神癒の社 入龍宮幽斎殿
入龍宮幽斎殿の建立
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谷口雅春先生は、昭和四十二年新年号の「生長の家」誌「明窓浄机」の中で、入龍宮幽斎殿を建立することを発表された。
昨秋(昭和四十年)、宇治宝蔵神社の大祭のとき、私は宇治本山の山頂まであがって既に山の頂が斫り崩されて千五百坪ほどが平地になっている有様を見、実に其処が崇高なる社殿を建立するのに最も適当な幽斎相応の地であることを見たのであった。
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あそこに本尊殿を建立する気持になったのは、宇治本山参拝の信者たちが生長の家の大神は、神道的顕現としては住吉大神であり、私が兵庫県住吉村に住んでいた頃、本住吉神社に毎朝沐浴後直ちに参拝をつづけているうちに霊感を受けて、〝生長の家″が発祥したことを思い合わせ、信徒の熱願として人間の幸福を願うよりも、まず神を正面に顕彰(あらわ)すべきであって、人間の幸福は神を顕彰せばその投影として地上に成就するのである。それなのに今迄、主として人間自身の幸福ばかりを祈って来ていて、神を顕彰することを忘れていたから、生長の家の本尊神たる住吉大神を顕現するために住吉神社をあの山頂に建てたいという信者の盛り上る熱願で、山頂が斫り崩されて、神社形式の神殿の設計図まで見せられたのであった。
その設計図を見たとき、私は本尊として住吉神社を神社形式の神殿で建てれば、形式の上から、神道の一宗派みたいな形になって、キリスト教やイスラム教までも包容する生長の家の万教包容の大理想が形の上から崩れてしまうので、「本尊神を祀る神殿を建てるのなら、神式でも仏式でもない中道的な奈良の夢殿みたいな形式がよい。そして住吉神社というような神道的な名称にしないで単に〝本尊殿″と称して天照大御神を主神に住吉大神、観世音菩薩をその左右に祭祀する構想を立て、四方靖郎氏に設計を依頼したのであった。
そして設計の模型まで出来て、それを(昭和四十一年)八月の生長の家最高首脳者会議に諮ったところ、「わが神殿は既に成れり、名づけて〝生命の実相″という… この神は宮の中にいるような神ではない、神殿は要らぬ、供え物もいらぬ。〝生命の実相″の本の扉を開くことがわが神殿の扉を開くことである」(大意)という意味の神示があるので、本尊を祀って拝んで拝み倒して御利益を得ようとするような神様が生長の家大神ではないから、拝むための本尊殿を造るようなことは、信者に誤解を招き、世間から生長の家も到頭既成宗教と同じになったと批評されることにもなるから、本尊神を祀る神殿を作ることはやめた方が神意にかなうというような結論になり、本尊殿の建立は中止の形になっていたのであった。
ところが今、このアガシャ寺院の幹部ベッティ・サパウ女史からの手紙を再読していると、私が潜在意識の底に、宇治本山の山頂に建立したいと思っているものは、本尊を祀るための社殿ではなく、「アガシャが数回にわたって申しております様に、この 『神癒の社』 は第七次元の実相世界に実在する通りに地上の世界の次元に於いても将来は必ず設立されることになるのでございます」 とサパウ女史が伝えているところの 「神癒の社」 である事を直感したのであった。
第七次元の実相界に存在する 「神癒の社」 を御心の天に成るが如く地上に建立するのは、神を宮の中に祀り込めて置く〝容れもの″のような神殿を造ることではないのである。それは、実相世界の 「神癒の社」 の延長を現象世界につくることによって、現象世界の人間を実相世界の 「神癒の社」 に直参せしめる媒介をつくることである。
そこでやはり私はあの宇治山頂に 「神癒の社」 を 「入龍宮幽斎殿」 として建てることにきめたのである。
幽斎とは形式を通して神を礼拝するところの顕斎に対する語である。すなわち魂を鎮めて神と一体なることを帰する神想観を厳修する斎殿のことである。入龍宮とは? 龍宮とは〝生みの底″即ち創造の根柢の世界であり、実相世界であり、神想観によって、本来無病無苦無争の実相世界に入ることを〝入龍宮″というのである。(拙著 『叡智の断片』 の〝入龍宮不可思議境界録″の章参照)
幽斎殿は最初の住吉神社建立計画のときのように信徒の盛り上がる熱情と浄財とのみによって建造したいと思っている。そしてそれらの人が昇殿して神想観を厳修するところの幽斎殿にふさわしいものとしたい。
(「生長の家」誌昭和四十二年新年号「明窓浄机」より)
その後、谷口雅春先生は同誌の記事を読んだ或る婦人から手紙を受け取られ、昭和四十二年三月号の 「生長の家」 誌 「明窓浄机」 に次のように紹介されている。
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本尊殿または幽斎殿の記事を読んで、或る霊感のある婦人から次のようなお手紙をいただいた。なんでも神想観の実修を通して大光明大歓喜の大啓示を得て使命感に燃えていられるというので、お名前を発表すると、霊感を得たという人には多くの人の訪問が殺到するもので、かくして、霊感をかきみだしてはならない慮りで、しばらく筆者の姓名を秘することにした。この手紙はたしかに正しい神の啓示を受けている人の言葉である。
或る霊感のある婦人からの手紙
「合掌ありがとうございます
私は一昨年暮れから数回にわたりまして大光明大歓喜の大啓示をいただき、あまりの光栄、感激、歓喜、そして使命感に打たれまして、先生に拙い文章をもちましてその御報告と感謝を申し述べさせていただきました者でございます。ありがとうございます。
さて、本日は再び、やむにやまれぬ私の内なる神様のお力にてまことに僭越ではございますが筆を執らせていただきました。それは〝生長の家″誌新年号の先生の御筆に成ります〝明窓浄机″欄『本尊殿建立』の事でございます。
私は三十八年正月の御陵巡拝の折、宇治別格本山を基拠と致しまして御計画下さいました約八十名の御陵巡拝のため、四泊でございましたか初めて宇治へお参り致しましたのでございます。
私は当時別格本山の性格をよく存じませんでした。建物も目的も大変立派で目を(心の目も)見張るばかりでございましたが、その心の底に何か空虚な物足らなさがございました。それは高級霊を更に更に超越している、宇宙全体、森羅万象 悉くの大霊を象徴した祭壇と申しましょうか、神社と申しますかが、見当たらなかったということでございます。
なぜなら、その時、以前一年半ほど前に、私はあらゆる生物・物質は霊であるという厚い物質界という皮をぐるっとむいた世界に直接触れておりまして、どのように秀れた個別霊でございましてもその大霊の中の分霊でありそれぞれの役目を果たしているのだと、心の眼の修練がなされておりましたので、私にとりましてその大霊とも申すべき宇宙運行の大いなる元の力をもお祭りしていて欲しかったのでございました。
しかしその当時、私は 『実相』 ということが把めておりませんでしたので、正面の 『実相』 というお言葉が、きっとその奥に(宇宙霊と観じておりますその奥に)何か途方もない素晴らしい実体を持っているのだろうと、帰路は日本天皇の理念の御啓示をいただき、私の将来の理想も確立し、伊勢神宮に参拝してはればれと嬉しかったのでございました。
私は 『実相』 の全貌がわかりませんでしたために 『実相』 という言葉をとうてい使うことはできませんでした。勿論本尊という言葉の内容も分らなかったのでございます。
その後も私は寸暇を惜しんで真理の探究を身をもって着々と続けておりました折、お手紙を差し上げましたごとく、三十九年十一月に突然聖霊の天降りによりまして久遠に流るるいのち ・ 大生命に直接触れる体験を致しまして、ようやく 『神』、『実相』 の言葉の内容をわからせていただけるようになったのでございます。ありがとうございます。
本題はこれからでございます。先生には先生の御使命のままに無限に大神様の大御心が真理として天降りお享けになりまして常に全人類の幸福のために御教化下さっておられまして有史以来これほど恵まれた時代はございません。まことに有難い極みでございます。又まことに申し上げるのもおこがましいながら、私にも常に私の使命のままに大神様の御心が真理として涌出して参りまして、大理想実現のために準備中でございます。
先生、私がこれから申し述べますことは、無名の、表現の拙ない私と致しましては非常に荷の勝った、逃れたい気持ちでございますが、他のお力をお借りすることは絶対できないことでございますのでなにとぞ御容赦下さいませ。
結論から申し上げますと、実相世界、創造の神は天照御大神様を御主神にそのおはたらきと致しまして塩椎大神様、住吉大神様の御三神の御名で顕わさるべきものであるという事でございます。ありがとうございます。
私は今月の初め新年号を拝読致しまして、宇治に幽斎殿建立が先生の御計画にございましたことを知りまして、どんなに喜びに胸を躍らせたことでございましょう。
でも、天照大御神様を御主神に住吉大神様、観世音菩薩様をその左右に祭祀なさる構想をお立てになられていた由、私はちょっと暗い気持が起りましたが、総裁先生のなさることに間違いはないと自分に言い聞かせておりました。
ところが十七日の午後十一時半頃からの神想観が終わり、一時近くなっておりました頃から、食物によらない、どうしようもない腹痛に襲われ、特に胃が、何かしこりをぎりぎりと融きほどく時のような痛みが間歇的にやってくるのでございます。十八日私は一日中じっと休んだままで腹痛のお蔭でじっくり真理に心を馳せ、神様におもいを致しまして安らかに感謝し切っておりました。
その夜更け古事記の 『誓約』 の章を思い浮かべまして、その内容が自然にわかって参りましたので明日調べて確かめようと思っておりましたところ、急に 『本尊神』 のことが頭に浮かび、それがどうにも押さえ切れない衝動 (先生に申し上げたい歓び) となりまして、三時過ぎまでその歓びに浸っておりました。ありがとうございます。
私は実相の体験をいただきますまで、古事記は一番むずかしく、先生の御講話を拝読致しましてもそれがどのように自分に展開しているのか理解できず、いずれ解る時がくるだろうと、その部分は読み流していたに過ぎませんでした。しかし、尽十方無礙光の活機臨々たる大生命に触れさせていただきましてからは一気にその根本真理を把握し、その後、少しずつ各章にわたりまして、先生の聖典講義にございません(私の目に触れない)個所でも、ふっと、又するすると胸に湧き出て参りまして、急いで書き留めましたり、古事記を開いて真理の象徴を確認するのでございます。この嬉しさは谷口先生が一番わかって下さると存じます。
ここで本題にかえらせていただきますと、住吉大神様と観世音菩薩様はそのおはたらきに於きましてその内容は全く等しいのでございまして、古神道が古えのままに全日本国民に浸透しておりましたならば、住吉大神様とは非常な親近感を持ちまして現在でも接していただろうと思われるのでございます。この住吉大神様に最大限にお力を発揮していただくには塩椎大神様に全面的に顕われていただきまして、その全存在をしっかりと我々がお認めしなくてはならないと存じます。
ただいま申し述べましたように実相世界では住吉大神様も塩椎大神様も主神であられます天照大御神様も一体でございまして実相と致しましては分けるべきではございませんが、理念は、はっきり三神として実在致しております。
塩椎大神様のおはたらきはあくまでも 『御言葉』(御心) でございます。『終戦後の神示』(註・『秘められたる神示』に収録)の中に 『水火土之神の謂である』 と御明記されておりますごとく、そのおはたらきは現象界に顕れようと顕れまいと宇宙に実現する。生命の実相、天皇の実相、日本の実在を語り続けております、大宇宙実相界の霊言そのものでございます。
塩椎大神様はお名前は古事記上巻で終り頃に出ていらっしゃいますけれど、これは大難に際しまして神姿を後にお見せ下さいました象徴でございまして、実際は、冒頭の 『天地の初発の時』 の 『天』 から塩椎大神様はいらっしゃるのでございまして、初めなき初めから終わりなき終わりまで創造の霊の根元世界に充満しておりますコトバを人格化 (神格化と申すのでしょうか) したのでございます。
この世界におきましては塩椎大神様と同時に住吉大神様は行動を起されますので、共に創造神と申されますが、それでも陽、陰、両用の区別は、はっきり致しております。まして五官に執われております多くの現象の人々は、神様の御心(塩椎大神様)が内にあって、その通り実践すればよいものを(住吉大神様)、わざわざ五官知によっていつわりの行動を起しましたり、無視したりしますので、しだいにずれが大きくなりますことを防ぐためにも塩椎大神様と住吉大神様の二神を御心と御表現の人格化した象徴と致しまして、ここに示されているものと存じます。
先生が実相に触れられました時の御言葉にも 『あるものは唯神のみである。神の心と神の心の顕現のみである。これが実相だ』 とございます。地球上の全人類が神の根本構図即ち大中心帰一を構成すべく、理念の世界に実在致します根本原理生命 ― 心 ― 顕現の法則をしっかり身につけますれば、いかなる環境も自分の魂を向上せしめる神の愛の御心の顕われとして、義 (ただ) しき神の御智慧のもとに自らの理想、即ち神の創造となりまして、それに向って邁進致します無上の悦びが得られることと存ずるものでございます。
先生、宇治の御本尊殿に日本始まってこの方バラバラにお祭りされておりましたでありましょう天照大御神様とその陽陰のおはたらきの塩椎大神様と住吉大神様を、今こそ完全に一致した状態におきまして、御三神様をお祀り申し上げるべきではございませんでしょうか。
重ねて申し上げます。住吉の世界には先ず真理のお言葉 (・・・) が先行するのでございまして、先生に天降っておられます塩椎大神様(生長の家聖典神誌の神格化)を抜きに致しましては御本尊様は考えられないのでございます。あらゆる神癒をなし給い、どのような大難をも除去せしむる無限力はこの御三神によって生まれるものと信ずるものでございます。
実相の全貌が明解に説きあかされ、その御本尊様が理念の世界から現象の世界に投影して人々に拝され、自覚の道しるべとなりましたならば〝大日本真理国家″もより早く顕現されるでございましょう。
私の中には次から次へ言葉が浮かびますけれども、今回は本尊殿建立の件でございましたのでこれで終わらせていただきます。私の申し述べましたことに間違いがございましたなら何卒御一言だけでも御教授下さいますよう伏して御願い申し上げる次第でございます。
先生と御一統様の弥栄を心からお祈り申し上げるものでございます。ありがとうございます。 再合掌」
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神さまの側からいえば 「われに神殿は不要である。われは真理であるから真理のコトバを登載してある書籍がわが神殿である」 と仰せられても、信者の側からいえば、神様の神徳を顕彰するためにお宮を造って奉斎したいのも人情である。そこに自然に神殿が築かれる。
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『宇治だより』第17号 昭和59年7月1日の記事より
神癒の社 入龍宮幽斎殿落慶
昭和四十六年十月十四日、神癒の社 入龍宮幽斎殿は落慶式を迎えることになった。
落慶を寿ぐ、昭和四十六年十一月一日号の 「聖使命」 紙は、「実相直入の社成る ー 金色の光天降る地に」 と題して次のように記している。
「現代人は、もはや祈りの何たるかを知らない。人は、識らず知らずのうちに恐ろしい頽落への道を歩いているのではないだろうか。
文明と文化の発達は、人間世界に限りなく大きな可能性を開き、豊かな物質を与えはしたが、衣食住の快適の原理の追求は、所詮は空しい徒労ではなかろうか。
豊かさの中にあって空恐ろしい孤独が人を襲う。物の氾濫と虚飾の中に、ほのぼのとした人間の味わいと、幸せを失ってしまった。かりそめの平和は人類破滅の恐怖の均衡の上にある。こうして現代人は今や人類最後の日に向かって確実に歩を進めている。
しかし、ようやく人類は、この恐るべき事態に薄々気付き始めたが、その超克の道は、依然として未知のまま、暗中模索をくり返している。
この歴史的な人類の切なる要請に応えるべく生長の家は出現し、『人類は神の子である』という驚天動地の真理の火をかかげ続けている。そして祈りとは、生きとし生けるもの、ありとしあらゆるものが、全て無窮にして永遠な神のいのちと一つであることの讃歌であり、共感であり、またいのちの共鳴であったはずである。このいのちの讃歌のみが、現代に残された希望の灯台なのである。生長の家が多くの信徒の浄財のみによってこの祈りを厳修する殿堂を代に提供するゆえんの一端がここにある。
入龍宮幽斎殿はあなたのものである」
谷口輝子先生は、神癒の社 入龍宮幽斎殿落慶式の前日からの模様を次のようにお書きになっている。
宇治の幽斎殿落慶式に参列すべく、私達夫婦は清超夫婦と共に、前日の夜宇治に到着した時は雨であった。雨の中を傘をさして階段を昇り、明日のために準備の調った幽斎殿にはいって見た。殿内にはいると、先ずプーンと新畳の匂いが室内いっぱいに漂っているのを感じた。青畳の周囲に白々と障子がはめてあり、正面の臼木(しらき)の社、その扉につけられた金文字の「龍宮」が、まばゆい輝きをして居り、何の飾りもしていない清々しさは心を洗われる思いをした。
地下室には写経室が沢山作られるとのことだったが、そこはまだ完備していないというので私たちは降りて行かなかった。
十四日の落慶式は雨晴れたもとに超満員の盛況であって、限られた人だけ幽斎殿にはいったので、他の多くの人たちは、宝蔵神社の大拝殿や屋外に溢れていた。
伏見稲荷大社の宮司守屋光春氏は丁寧な祝辞を長々と述べて下さったことによると、若い頃明治神宮に勤めて居られ、お山の近くに住んで居られたことがあって、その頃初めて「生長の家」を知られたそうである。近年になって、稲荷神社で何か建物を建てられたが、その時建築を頼まれたのが四方建設であった。どうも、今まで逢った建築家と違った良い雰囲気の人だと思っていたら、四方氏は生長の家の信徒だと判った。
生長の家の教(おしえ)は、よくもこんなに感化されたものだと感心したと話された。私は守屋宮司のその話を聞いていると、生長の家の信徒一人一人が、その行動に責任をもって、身を以て「教」を示して欲しいと痛感した。
(「白鳩」誌昭和四十七年新年号「〝そのまま″の美しさ」より)
落慶式における谷口雅春先生のお言葉
入龍宮幽斎殿落慶式で御挨拶される谷口雅春先生
谷口雅春先生は、神癒の社 入龍宮幽斎殿の落慶を祝福され、次のようにお話をされている。
われわれは人間界の色々の変化に引っ掛って、そして、現象界の色々の努力をしても、それは、妄想によって縛られていますから何事も都合よくいかないのであります。われわれは一遍〝 無 ″の門関を超えて、そして龍宮界に入らねば多宝の世界に達することはできない。そのために〝 龍宮 ″と書いた扉がこの奥の院の正面にある。 あれは〝 無 ″の門関の象徴であります。 龍宮というのは、これは神話でありまして、海の底というわけであります。
海というのは、一切の物を生み出すところの底、即ち存在の根底の世界で、それは神々の世界である。その神々の世界と我々が交通しないで人間界の色々の現象に引っ掛っている限りは、よくしようと思うことが悪く回転していって、そして行きづまりを生じることになるのです。
この入龍宮幽斎殿ができまして、そして、多くの政治家達がここへきて、神想観を修して、そして、龍宮界から無限の知慧を授かって、政治を行うということになれば、きっと日本の国は素晴らしい国になると思うのであります。
ともかく、そういう目的をもって、この幽斎殿が建立されたのでありまして、これも、伏見の稲荷大神の導きが最初の出発点になっているのであります。
今日承りますと、伏見稲荷大社の宮司のお方が来賓としてお出下さっている由で、誠にありがたく、こころから感謝申上げるしだいであります。
追って、この山上のあちらの方の峰に稲荷大神の社ができることになっているのでありますが、これはまだ時間の問題でありますが、そうなりますと尚一層実相顕現、龍宮海の素晴らしい相が地上に実現してくるに相違ないと信じているのであります。
皆さん、この落慶式に多勢お集まり下さいまして感謝いたします。ありがとうございます。
落慶式における谷口清超先生のお言葉
谷口清超先生は、神癒の社 入龍宮幽斎殿の落慶に際し、次のようにお話されている。
本日は天皇陛下が欧州からお帰りになります素晴らしい日にこうして幽斎殿が落慶、入魂、入神の式が行われましたことを非常に喜びに感じます。
生長の家で一番大切なことは、実相直入ということでありまして、この龍宮界、即ち実相に直入する神殿が建設されたということは、生長の家の人類光明化運動の魂がここに入ったということになるのであります。
霊界にいらっしゃる諸霊の御供養が宝蔵神社において十分行われ、そして今ここに実相界直入の素晴らしき神殿が建立されたということによって、正に生長の家の運動の本当の態勢がここに完成したということであります。
ちょうどテレビのアンテナが高く張られて、そこに神界からの素晴らしき電波が感応して来る。そのような状態に今なったということは、現代の日本が置かれている様々な状態を一挙に導いて行く素晴らしき態勢ができたということになりまして、その意味におきましてこの神殿に象徴される人類光明化運動が生長の家の全ての同志によってまことに見事に心を一つにして完成されていくことを、神様がお命じになっている姿であろうと拝察いたします。
どうか、そのような意味において、本日を機にして、全ての同志達が、しっかりと心を一つにして、入龍宮の境涯において、真の日本建設、日本の実相顕現と世界の平和を実現していただきたいと、心から念願いたして御挨拶とさせていただきます。
入龍宮幽斎殿落慶式 「散餅の儀」
入龍宮幽斎殿にての神想観に念ずる言葉
昭和四十六年十月十四日、神癒の社 入龍宮幽斎殿で落慶祭の当日に谷口雅春先生が初めて神想観を厳修された。谷口雅春先生は、幽斎殿神前中央に〝 神座 ″と称する黄金の座席で神想観を御指導されるものと関係者は思っていたところ、落慶祭の前日、神座には神想観のとき住吉大神が出御されて龍宮海秘法の真理を説き給うのである、と御教示になった。
入龍宮幽斎殿で神想観を御指導される谷口雅春先生
谷口雅春先生は、次のように入龍宮幽斎殿で神想観を御指導されたのである。
天照大御神(十回繰返す)
住吉大御神(十回繰返す)
塩椎大御神(十回繰返す)
吾れ今、此処、神癒の社〝 無 ″の門関に坐して龍宮海に入らんことを願ひ奉る。庶幾くはわが願ひを諾き給へ。
われ今、塩椎大神に導かれて龍宮海に入る。ここ龍宮海なり、神の無限の智慧の海なり、神の無限の愛の海なり、神の無限の生命の海なり、神の無限の供給の海なり、神の無限の歓喜の海なり。神の無限の調和の海なり。われ今、此処、龍宮海の龍宮城に坐して住吉大神より龍宮無量寿のいのちにて全身全霊浄めらる。
吾等現象界の妄想悉く清められて本来の如意自在の実相顕はる、わが全身如意宝珠なり、一切の宝、吾が掌中にあり、欲するもの、好ましきもの、おのづから顕れ、欲せざるもの、好ましからざるもの自ら去る。
今もなお千古の歴史を秘めてしずまる宇宙 ― 。 山紫水明、朝な夕なにたなびく霧は、俗塵を払って神韻縹渺として心を洗う。その聖域に荘厳なる神癒の社 入龍宮幽斎殿は、宇治別格本山の奥域に偉容をたたえ粛然と鎮まっているのである。 |