養課という)に郵送して申し込みされる方法
② 直接、永代供養課の窓口受付にて申し込みされる方法
③ 都道府県にございます教化部にてお申込みされる方法

2.永代祭祀を希望する方は、所定の申込書にお一人(生存者の場合)、
又は一柱(故人・流産児)に付き永代祭祀奉納金10万円以上を添えてお申し込みください。
(申込書のない方はお申出ください。)

3.申込書の書き方

① 施主(申込者)の氏名(フリガナ)、住所、電話番号、生年月日、をご記入いただきます。
② 故人、流産児の姓名(フリガナ)、昇天年月日()、
生存者の場合は
姓名(フリガナ)、生年月日をご記入ください。   
毎年
祥月命日供養祭を行いますから、命日が不明の場合は、
任意の日を「○月○日」と供養日として定めて記入してください。

③ 故人の姓名が判らない場合もお申込みいただけます。
<例>宇治 花子(ウジハナコ)様のお父様のお名前が判らない場合:「宇治 花子の父比古命」
と記入してください。
④ 通信欄にはおまつりした後、はがき等が届くと困る場合は、「不要」を○で囲んでください。
⑤ 記念品は「『真理の吟唱』」または「霊供養入門(書籍・CDのセット)」
   どちらかを選んで○で囲んでください。記念品は愛行としてお使いいただけます。 

左:『真理の吟唱』 右:『霊供養入門』(書籍・CDのセット)

・・・・・ 申込書各種 ・・・・・
 
記入例
申込書
(B5用紙印刷用)
申込書
(A4用紙印刷用)
生存永代祭祀
JPEG  (209KB) PDF  (53KB) PDF  (53KB)
故人祭祀 
JPEG (203KB) PDF  (55KB) PDF  (55KB)
流産児祭祀
JPEG  (215KB) PDF  (55KB) PDF  (55KB)












※できるだけB5用紙でプリントアウトしてください。

4.ご送金確認次第、祭祀用 「御霊代」(みたましろ)をお送りいたしますので、
説明書にしたがってご記入の上、すみやかにご返送ください。





送金方法
1.「郵便局から送られる場合」

① 〈現金書留〉現金封筒一封につき、50万円まで送金できます。(申込書は同封して下さい。)
② 〈書留〉郵便為替証書(作製手数料~有料)、
又は銀行証書小切手(作製手数料~銀行により異なります)を
封入ご送金ください。(申込書は同封してください。)
③ 〈郵便振替〉永代祭祀奉納金の送金専用の郵便振替用紙(手数料~無料)をご使用ください。
お申出いただきましたらすぐにお送りします。

2.「銀行から送金される場合」

  銀行振込にて送金される場合は、各種銀行振込用紙に下記の事項をご記入ください。
永代祭祀申込書は別途郵便にてお送りください。

●振り込み用紙記入事項

振 込 先 / りそな銀行京都支店
預金種類 / 普通預金
口座番号 / 261048
受取人氏名 / (宗)生長の家宇治別格本山
受取人住所 / 〒611-0021 京都府宇治市宇治塔の川32番地
電話番号 / 0774-21-2155





永代供養 喜びの礼状

38、好運、幸運、金運とあらゆる事がスイスイと

H.Kさん 2017/3/6更新


 合掌 ありがとうございます。

永代供養のお陰でしょうか、思わぬ便利の良さ、

好運、幸運、金運に囲まれ、あらゆる事が

スイスイと運んでおり、ただただ感謝のみでございます。

合掌

37、労働時間を延長してもらえた

F.Kさん 2017/2/7更新


 合掌 ありがとうございます。

私は永代供養を何柱もさせて頂いていますが、本当に不思議に

良いタイミングに恵まれます。

 私はパートで働いているのですが、昨年8月、上司に

「もう少し長い時間働きたいのですが」 と申しましたら、

「今のところ毎日3時間しか居てもらう場所がないようです」と断られ、

空いた時間に出来る仕事を探しておりました。

 すると監査があり、役所からの指導で私の労働時間が

「一日8時間でないとこの職場は成り立たない。なるべく早く改善するように」

と注意が入ったそうです。 

そのため明日2月1日より労働時間が増えることになりました。

 また、「103万円を超えると税金の関係で困るでしょう」と云われましたが、

近々法改正で150万円まで大丈夫になりそうです。とてもラッキーで喜んでいます。

一日8時間となると健康保険も付きますので、とても喜んでいます。

良い事ばかりがやって来て嬉しくてたまりません。

家族関係も良好です。ありがたいばかりです。再拝

36、娘が再婚して近くに住むことに

U.Tさん 2016/2/26更新



  合掌ありがとうございます。

27年2月20日に主人の母親を永代供養させて頂きましたら、

7年前に離婚した長女に再婚が決まり、千葉の私達の近くに

引っ越してくることになりました。主人は大変喜んでおります。

新しい家庭が出来ることに感謝致しています。

本当に永代供養はありがたいとお礼のお手紙をさせて頂きました。

ありがとうございました。 再拝




35、右胸のかたまりは異常なしに

M.Yさん 2016/11/13更新


 合掌 有難うございます。

過日、六月二十日、夫の名前で両親の永代供養して頂きまして

まことにありがとうございました。

実は私は五月の中頃、右の乳の上に赤いかたまりを発見し、

近くの医院に行きましたところ、たちが悪いと言われ、

永代供養をお願いしました。

 送金をしました日、これで完治したと思いました。

薬を下さって、少しずつ小さくはなるのですが、なかなか消滅せず

私が引っ掛かるようになり、夜も眠れなくなりました。

 そして大きな病院へ行き、レントゲンをとって頂きましたところ、

二日後、異常なしの通知が来ました。

神様、まことにありがとうございました。

34、宝くじに当たったり、成績が良くなったり、嬉しい事ばかり

M.Yさん 2016/11/10更新


 合掌 有難うございます。

平成8年11月下旬に私の祖母(私の母を産んで3~4歳の時に亡くなった)を

永代供養したところ、郵便で10万円送った時、宝くじ10万円が当たりました。

宝くじは今まで200円くらいしか当たったことがなく、とっても嬉しかったです。

 過去にも10柱永代しましたら、二世帯住宅を建てることが出来ましたし、

その後時々二人ほどしましたが、子供の成績が急上昇したり、

必ず良い事があり、とっても嬉しいです。

今回も宝くじ10万の他にボーナスがいつもよりかなり多く頂きましたので

大変嬉しかったです。ありがとうございます。


 再拝

33、母の永代供養の後、長男は電気店が繁盛、弟は部長に昇格

S.Iさん 2016/11/2更新


 合掌 有難うございます。

昨年十二月三十一日九十六歳で母は霊界へ旅立ちました。

四十九歳で父が亡くなり、その後友人の家で働き、長女の私の家に来るのを楽しみに、

二回の骨折にも関らず二階に住み、食事をする為、階段の上り下りをしていました。

私は母の姿を見るたびに家に帰りたいと願い、弟の長男夫婦に願いましたが、

許可はしてくれませんでした。

施設に入り、寝たきりになった母の悲しみは娘にとっても辛い日々でした。

四十八歳で亡くなった父の変わりに残りの弟達の面倒を見て、笑顔の中で頑張る母は

私に人生の勉強を教えていってくれました。

今の私には主人を亡くした現在、辛い事を見事にこなしていけたのも「人間は大好きだ」

と言った母のお陰でした。

私は永代供養を宇治に四十九日のお膳誦げが終わった後、行ってきました。

母は五男の弟に素晴らしい愛を与えてくれました。

弟は名古屋の一流企業の会社に勤めています。

今まで大学卒しか役員になれなかった会社で、高卒の弟が三月一日に

見事部長に昇格しました。前例のない事でした。会社の人々も喜んで下さったそうです。

私の家でも長男に電気店として、明るい心で皆様に喜んで頂ける店作りを

安い金利で公庫より借りることが出来、二日間のリニューアルオープンでは

懐かしいお客様もみえ、高額商品を買って下さり、リニューアルオープンは

大成効に終わりました。

また、脳梗塞で倒れた次男の弟は、私のお店に来て手伝うまでに治って、

一人でバスに乗って手伝いに来てくれるようになりました。

母の永代供養は私にとって素晴らしい母の愛が満ちあふれ、悲しみの中に喜びを

与えてくれました。

感謝の心を忘れずに日々愛行をしていきます。

32、長男は主任の肩書きに、次男は離婚をとどまってくれた

O.Cさん 2016/11/2更新


 合掌 有難うございます。

二人の息子の生存永代をして、長男は松下電器グループ会社内の

一社に勤めております。

十八年四月に会社(息子の在籍している工場)が他県に移転するに当たって、

本人は長男で、やがては家を継ぐのに帰郷する仕事に少しの不満がありますので、

会社を辞めて大阪内の下請けの会社に変わると言っていたのですが、

私は内心工場が大阪から他県に移転するけれど、“世界の松下”と言われている会社を

辞めるのは惜しいと思う気持ちがありましたところ、会社から「残って欲しい、

仕事を変えるから」と言って頂き、現在は “主任” の肩書きも頂いております。

生存永代供養をしたお陰様と感謝しております。


次男でございますが、高校の英語の教師をしております。

結婚して十年目に女の子の子宝に恵まれました。

過去十年の間に二、三度浮気、離婚をするということで、私達夫婦は困りました。

真面目で勤勉で “人望” と言われている主人に申し訳ないと思いながら、

主人に甘えているばかりでした。次男にも謝りました。

孫の誕生三ヶ月前に息子は生まれてくる子が父親のない子やと言って

いじめられるのは可哀そうやから離婚をするのはやめとくと言ってくれました。

息子の嫁も離婚をしないと言って頑張ってくれ、感謝しております。

夫婦生活、浮気、離婚等について、私のようなおろかな母親に打ち明けて

話してきてくれたことに感謝しております。

父親のいない子といって“いじめ”にあうのは可哀そうということも、

どなた様か言い聞かせて下さった方にも感謝しております。

生存永代供養のお陰と感謝しております。


31、息子の嫁が帰って来てくれた

U.Yさん 2016/7/24更新


 合掌 有難うございます。

先達て四月十七日に満百歳を以て霊界に旅立ちました

主人の永代供養につきまして、大変お手数をおかけ致しまして

有難うございました。

 体験があればとのことでございますが、我が家の息子の嫁が

家を出て自分の里の方に行って六年あまり。

早く帰るように話し合っても中々帰って来なくて、

私共も心配ばかりしておりましたが、

忌明けの四十九日を期に帰ってきてくれまして、皆安心し

喜んでいるところでございます。

 これもすべてご先祖様や主人や他の御霊方のお導きのお陰と、

驚きとともに有り難さを痛感しております。

本当に有難うございました。


30、困っていた近所の空家が大工事開始

H.Kさん 2016/6/15更新

 合掌 有り難うございます。

義母に続き、義姉の永代祭祀をしていただき、ありがとうございます。

やっと、感謝の供養ができたことを本当に嬉しく思っております。

これからも聖経読誦を続け、大好きなH家のご先祖様に感謝するとともに、

私の先祖、また子供の家族の先祖様に心からのお経を誦げさせて頂きます。

ありがとうございます。

追伸 

義母の供養が終わった数日後、長年近所の空家の木が茂り、

困っていたのですが、急に片付けて下さることになり、二、三日前から

大工事が始まってます。

何も口出ししなくても収まる時は収まるんだな、きっとお母さんが

早く供養して欲しかったんだと思いました。
  
                                再合掌

 

29、永代供養をしたその日から膝の痛みが消えた!

N.Mさん 2016/5/30更新

 合掌 有り難うございます。

さて、五月一日、永代供養して頂き、ありがとうございます。
五月一日、私の膝が癒される体験を頂きましたので、感謝の報告をさせて頂きます。

 私は今まで永代祭祀によって、不慮の事故、また数々の交通災害から、家族、
子供達の身体の安全が守られてきたことに、日々感謝を忘れずに生活させて
頂いております。

 此の度の祖父、伯母の永代祭祀で、足が元気になるというお陰を頂きました。

ここ数年、膝の故障や、腰の痛みから、畑仕事が苦痛でした。

 ところが祭祀して頂いた五月一日の日、私は急に花壇の整地作業をしたくなったのです。
内から“大生命、大生命”と励まされているのです。

足も軽く、足も痛まず、作業が楽しいのです。もうびっくりしました。

 今日だけかな?と思っていましたが、今でもずっと楽しく仕事が出来ます。
毎月の除草作業も楽しく嬉しくやっております。ありがとうございます。

 神様のお導きと多くの方々の愛念に深く感謝申し上げます。 再拝

 

28、自殺願望がなくなりやる気が出てきた

M.Tさん 2016/4/9更新

 合掌 有り難うございます。

生存永代供養を申し込んでから主人がやる気を出し、元気になりました。

先月くらいから 「自殺する、やる気がなくなった、仕事を廃業する、

嫌な取引先と会いたくない、一年半休業したい」 と言ってました。

 子供が一歳で、両親のマンション代も払っており、夫が働かないと

暮らせないと思っていたところ、練成部長さんや教化部長先生が

生存永代を勧めて下さいました。

 生存永代をさせて頂いて良かったです。

また私も夫の自殺願望、鬱に育児疲れ、ある講師から言われたことが

きつくショックを受け、ずっと元気だったのに、欝っぽくなり、寝ていても

きつくて、なんとか育児と家事をする状態でした。

 生存永代供養を申込み、数日後より朝起きれるようになり、やる気が

でて来ました。有難うございました。

 

27、無限供給を得たり、子宝に恵まれたり、正しい名前が判明したりした

M.Tさん 2016/4/9更新

 合掌 有り難うございます。

実家の永代供養を四柱(一柱は祖母の流産児)を昨年させて頂きましたら

弟夫婦が結婚式を終えてすぐ神の子さんを授かり、結婚祝いにお嫁さんの

実家から500万円頂いたそうです。

弟は車3台買い替えて、結婚した時、貯金がなく、両親が結納代を出しましたが、

無限供給でお金が入ってきました。

妹も永代供養をして、二ヵ月後、神の子さんを授かり、無事に男の子を出産しました。

私の婚家先も二柱させて頂きましたら、主人、義理の両親が穏やかで嬉しくなり、

今まで結婚して四年、お墓参りに連れて来てもらっておりませんが、

お墓参りの時、写真を見せてくれ、○○の父の比古之霊位と、

十二柱霊宮聖使命会員に入れさせてもらったら、四ヵ月後に墓石のご先祖様の名前で

七名、ご先祖様の名前が分り、早速名前を教化部で変更させて頂きました。

ありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

 


再拝


※上記の尊い二つのお礼状は、同じ方から届きました。


26、私の中に神殿が建ったような感動

K.Kさん 2016/4/3更新

 合掌 有り難うございます。

平成22年、夫と再婚した時、直ぐに先妻、平成25年、夫の父、

平成26年、夫の母、夫の幼児の時死去した姉、私の母方の祖父母、

戦死した叔父、夫の父の弟(幼児の時死去)を永代供養させて頂き、

私の5人の子供は生存永代供養を致しました。


 とりわけ戦死した叔父、幼児の時死去した霊を永代供養しました時は

感極まりました。


 今年、三男の娘の誕生日にお祝いに行くと、昔不良で、10年前に

癌を克服した三男が会社を設立しました。


 また、昨年12月に永代供養した娘が正月に来て、今年の暮れに

家を新築し、太陽光パネルを屋根に設置し、蒔きストーブを使うことと

なりました。


 この世に生まれて永代供養をさせて頂いた事は、私の中に神殿が

建ったような感動でした。 ありがとうございます。


再拝

 



25、縁の薄かった母の本家のお墓参りの機会を与えられた

F.Rさん 2016/3/21更新

 合掌 有り難うございます。

いつもお世話になっております。ありがとうございます。

新年早々、昨年他界いたしました実母のおじ、おば等にあたる方々を

四人お祀りさせて頂き、ありがとうございます。

また、二人申込みさせて頂きます。

 年末に亡くなった母の貯金を少し分けて頂くことが出来ましたので

お願いすることができました。


 母の実家は本家と縁が薄くなっていたようで、何故か母の本家の

お墓参りも行った事がありませんでしたが、母が亡くなり、ようやく昨年九月、

母の弟にあたるおじさんと、お墓参りに行かせて頂くことが出来ました。

本当に嬉しく、ホッと致しました。母の導きだと思います。

これも、母も永代供養させて頂いているお陰だと思います。


 とてもお墓をきれいに管理されて、手入れされていて有り難く嬉かったです。

これからも神様、ご先祖様に導かれていることを信じて信仰させて頂き、

生長の家で報恩感謝出来るよう努力していきたいと思います。

これからも宜しくお願い致します。

再拝

 


25、亡き妻と会話し、妻の喜ぶ生活を実践

S.Yさん 2016/3/13更新

 合掌 有り難うございます。

本日、只今「永代祭祀之證」を戴きました。ありがとうございます。

亡き妻は私の母を面倒見てくれまして、生前母の永代祭祀奉納金を納めて

供養してくれました。そして、毎朝宝蔵合本聖経を読誦しておりました。

 今、私は妻亡き後、T先生が拙宅にお参りに来られて、

「霊界の奥さんとお話しをしなさい」「霊界と現世とは心が結び合っている」

とお話しをいただき、『日時計日記』の今年の目標に、

「神の子として聖経を毎日読誦し、真理の実践に努め、霊界の妻と会話し、妻が

喜ぶ生活の実践に努める」と立てさせてもらいました。

 妻亡き後、六ヶ月、今までの人生が恥ずかしく、反省と悔恨で情けなく、自分の

至らなさを恥じております。

 今、私は生前妻が毎朝読誦しておりました聖経を就寝前に読誦させてもらっております。

妻が与えてくれた新生の、そして生長の家が教えて下さった真理の人生を感謝しての

毎日になりました。

 出来れば参拝の喜びを得たいと存じておりますが、母の時に妻が『霊供養入門』を

戴いたので、今回『真理の吟唱』を戴きました。ありがとうございました。

先ずはお礼まで、お導きのほど、宜しくお願い申し上げます。

再拝

 


24、義父の大往生と技術校の合格

S.Cさん 2015/3/27更新

 合掌 有り難うございます。

いつもお祈り戴いて、誠に有り難うございます。

長い事、震災後の色々な出来事に全力であたって、無事に乗り越えてきました。

これからも神仏のご加護があったからと、手を合わせる毎日です。


 私事ではありますが、昨年、主人の父が91歳で昇天しました。

亡くなる前日まで金物店を一人で切り盛りしてまして、急に胸が苦しいと言われ、

病院に入院しましたら、急性の心筋梗塞で、

「普通の人なら死んでいる状態です。手術はしますが、未知の世界です」

と担当医に言われました。


 右の大動脈は数年前に詰まっていて、小さな血管を少しずつ伸ばしていって、

左の心臓に繋がっていました。

 明日、手術という日の夕方、ご飯を七分食べ、デザートも完食して、

ほぼ付きっ切りの婦長さんが検温しようとした時、息が無く、

穏やかに昇天していたそうです。


 私は職業技術校の介護師受験を目指していました。

永代資格申請と霊宮聖使命会を申し込みましたら、

職業安定所では「20年間まったく働いていない人では入校は落ちる」

と言われたにも関わらず無事に合格し、4月から9月まで在校出来る事に決まりました。


 今年からは制度が変わり、実務者研修(ヘルパー1級)の資格と

医療(痰の吸引・栄養チューブで食事を与える)も可能になり、

私の目指す方向へ一歩ずつ近付ける事になりました。

この喜びを伝えたくてペンを取らせて頂きました。



 これからも日々のノーミート料理や、地球の全ての生き物と調和していけるよう

精進努力し、御教えをより多くの人に伝えていきます。



再拝




  3月23日に届いたお礼状

 

 

23、天と地上に子供をもって幸せ

S.Kさん 2014/12/17更新

 祭祀用の甘露の法雨を同封させていただきます。

結婚してから義母から教えていただいた生長の家ですが、

私は別の宗教でしたので、結婚前に付き合っていた方との

流産児の事を誰にも言えず、どうしてあげたら良いかも分らず、

八年間も放って(何もしないまま)いたのでした。

 今回、義母に打ち明けることが出来、指導の元、

この子を供養することが出来、感謝の気持ちでいっぱいです。

 結婚して最初の子が流産しておりますが、きっとその子が今回

供養にまで導いてくれたのだと思います。

 私は天に名前を持った二人の子供をもっていて幸せです。

現在、地上にも二人の子供に恵まれている私ですが、

四人の母として、これからも明るく神様の使命を感じとりながら

生きていきたいです。

 同じように悩んでいる人が一人でもこの教えを知ることが出来ますように

 

22、日に日に明るくなる我家

N.Rさん 2014/12/16更新


 
合掌  ありがとうございます

 この度、亡父の永代供養をさせて頂くことになり、

心より御礼申し上げます。


 私は現在、大学三年生の二十一歳でございます。

父が病で亡くなったのは小学四年の事で、

生長の家の〝人間は生き通しの命である″真理を

なかなか実感出来ませんでした。

 しかし、一年半ほど前から、ご霊前で甘露の法雨をあげさせて頂き、

暗かった家庭内が日に日に良くなるのを実感し、

ご先祖様の供養の大切さを知ることが出来ております。

 生長の家は母の父の代からの信仰で、私で三代目でございます。


  生長の家は一生の、永遠の宝です。

人類光明化の為、雅春先生の御心にかなう女性となり、

地元の為、貢献してまいります。


父の永代供養、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

                      

                                                    再拝

 

 

21、息子のアレルギー紫班が癒された

I.Nさん 2014/10/27更新


        
平成17年10月27日着のお手紙 有り難うございます

 合掌  ありがとうございます

 平成十一年三月頃に、息子が足が痛いと言うので、

近くの小児科に行くと、アレルギー紫班とのことで、

紹介状を書くので直ぐに入院をしなさいというのです。

そして、市民病院に一ヶ月くらい入院をしました。

 退院してから朝晩の薬と一ヶ月の通院、外でも元気に遊ぶのですが、

時々お腹が痛いと言っている時もありました。

 同年の十月に祖父の永代供養を申し込みましたところ、

息子はとっても健康となり、あんまり病気もしなくなりました。

本当に有り難うございました。

 お礼の手紙が大変遅くなり、申し訳ありませんでした。

今になってみると本当にそれ以来、風邪をひいても

治りがいいように思います。

 

20、息子が良縁に恵まれました

I.Nさん 2014/10/19更新


        
平成16年12月16日着のお手紙 有り難うございます

 合掌  ありがとうございます

講師の方に勧められて十四年十一月に、息子の生存永代を申し込みました。

良縁成就を願ってでした。

今まで付き合っている人もなかったので、結婚するのかどうか心配をしていました。

でも、申込みをして半年くらいの時に「今、付き合っている人がいる」と言われ、

びっくりしました。そして、今年(十六年)の九月十九日に結婚をしました。

とても素晴らしいお嫁さんです。

会社の先輩の人の奥さんの友達です。生長の家のみ教えのおかげと

深く感謝をしています。

これからも神様の人類光明化運動を一所懸命やっていきます。

ありがとうございます。

再拝  

 


 

19、亡き父の志を継いで日々励む親子

S.Yさん 2014/10/15更新


        
平成26年10月15日着のお手紙 有り難うございます

 山々から紅葉の頼りが届きます。

この度は父の祥月命日供養祭の御案内を戴きましてありがとうございました。

父は医師と歯科医の免許を戴いて居りました。

歯科を継ぎました弟の息子が東京での研鑽を終えて帰ってまいりました。

新しいより高度の医療を願って家も新しく新築して新しいデンタルクリニックとして

開業しました。

弟は訪問看護の部門を始めることが出来ました。

生前父は町の方々から「赤ひげ先生」と慕わって戴きました。

その父の志を継いで日々励む親子の姿を父は喜んで見守って居てくれると思います。

嬉しく感謝して居ります。

今年も伺えず申し訳ございませんが、それぞれの地で父と祖父を憶い祈ります。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

朝夕冷えてまいりました。

皆様 どうぞお体を大切になさって下さいませ。


合掌


 

18、息子の結婚が決まり、良い物件も見つかり、疎遠だった娘とも会えた!

T.Mさん 2014/8/28更新


        
平成26年8月28日着のお手紙

 合掌 有り難うございます

過日、申込みの問合せをしましたところ、命日がすぐには分らないと

申し上げましたら、受付の方が

「永代供養をなさりたいとの思いは、すぐに霊界には届いていますから大丈夫」

というような説明をして下さいました。それを聞いて、ものすごく安心し、落ち着いて

命日を調べることができ、今日、返送もすることができました。

あの時の担当者の方の一言には本当に真心を感じられ、とても有り難く、

信じることができました。


 去年、母の永代供養をして頂いたことにより、大祭の奉仕で神縁を強くして頂き、

あっという間に結婚の運びとなったのですが、今回も申込者と奉納金をお送りしただけで、

まだお祀り用の聖経は返送前でしたのに、当時社会人になりたての息子の住居が

大変難しい状況であったにもかかわらず、祈りの通り、最も良い条件で与えられそうな

急展開となりました!


子供の事は、なかなか心配な状況が続いておりましたが、ずっと今回の

二柱のご先祖様はもちろん、既に永代供養して頂いているご先祖様にも

お祈りしていたところでしたので、本当に驚き、感謝でいっぱいです!

〝呼べば応え給う神様″〝聖霊天降る宇治″

知れば知るほど、実践すれば実践するほど実感でき、感謝の想いに満たされます。

(今、思い出しましたが、二柱様の供養を決めた頃、しばらく疎遠になって

しまっていた娘とも会え、とても久しぶりに母娘の会話ができ、久しぶりの

安心な関係に戻ることができたという事もありました!)

沢山のお礼状を感動と実感で読ませて頂いておりましたが、私自身

供養をさせて頂ける気持ちになったことが、何よりも有り難く、こんなにも

お陰を頂くとは思いませんでした。

いつも常に護られ、救われ済みを本当に本当に実感致しました。

心より感謝申し上げます。


宇治の皆様、おひとりおひとりの尊いお働き、ご愛念に心より感謝し、

ご多幸をお祈り致します。


 

17、亡き叔母が喜んでくれたのか、夢に現れた!

O.Mさん 20114/7/27更新


        
平成26年7月26日着のお手紙

 合掌 有り難うございます

私は平成八年七月の一般練成で、戦前に自殺した母方の叔母を

永代供養させて頂きましたら、帰ってから夢に出てきて喜んで下さいました。

それから平成十年の暮れまでに、父方、

母方の祖父母を永代供養させて頂いたら

翌年九月、不思議なご縁で、遅かったのですが、結婚致しました。

田舎のこと、いろいろと難しい事ばかりです。

何度も主人とも喧嘩し、泣いてきましたが、

ふと、母方の伯(叔)父、伯(叔)母が、幼い時に亡くなり、

田舎なので供養されていないのではと思い、まず霊宮聖使命に。

ようやく今回、その内の一人を永代供養をさせて頂けました。


霊宮聖使命に入れさせて頂いて、不思議に素晴らしい事がありましたので、

喜んで下さっていることと思います。

これからもしっかり先祖供養させて頂きます。

 


 

16、二人の兄を迎える母の夢を見た!

K.Oさん 2011/7/22更新


        
平成22年7月15日着のお葉書


常にお守り下さいまして誠に心から感謝を申し上げます。

柏寅雄比古命之霊と柏文之丞比古命之霊の二人の兄を
平成23年6月10日に永代供養をしました。

平成23年7月13日午前2時50分に目が覚め、
それまで文之丞兄さんが10歳の時の夢と、
寅雄兄さん23歳のときの夢を見ました。

母親が大変喜んで迎えてくれている夢で、
初めて見ましたので、永代供養のお陰様だと
心の底より身をもって嬉しくて嬉しくて、
私だけ良い思いをしてはいけないと考え、
一人でも多くの皆様が永代供養を知り、
供養して下さることを深く広めて下さい。
お願い致します。

母も、他界していますけど、一緒ですね。
生長の家の教えを学んで、
楠本先生の言葉どおり、御先祖様と一緒ですね。

生長の家の神様に、すきまもなく、しっかりと守ってもらい、
家族が明るく幸福です。

 


15、母の夢に、光り輝く子供達が現れた!

神奈川県 S.Tさん 2009/7/2更新


                              平成21年6月25日着のお葉書

合掌 ありがとうございます。 いつもお祈り頂いて誠にありがとうございます。

母の水子さん(私の兄弟)の永代供養をして、毎日心を込めて供養をし続けていたら、
数年後に母が、夢で光り輝く子供達4人(申込は3人)が手をつないで顕れてくれたと、
とても嬉しそうに話してくれました。

私はお嫁に来てすぐに、主人と姑を生存者永代に申し込み、お陰を頂きました。

姑は愛煙家で82歳、今年1月に「再生不良性貧血」と認定されましたが元気です。
主人は44歳で「脳梗塞」で倒れ、
お医者さんは数ミリで命を落とす所、よく助かって良かったねと仰って下さり、
後遺症もなく元気です。

流産児の永代供養、生存中の永代供養はすごいですね。
ありがとうございます。

 

 

14、流産児永代で、真心が通じたと実感

福岡県 M.Mさん 2009/2/3更新


                              平成21年1月21日着のお手紙

合掌 ありがとうございます。
この度、永代供養を申し込みましたのは、
26年前に私に二人目の子供が授かりまして喜んでいたのもつかの間で、
3ヶ月の検診に行った所、お腹の中で亡くなっていました。
私も主人も大変がっかりし、悲しくてたまりませんでしたが、
お腹の中で亡くなった子供は高級霊だから永代供養はしなくていいですよと
生長の家のどなたからかお聞きしていたので、
私はそのまま永代供養はしなくて霊宮聖使命にだけ入っていたのです。

昨年の12月に、いつも私の相談にのって下さいます講師の方が、
「あなたいくらお腹の中で亡くなった子供は高級霊といっても、
できれば今年の内に永代にしてごらん。」と言われたので、
早速、次の日12月17日に永代供養の申し込みをさせていただきました。
子供に、26年間もほったらかしにしていてゴメンなさいね、という
済まない気持ちでいっぱいでした。
その後は何かスッキリした気持ちになっていました。

1月14日夜、お聖経を誦げた後にローソクのくずを取っていたら、
いつもと違うので良く見ると、 お母さんが赤ちゃんを抱いているように見えるのです。
自分でこんな体験をしたのは初めてですのでビックリ致しました。
同時に、私の真心が子供に通じた様な気がして、うれしく思っております。
永代供養をさせて頂いて本当に良かったです。 ありがとうございました。
これから先も御先祖様の永代供養も少しずつしていきたいと思います。

 

13、便秘と尿失禁が治った

N.Kさん  2009/2/3更新


                              平成21年1月21日着のお手紙

ありがとうございます。
昨年11月に私の夫の永代供養をさせていただきました。
孫の夜尿症が治ったらとの思いで致しました。
孫の夜尿症の方はまだ治りませんが、 気が付くと私の方
(便秘と、冬場恥ずかしながら申しますと尿失禁があって) が治っており、
今は気分爽やかに過ごすようになって参りました。
これは体験かと、きっとそうだと感謝申し上げます。

 

12、自然に聖経読誦、神想観ができるようになった

大阪府  O.Kさん 2008/11/11更新


                              平成20年11月5日着のお手紙


合掌 ありがとうございます。
私は平成18年11月に生存永代供養の申し込みをさせて頂き
御手続きをして頂きました。 有難うございました。

それからしばらくして、今まで私は祭壇(聖書の本棚ですが)
に向かって礼拝するのが億劫で 自分で気がとがめていたのですが、  
それが毎朝、自然に祭壇の前に座って
聖経読誦、神想観をしている自分に気が付いたのです。
何か拝んで下さっているような念波を感じました。

毎朝自然に祭壇に向かう習慣の付いた自分が本当に不思議であり、
ああ善かったと何よりも嬉しく思っています。
又、毎朝聖経読誦していますと本当の意味もだんだん解るようになり
有難い思いでいっぱいです。
「生存永代供養」して頂いて本当に有難うございました。

11、夢で見た検査結果報告

愛知県  H.Yさん  2008/9/1更新


                              平成20年8月30日着のお手紙

合掌 宇治の皆様 いつもありがとうございます。
今日は永代供養の体験を報告したいと思います。

妹の夫が亡くなり、今年が三回忌になります。
とても人間的によく出来た人で、皆が残念がったり惜しまれた人でした。
三回忌までに永代供養がしたいと思っていましたが、
私がこの一年間体調を崩し、健康診断にひっかかり、大病院での検査結果を待っているところでした。

8月16日、丁度夫も旅行でしたので、行ける時にと元気を出して、
「永代供養」に宇治へ出掛けました。

練成も最終日で、加美野先生の元気で力強い声がマイクから流れていました。
「生長の家」一筋の人生の方は素晴らしいと思いながら、
永代供養、無くなった親族、水子霊の霊牌供養もすませ、心清まる思いで無事帰宅しました。

来る8月27日が私の検査結果の日でした。
むつかしい病なら素直に受けて乗り越えたいと、内心ビクビクもしていました。

宇治から何日くらいたったのか、昼食後まどろんでいましたら、
担当の医師から「異常もなく大丈夫ですよ。」と、
私が気に入っている服を来て、話をしている夢を見ました。
霊の世界で解決していたんだと思います。不思議だなあと思いました。

8月27日当日、私は同じ服を着て、担当の医師から夢と同じことを言われました。
生きた心地のしない日々もありましたが、私は神癒を受けて生かされています。
『甘露の法雨』に守られていると実感しています。

これからも親族の方々の永代供養をさせていただこうと思っています。
永代供養させていただける私が幸せだと思っています。心から御礼申し上げます。
皆々様 ありがとうございます。 

 

10、主人の体調不良が回復

鹿児島県  N.Tさん  2008/8/14更新


                              平成20年8月11日着のお手紙

合掌ありがとうございます。
この度は、主人のご両親・お兄さん・ お兄さんのお嫁さん(先妻さん、後妻さん)
・ 私の両親の永代供養申込をさせていただき、心より感謝申し上げます。

お兄さんが亡くなって今度初盆でございますが、
実家に誰もいなくなり(甥達は県外に在住のため)、
そのことで急に主人の体調が悪くなり、夜は安定剤を服用するようになりました。

前白鳩会連合会長さんに相談しているうちに、永代供養のお話があり、
早速用紙をいただきまして申し込ませて頂きましたら、
生活のリズムが1日1日と前の様に戻り、有難くて心から感謝申し上げます。

今は、主人の米寿の祝いを、高校の卒業生の方々から
(11月に)2組申し受けておりますので、
それが本当に楽しみな日々を送らせていただいております。

9、霊界の母と私を繋ぐ小さな出来事

埼玉県  H.Hさん  2008/8/6更新


                               平成20年8月1日着のお手紙

昨年、夫の母は95歳でこの世の使命を全て終え、静かに霊界に旅立ちました。
生前、母は宗教に余り関心がありませんでしたので、亡くなる七年前に生存永代に申し込みました。
奇蹟が起こったとか、特別なことがあった訳ではありませんが、
要所要所で、良き方向へ良き方向へと導かれ守られた母は、
幸福な人生の最期を迎えることが出来たと私は思っております。
母を見送りました後、宇治に連絡をしましたら、
生長の家総本山より宇治の仮奉安所に母の御霊代は移され、
10月10日の合祀祭にて宝蔵神社紫雲殿に祭祀されますとのことでした。  

9月16日のことです。
いつものように母の霊前で聖経『甘露の法雨』を読誦していたときのことでした。
私のメモには次のように記してあります。
「“人間”の項を過ぎた頃、ふと心に浮かぶ。お母様は5人の子を儲けられた。
でも第一子を6歳の時に亡くされた。このA子お姉様が生きておられたら、
他の4人の子供達と同じように何らかの相続を受けられた筈では。
お姉様には一体何をしてあげられるのでしょう。それは永代供養。」
この想いが一瞬にして私の中に湧き起こって参りました。
これは母からのメッセージとすぐ気付きました。

帰宅した夫に話しますと大変喜んでくれまして、
すぐに手続きをしましょうということになりました。
私はふと、「確か、永代供養の申込書があった筈」と思いました。
引き出しを開けますと、物故者用の永代供養申込書がありました。
嬉しくなって手続きを進めました。

数日後、永代供養用の『甘露の法雨』が届きました。
一心に祈り、心をこめて「H.A子比女命」と書き終わりますと、
又、ふと、「母は10月10日の合祀祭にお祭りをして頂くことになっていた。
この姉も同じ日にして頂きたい。」と思いまして、宇治に電話を入れました。
すると、姉のことを詳しく伝えたいと気持ちが動き、お話いたしましたら、
『甘露の法雨』返送の際、一緒にその旨メモでも同封すれば、合祀祭で続けて招霊し、
宝蔵神社紫雲殿では隣同士に安置するようご配慮下さるとのこと。

一体誰がこのような結果を想像出来たでしょうか。
私は胸が熱くなり、しばらく言葉が出ませんでした。
68年という時を経て、母と娘は宝蔵神社紫雲殿でお隣同士に安置される。
おんぶもして欲しかった、抱っこもして欲しかった、もっともっと甘えたかった、叱っても欲しかった、
そんな想いを十分に果たすことなく霊界に去った娘。
残された母もどんなにか寂しくせつなかったことでしょう。
でも今二人はお隣同士、"お母ちゃま""A子"そう呼び合い乍ら、
いつまでも語り合っていることでしょう。
私もそっと目を閉じますと、
手を繋いで幸福そうに笑っている二人の姿が目に浮かびます。

今回の体験を通しまして私が学びましたことは二つあります。
一つは霊界と現象界に距離はない、ということ。
もう一つは、ふと思う心は、時には神の声であったり、
又、ある時は御先祖様からのメッセージであったりする。
私達がそれを逸速くキャッチし、すぐに行動に移す時、
そこには人間智を遙かに越えた不思議な素晴らしい世界が展開する。
これらのことを、体験を通して我がものとすることが出来ました。
合掌ありがとうございます。

 

8、永代供養の後、夫の納骨先が決まった

千葉県  H.Aさん  2008/7/29更新

平成20年7月21日着のFAXより

合掌ありがとうございます。7月3日に夫の永代供養をさせていただいた者です。
昨年暮れ、飛田給本部道場にて夫の遺骨について個人指導を受けました。
夫は5年前に亡くなったのですが、お金がない事もあり、
私は墓地をどうしたらよいか悩んでおりました。その事を申し上げましたら、
「それは御主人に聞けばよいのではありませんか?」と言われました。
私は、「え?この世にいないのですよ。」と言いましたが、
「心をこめて聞いてご覧なさい。必ずちょうどよい返事がありますよ。」とのことでした。

その後、3月末に永代供養をお願いし、お墓のことはすっかり忘れておりました所が、
市営の霊園で、「遺骨を持っていてお墓のない方のみの合葬式墓地」を募集しており、
申し込みました所、抽選であたりまして、8月に納骨出来る事になりました。
一昨日、飛田給練成に行きまして、その時の講師に一連の話をしました所、
「ホラネ、ちゃんと御主人が段取りして下さったでしょう?」と言われまして、
ハッとしました。市内ですので、丁度良い所を夫が準備してくれたと思う他ありません。
永代供養をして、いろいろ良い事があったとお礼状が載っているのを見て、
よその方はいいなと思っておりましたが、
私の所にもちゃんと霊界からのお手配があったのだと心から感謝しております。

又、今日これを書きながら急に思いついたのですが、
大家さんの都合で5月中に借家を出なければならなくなりました。
それは昨年12月のことです。
お金も何もなく途方に暮れて、只必死で法供養をお願いしておりました。
2月末、ひょんな事から年金を借りることを思いつきまして、
(この時も神様からのご指示がありました。)それが3月26日に入金になったのです。
私はこの機会にと、永代供養を申し込みました。
この永代供養のことも、今思えば不思議なことです。  

今年の1月か2月の練成に参加したときです。
京都からわざわざ飛田給の練成においでになった地方講師の方が、
義姉のことで宇治に永代供養をした所、
「ありがとう」とその義姉さんから言葉をもらったお話を聞き、
その時から、私も主人の遺骨をずっと5年間家においたままなので、
お金が出来たら必ず宇治の永代供養をさせてもらいたいと思っておりました。
話が二転三転して申しわけありませんが、
夫はずっと長い間、私の心境が変わることを待っていて、
丁度よい時に宇治のお話をして下さる方を会わせて下さったのだと思います。
昨年の転居のことから始まって、
全て霊界から夫が導いて下さったことを今日心から感じました。
誠に有難う御座います。
乱筆乱文のままで申しわけありませんが、早速お伝えしたくてこのまま出します。
合掌 再拝

 

 

7、命がけで感謝の永代供養

福岡県  O.Sさん  2008/7/23更新

 
                              平成20年7月23日着のお手紙

合掌 私は昭和54年1月24日、京都両丹道場練成会に参加させて頂きました。
その当時練成部長の長村婦美子先生から、
永代供養の講話を初めて拝聴させて頂きました。
「御先祖様の御徳のお蔭をもって私達は幸せに暮らしている。
“感謝のまごころ”をもって“永代供養”をすれば良い。」という講話でした。
昭和55年に永代供養2柱供養させて頂きました。

主人が昭和60年1月4日に“胸の膿疱症”という病気になり、主人が大黒柱ですから、
それから命掛けで先祖供養、永代供養をさせて頂きました。
主人が「食事は節約するな。病気をしたら何にもならぬ」と言われましたので、
衣類その他の物を節約出来るだけ節約して永代供養をさせて頂きました。
一所懸命永代供養している間に、主人はいつのまにか健康になっておられました。

子供の交通事故の問題、弟の酒乱の問題、11年間掛かりました。
ただ“根”である御先祖様に感謝しながら永代供養させて頂いている間に、
主人は健康に、子供達も幸せに、親族の方達も幸せになり、
平成12年義母は95歳、平成19年義父は102歳で、二人とも安らかに永眠されました。

私は結婚して44年、家族の幸せ、親族の幸せを実感させて頂いております。
今から谷口雅春先生にご恩返しをさせて頂きたいと、毎日祈らせて頂いております。
今後共お導き下さいませ。    再拝


※Oさんは、現在94柱(生存永代21柱含む)の永代供養をされています。(宇治別格本山永代供養課)

 

 

7、流産児を永代供養 息子の手術が5回目にして成功

福岡県  S.Yさん  2008/5/12更新

 
                               平成20年5月7日着のお手紙

合掌   今から23年前、息子が交通事故にあいました。
両足首骨折と右足くるぶしの肉が剥がれ、4回手術をしましたが、肉がどうしても尽きませんでした。
5回目の手術の前に、息子が「お母さん、もう手術はしたくない」と言いました。
「私の心が至らない為に、この子にこのような苦しい痛い思いをさせて本当に申し訳ない」
と断腸の思いでした。

その時ふと、水子さんのことが心に浮かびました。
この子達の永代供養をしたら、必ず良くなるような気がしました。
しかし、二人の永代供養をしたいけれど、その余裕がありませんでした。
その時ふと、息子が小さいときから頂いていた“お年玉”を貯金していたことを思い出し、
その通帳を急いで調べたら23万円ありました。

息子に、「お母さんは貴方の足を絶対治してあげたい。
お母さんは“生長の家”で出来ることは全てしたいけれど、お母さんは今余裕がないので、
貴方の貯金で永代供養をさせて頂きたい」と相談しました。
「借りたらお金は毎月少しずつ返すから」と言ったら、息子が笑って、
「そんなことして、足が良くなるとね?」と言ってくれました。
私はただ有難くて嬉しくて、涙が出そうでした。

早速、永代供養させて頂きましたら、遠方から専門の先生が来て下さり、
手術は完全に成功しました。
私はただ有難くて、有難くて、神様、御先祖様、両親、谷口雅春先生、主人、
病院の先生、看護士さん、全ての人々に命がけで感謝させて頂き、
多くの方々の愛情に包まれ、息子も幸せ、私も幸せでした。

ただ、良くなることしか、考えていなかった自分が不思議です。
これも、ひとえに、生長の家、谷口雅春先生のお導きのお陰と、
心から感謝しております。ありがとうございました。     再拝

 

 

6、94歳で新たに永代供養を二柱申込み

愛知県  S.Yさん  2008/4/18更新

 
                              平成20年4月16日着のお手紙

合掌   先日申込の二柱の永代供養に関し、
色々ご心配をお掛け致しましてすみませんでした。
心より御礼申し上げます。
記念品の宝蔵神社特別版『霊供養入門』をお送り頂きまして
ありがとうございます。
早速、読ませて頂きました。
さて、小生事、本年94歳になりました。
今までに14柱の永代供養をさせて頂きました。
色々お世話になりまして心より御礼申し上げます。  合掌再拝

5、すばらしい姉が使命を全ういたしました

T.Bさん  2008/3/9更新



合掌ありがとうございます。
昨年12月6日に54歳で昇天しました。 私の姉である○○○○比女命(ひめのみこと)です。
20年余りうつ病でありましたが、
昨年1月1日より「日時計日記」を毎日書いてくれるようになりました。
毎日、『私の主人は世界一、私の母は世界一、私は世界一すばらしい妻です。』
と書きしるし、 『この世に生まれてこれたことが嬉しい』と、毎日私に話してくれていました。
この世に生まれ、使命を全うして、霊界に行きました。
亡くなる10分くらい前に、『祈っててね』と私に言い残し、今世の最後の言葉でした。
すばらしい私の姉でありました。
永代の手続き、よろしくお願いします。

4、子孫の繁栄は先祖の供養から 

徳島県 Y.Oさん  2007/11/6更新



合掌ありがとうございます。
私、10月22日朝5時頃、トイレの中で倒れました。
目の前が白くなり、頭の上に抜ける様になり、
急ぎトイレの中の手すりにつかまりました。
それ以後の事は、記憶にありませんが、
フト気がつくと、トイレの中で横向きに寝ていました。

今年3月8日に実姉がトイレの中で亡くなりまして、
実姉の息子達は何時間も知らずにいたと聞いていましたので
恐ろしくなりました。

私はその日病院にて脳検査をし、
更に2日おき、更に詳しく検査をしましたが、
どこにも異常はありませんでした。

昨年2月にもスーパーへ買い物に行き、
今回と同じ様に目の前が白くなり、
台につかまった事までは記憶していましたが、
気がついた時は病院の治療室にいて、薬が頭の上からぶら下がり、
お医者さんや兄弟達の顔がありました。

昨年と同じ症状にて倒れたのに、今回自分で気がついたこと、
とても不思議に思い、もしかしたら・・・と思って いたところ、
10月26日に宇治より、
「10月20日に永代祭祀致しました」という
父と母の2枚の證書が送られてきました。

やはり、22日にトイレで倒れたとき、
気付かせて下さったのはご先祖様であったかと、
唯々有り難さに、仏壇にて、
ご先祖様、父母様ありがとうございますと
泣けて泣けて仕方ありませんでした。

“大地は神様 根は先祖 幹は両親 子孫は枝葉”
と教えて戴きながら、
それでも私は、内孫、外孫が2人ずつ大学生でしたので、
少しでも足してやりたい、今しかないと、
主人の年金の中より孫へやっていました。

生長の家に御縁を戴き4年もして、
やっと、主人の年金は、 先祖あってのお金だということに気付かして戴き、
「そうか私は、枝葉ばかりに心していたが、
これでは子孫が幸せになるはずはない」
と思わして戴きました。
仏壇にて父母に遅くなりすみませんでしたとお断りし、
10月10日頃、永代供養の申込を喜んでさせて戴くことが出来ました。

永代供養のの素晴らしさを、
あの人にもこの人にも伝えたいと思う私です。
ありがとうございました。 厚く御礼申し上げます。

 

 

3、ポスト投函の翌日、癒される

宮崎県 F.Sさん  2007/10/4更新

合掌ありがとうございます。
私が生長の家を知ったのは、小学生の頃でした。
母が病気で入退院をくり返していた頃、
村のおばさんが本を持ってきて母とお話ししてました。
母は、私が中学3年の春、亡くなりました。

20数年後、東京で、同じ会社で働く近所の方に、
「この本読んでみない?」と差し出された一冊の本が、白鳩誌でした。
私は懐かしく母を想い出し、 これは母が私に、
「生長の家の御教えを学びなさい」と教えているのだと直感しました。

それからは、 夜の誌友会、輪読会、日曜・祭日には原宿の生長の家本部、
連休の時は河口湖や飛田給の練成道場へと、
楽しく勉強させて頂きました。

故郷へUターンしたのは60歳前でした。
高齢で再婚し、幸せに暮らしていましたが、
昨年主人が亡くなり、その後は老犬と暮らしております。
そんな時、腰痛に見舞われ、同時に犬もヘルニヤで足が不自由になり、
大変な日々を過ごす様になりました。

そのような折、盂蘭盆供養大祭に伺ったことのある「宝蔵神社」を想い出し、
地域の幹部の方にお世話になって、
8月23日、主人と私の永代供養の書類(故人祭祀・生存永代)
を送らせて頂きました。

早々に不思議な体験を受け、信じられませんでした。
昨日ポストに入れたばかりなのに、もう癒された。
でも確かに自分の身体は軽々と歩け、動くのでした。

以来、体調は後もどりをすることもなく、
まさに現在(※礼状本山着10月1日)は、
円満完全実相神の子の姿となって、老犬の散歩にも幸せを感じ、
感謝の日々を送らせて頂いております。
ありがとうございます。   再拝

乱筆乱文にて想いの1/100も表せませんが、お許し下さいませ。

追伸  老犬のヘルニヤも消えています。

 

 

2、12年ぶりに息子が働きだした

徳島県 N.Yさん 『宝蔵』第80号より  2007/3/24更新

合掌ありがとうございます。
継母として2人の子供を育てて参りましたが、
長男の方はなんとか順調に生活いたしておりますが、
次男は大学受験の失敗以来、12年間家の中に籠もりがちで働く意欲もなく、
徒食の日々を過ごしておりました。

何とかして立ち上がらせたく、気の進まぬ夫を説得して、
一昨年の10月の一般練成会に参加させて頂きました。
夫も正座するのが苦痛らしく帰りたそうでしたが、
幸いグループの班長を命ぜられたので、10日間頑張り通しました。

楠本先生に個人指導していただいた通り、
家に帰りますと早速神癒祈願をお願いして、
毎日2人で神想観と先祖供養の聖経読誦を一所懸命やりました。
又、水子供養や先妻の方の永代供養もさせて頂きました。

すると、夫の、息子に対する態度もやさしくなり、
私の夫に対する態度も見せかけではなく、本物に変わった様に思います。

昨年の8月1日、突然次男が「東京に出て働いてみる」と言い出して、
夫の車に付けていた生長の家のお守りを持って、身体一つで出て行きました。

今迄家の中にばかりにいて世間知らずの息子が、
東京に出て生きて行けるだろうかという不安と心配を打ち消すために、
神想観をして、一心に夫と祈りました。

8月14日の夜、先祖供養をしている時、初めて次男から電話があり、
「運送会社で運転手として働いている」というのです。
夫と共に涙を流して喜び合いました。
その後1ヶ月位して魚の粕漬けを宅急便で送ってくれました。

それ以来1ヶ月に1度くらい電話をかけてよこして、
「東京の地図を頼りに走り回っているのが、自分でも不思議な気がする」
と言っていました。

正月には4、5日泊まって、生まれて初めての給料などを見せて帰りましたので、
私共もほっと致しました。
今頃はきっと4トントラックを運転して、東京都内を走り回っていることと思います。
本当にありがとうござました。
夫と共に心から感謝申し上げております。

 

 

1、100年目の年に永代供養   喜びの出来事が次々に起こる

京都府 大同喜久子さん  2007/3/7更新

合掌ありがとうございます。
日頃は何時もお世話様になりありがとう御座います。
何時も「生き通しのいのち」を心から感じ、唯々合掌して居ります。
今回も余りにも如実な体験をさせて頂き、
思わずお礼をしたためさせて頂きます。

宅は、平成16年10月20日に、
私の実家(保科)の祖母の永代供養をお願い致しました。
と申しますのは、実家の父は60年前に昇天致しましたが、
11人兄弟でしたが余り仲が良くなく、母も不思議に思って居りました。

偶然にも私が大同家へ嫁いで50年目に、
父の実家(出雲)のお墓へお詣り致しまして、
ふと、過去帳を見せて頂きましたら、
父(9歳の時継母)には、2人のお母さんがいらっしゃることがわかりました。

兄と相談して、祖母(父の継母)の永代供養をお願いして、
心からお詫びをして
「おばあちゃんごめんなさいね。
知らなかったとは言うもののご無沙汰をして・・・」
と、心をこめて『甘露の法雨』を誦げて、
涙ながらに御供養いたしました。
ちょうど100年目の年でした。
何か嬉しいホッとした気持ちが致しました。

それからは、嬉しいことの連続の幸せな日々が続きましたが、
今回再び、生長の家の「西日本光輪賞」の通知を頂き、
ちょうど祖母の祥月命日の「2月7日」に本部(※1)で決定致しました由、
身の震える覚えが致しました。
100年の月日を経て居ても、生き生きと「生き通しのいのち」の素晴らしさに
口では言えない感激で御座います。

余り信仰には縁がうすい主人も、
次々と起こる現実の出来事に、心から吃驚致して居ります。

永代供養にて、100年も知らなかった祖母をお祀りさせて頂きました。
祖母も私も、唯々感謝一杯で御座います。
益々の弥栄(いやさか)をお祈り申し上げます。
ありがとう御座いました。 合掌

※ 1  東京原宿にある(宗)生長の家本部

 

◆お問い合わせ◆
生長の家宇治別格本山 永代供養課
TEL  0774-21-2155   FAX 0774-21-1072

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