全国流産児無縁霊供養塔
檜造りの供養塔
昭和三十六年八月二十日、宇治別格本山の一隅に檜造りの「全国流産児無縁霊供養塔」が建立された。この時、谷口雅春先生は日本全国の人口流産児の霊を招霊されたのである。
「人工流産児招霊鎮魂之詞」の冒頭にしるされている、
〝人工流産にて不慮の厄に遭ひ現世を去りし日本全国の童子童女の霊に告ぐ〟
と三度くりかえして高唱されると、参列者一同、谷口雅春先生の御愛念の深さに涙が頬を伝わった。
谷口雅春先生が、「人工流産児招霊鎮魂之詞」で全国の人工流産児の霊を招霊されている最中に、一部の人は赤ちゃんの泣きさんざめく声とそれが次第にしずまっていく声が聞こえたという。

人工流産児招霊鎮魂之詞
斎主 谷口雅春
人工流産にて不慮の厄に遭ひ現世を去りし日本全国の童子童女の霊に告ぐ(以上三回高唱する)
爰に大神たちの大慈の御許しを得て 汝たちを悟りに導くための聖経『甘露の法雨』
の真理を言葉を供養せんとして此処宇治生長の家別格本山の聖地を選んで 一大供養塔を建立し 汝たちを供養せんとす
願はくは 天かけり 国翔りて宇治生長の家別格本山に集り来り 此の供養塔にみたま鎮り給へ〝ひとふたみよいつむゆななやここのたりももちよろず〟(数歌を三回唱える)
日本全国無縁の人工流産児のみたまよ
此の供養塔にみたま鎮り給へ
(気合)

 つづいて谷口雅春先生による「人工流産児供養祈願文」の奏上。谷口雅春先生はじめ各代表の玉串奉奠。参列者一同の聖経読誦。引導文・悟りの歌・大調和の歌をもって、「全国流産児無縁霊供養塔入魂式」は終了した。
谷口雅春先生は「人工流産児供養祈願文」を「人工流産児招霊鎮魂之詞」とともに、八月二十日を前にした「聖使命」紙昭和三十六年八月十一日号でつぎのように御発表になったのである。

人工流産児供養祈願文
掛巻くも綾に畏き生長の家大神と総括して称言を奉る尽十方無礙請光如来 観世音菩薩 地蔵大菩薩 薬師如来 大国主の大神また死と陰府との鍵をもち給ふイエス大神の御前に畏み畏みも白さく 近頃 わが国人口過剰にして国土狭きを理由に 折角大神より神聖受胎を受けし婦人達 その受胎せる胎児を人工流産にて流し棄つるもの その数毎年三百万に及ぶといふ 流されし胎児のうちには 既に高級霊にして迷ひなき霊もあれども そのうちの数多き霊は 折角地上に降誕して 現世に定められたる己が使命を完うして 一層高き進化をとぐべき目的にて受胎したるに拘らず 不慮の堕胎の厄に遭ひ つひに已むなくこの世を去るに到る此等諸霊は 或は無念の想ひに世をのろひ 人を咒ひ 或は悲しみ嘆きて涙の絶えるひまもなく 或は親族縁族にたよりて救はれんとするにより 彼等諸霊の無念の想ひは此世に色々の災厄をひきおこし その悲しみ嘆きの念は水に具象化して洪水 高潮 津波などの水渦となり 尚胎児として頭据わらず手脚自由ならざるままの姿にて親族縁族その他因縁ある人に頼りよれば小児麻痺の手脚不自由 知能未発達の患者を生ず
吾ら生長の家の信徒たち この現幽両界の惨事を見るに忍びず ここに「人工流産児供養塔」を建立し この供養塔に日本全国無縁の人工流産児の霊を招霊祭祀し(無縁でない流産児で霊牌に命名されたる場合は この太字のところを 「有縁の人々の浄志により 各々汝たちに戒名を授け 此処宝蔵神社の内殿に霊牌を祭祀し」と書きかえる)大神たちの御教へたる聖経『甘露の法雨』を集団読誦して供養せんとす これら諸霊の人工流産せしめられたる怨みと悲しみと迷ひとより解脱し 「人間神の子」の実相を自覚し 霊界に於て直ちに自由を得 尚一層の向上の道に精進し得るやう 大神の大慈と大智とを雨ふらして此等諸霊を導き給ひ 過去世によき事あらば称め給ひ 過ちし事あらばゆるしたまひて 速やかに悟りの境地に導き給へと畏み畏みも祈願し奉る

 また同年の十月、秋季大祭に際して谷口雅春先生は次のような祝詞をあげられ、集まった信徒たちと共に聖経『甘露の法雨』を読誦されて流産児を供養された。

流産児を祀る祝詞
斎主 谷口雅春
日本全国流産児の諸霊に斎主谷口雅春敬て白す
今日宝蔵神社奥宮の大神たちの大御祭の日に際し 全国流産児の諸霊を此の慰霊塔に招ぎ奉り 生長の家信徒一同大神の真理の言葉聖経『甘露の法雨』を誦して 汝諸霊たちの悟りを深めんがための援けとなさんとす 汝等は高級霊なり 汝たちを流産せしめたる父母を呪ふことなかれ 汝たちが地上世界の日の目を見ることを得ずして流産によりて世を去りしは 汝たちは既に幾世代の生れ変りに於て地上世界のあらゆる経験を卒業せるが故なり しかし唯一つ子宮内の暗黒世界に意識を有ちつつ生活する受苦の経験のみ不足したりしをもつて それを卒業すれば 再び地上に生れ出づる必要なきため 子宮内の意識生活を終ると共に霊界に復帰せるなり 汝の父母は決して汝等に危害を与へるに非ざれば 人工流産せる父母を恨むことなく憎むことなく 感謝の念に満たされて今後霊界に於て「我れ高級霊なり 神通自在なり 何ぞ地上の人類に禍をなさんや」と念じたまへ 真に神通自在と念ずれば神通自在となるなり 既に汝等神通自在を得たり 既に汝等心に憂へなく悲しみなく 呪なく憎みなく人々に禍ひすることなく大神たちの護りを受けて 大神に仕へ奉る天の童子童女として平和のために貢献せらるること必定なり 嬉しい哉この悟りを得たまへることを吾ら一同爰に汝たちの悟りを讃嘆して玉串を奉奠し奉る

 こうして年々大祭や月次祭、練成会の流産児供養祭のたびに供養が行なわれ、毎日の参拝者も絶えることがないのである。

 

本供養塔
やがて昭和四十年十月十四日、これまでの檜造りの供養塔にかわって御影石の供養塔が建立され、谷口雅春先生による「入魂の儀」が行なわれた。新しく建てられた塔は瀬戸内海の大島(岡山県)に産する石で「全国流産児無縁霊供養塔」と彫まれ、さらにその塔の上に慈母観世音像が安置された。この像は福岡市の仏像彫刻家国広石峰氏の作で、寄進者は鹿児島市の小園平右衛門氏である。
この二十五トンの大きな石を岡山県からはるばる運んできて宇治の山上に安置するまで、一人のけが人もなく何の事故もなくきわめて順調に運ばれたが、これはふしぎな気がすると運搬に当った業者が言ったという。切り出したままの大きな石は、現在供養塔の建っている場所できれいに削られ、形がととのえられて文字が彫まれた。
新しい供養塔の入魂式の模様を谷口輝子先生は、次のように記されている。

紅葉にはまだ早い十月十四日、宇治の空は薄ぐもりであった。第一日目の講習終了の四時から、全国流産児無縁霊供養塔入魂式が行われた。塔の上には慈母観世音が、真実の母にも勝してやさしく立って居られた。
式がはじまろうとするしばらく前から、音もなく霧雨が降って来て、地上はしめやかにうるおっていた。人々は〝清めの雨か〟と言ったり〝流産児の涙か〟と言ったりした。
白い上着に水色の袴をつけられた夫が階段を降りて行かれると、そこには白い花緒の下駄が揃えてあった。袴姿の一青年が進んで来て、夫に長柄の傘を差しかけた。渋い朱色の大傘のもと、静々と塔に向かって進んで行かれた。赤い傘、白い着物、水色の袴の色彩は、暮れかかった小雨の中に、神々しくあざやかに浮かび上がっていた。
祝詞をあげ、玉串を捧げて帰って来られると、もう雨は止んでいたが、次ぎに私が玉串を捧げて進んで行くと、赤い長柄傘は矢張り私にも寄り添って来た。
礼拝して私は、高い高い塔の上を見上げた。慈母観世音の優しくて威厳のある御眼が、広い境内を見渡して居られるようであった。その右手には愛らしい嬰児を抱かれ、その左手には一本の白蓮華を持って居られた。私はまた雨上りの道に敷かれた板の上を、注意しながら大拝殿まで帰って来た。夫の式服に合わせて染めた、私の水色ぼかしの着物は、少しも汚れることなく済んだ。(「白鳩」誌昭和四十一年新年号「蓮華を讃える」より)
谷口雅春先生は新しい供養塔に二通りの祝詞をあげられた。一つは「慈母観世音菩薩勧請の詞」であり、もう一つは「全国流産児無縁霊に告ぐる詞」である。

 

慈母観世音菩薩勧請の詞
是れの宝蔵神社の聖なる奥域に清浄なる御影石もて築きたる供養塔の頂きに慈母観世音菩薩の霊を招ぎ奉り鎮め奉りて全国流産児無縁の諸霊たちを慈しみ導き育て給う守護の霊となさんとす 仰ぎ願はくは観世音菩薩の霊よ この観音像に来りて鎮まり給へ 南無大慈大悲の観世音菩薩の霊(二回)
これの供養塔上に招ぎまつり鎮めまつる子育て観世音菩薩に 祀り主谷口雅春畏み敬ひて白す 今日を生く日の足る日と選び定めて全国流産児の霊をこの清き御影石の供養塔に招きて観世音菩薩の慈愛のみ許に鎮めまつりて 菩薩の尊き愛育の御手にゆだねんとす 庶幾はわれらの願ひを諾ひ給ひて これらの童男童女の霊たちに善き事あらば称め給ひあしき事あらば神直日 大直日に見直し 聞き直して 迷ひを祓ひ浄め給ひ これら童男童女の霊の高き尊き実相をあらはし 愈々高き位に進ましめ給ひ 縁あらば 子供無くして 子供を求むる善き婦人たちの胎に受胎せしめ給ひて末長く護り給へと畏み畏みも白す
(招霊)全国流産児無縁のみたま此の宝塔に鎮まりましませ
(数歌)
(気合)

 谷口雅春先生は、この「慈母観世音菩薩勧請の詞」の最後を、招霊・数歌・気合、招霊・数歌・数歌、招霊・数歌・数歌、招霊・気合とくりかえされたのである。


全国流産児無縁の霊に告ぐる詞

 斎主 生長の家総裁 谷口雅春 
此処宝蔵神社の浄域に 仮の全国流産児無縁霊供養塔を建て奉りて 早くも年を経ぬれば 風に吹かれ 雨に洗はれ 陽に晒されて色褪せ損じたれば 新しく清き御影石もて宝塔を作り成し 今日の吉日に汝たちの霊をこの宝塔に鎮めんとして入魂の儀を行はんと 茲に生長の家総裁谷口雅春汝たちに白さく
これの宝塔の上には子育て観世音坐しまし汝ら流産児を迎へ 慈しみ育て給ふ 而して縁ありて再び地上に生まれ肉体の生を享けて地上の修行によりて霊の向上を得んとする者には適当の母体に宿し給ひて地上の生を得せしめ給ふ 地上の生を受けてより後も観世音菩薩は護り給ふ 夢疑ふこと勿れ 肉体の父よりも母よりも棄て去られ 天涯孤独となりしと思う流産児達よ 泣き悲しむ事をやめよ 苦しみもだゆる事を休めよ 迷ひを去れ 迷ひ迷ひて汝等の流す涙は洪水とも現はれ 泣き叫ぶ声は暴風ともなりて戸を打ち家をくだく されどこれ真の姿にあらず 父を求むる者よ 母を求むる者よ 汝の真の父母は天地の大神なり 汝らは神の子なり 汝らの父母は天地の大神なり 今観世音菩薩として現れて汝らをいつくしみ育て給ふ 目を上げて慈母の光を見よ 観世音菩薩の御声を聴け 汝童子童女たちは霊界に於て すでに高き程度の進化に到達し受胎と胎児形成の過程を経験し 尚高度の進化を求めたる霊に外ならず 汝たちには肉体なく苦しみ無く 悲しみ無く只々向上あるのみなり 
この真理を知らしめ悟りに導かんが為の縁として供養塔を建立しここに鎮め奉りて慈母観世音菩薩の御守護の下に魂の向上する学園となし 朝な夕なに聖経『甘露の法雨』を読誦せんとす 希くは聖経の真理を受け速かに真理を識り人工流産せしめられたる怒り 恨みを放ち去り 悲しみの涙をおさめて誠の道に進み給ひ 観世音菩薩の導きのまにまに愈々高き御位に進み給へと敬つて白す
大神の智慧のみ光りあきらけく 照らして 迷ひ残る隅なし(二回)
(気合)

翌昭和四十一年、谷口雅春先生は「生長の家」誌の「明窓浄机」欄につぎのようにお書きになった。
迷っている霊を救済してあげれば、霊界の迷いの霊波を現実界の人々が受信する数が減り、迷霊の放送霊波を受像又は受信するために起っていた病気が頓に減るものなのである。
嘗て日本国内の小児麻痺の発病者が一年間に二千名を超えるというとき、ソ連製の小児麻痺性ワクチンを子供に服用せしめることが行われた。恰度その年、生長の家では全国人工流産児之霊供養塔が建立せられて、遍く日本国内の人工流産児を招霊して供養する祭式が行われたのであるが、その時から急に小児麻痺患者の発生が激減したのであった。
その小児麻痺患者の激減の原因は、生ワクチンの服用にあるのか、流産児の霊を招霊して聖経を供養して、悟りをひらかしめて、迷いの霊波を現実界に送らせないようにしたのによるのか、明瞭ではなかったけれども政府や医界では生ワクチンの効果であると発表していた。私たちは、その原因の一半を流産児の霊の供養にあると信じていたのではあるけれども、功を争うのはイヤであるから全然反論を唱えないで、唯、毎年、流産児の霊祭をつづけていた。
昨年になって流産児供養塔が古くなって、その檜材が腐蝕して来たので、石材をもってその供養塔を宇治に新たに建立し、その上、に子育て観音の像を安置して流産児の守護の霊として祭祀したのであった。
ところが、最近私がラジオ放送をきいていると、この二三年来小児マヒ・ワクチンを毎年飲用することを忘れた人が多いのかトンと服用する子供が少くなったにもかかわらず、毎年小児麻痺患者の発生は更に漸減して今年の如きは僅か何十名という程であったが、服用を怠ると又流行するといけないので、今後は大いに生ワクチンの服用を奨励しなければならないと考えているというようなことが報道されたのである。
この二三年来、生ワクチンの飲用が忘れられているのに、小児麻痺患者が、尚更減少して、僅か何十名という少数だったというのは、どういう理由だろうか。小児麻痺生ワクチンの効果は一年だといわれているのであるから、その発生数の減少は決して生ワクチンを三年も前に服用した効果の持続とは判断する訳には行かないのである。ワクチン以外の小児麻痺減少の原因を探してみるとやっぱり、人工流産児の霊を供養し、それに聖経『甘露の法雨』を読誦して悟りをひらかしめた結果、迷いの病念を放送して来なくなったものだと判断するほかはないのである。 (「生長の家」誌昭和四十一年十月号「明窓浄机」より)

昭和四十六年十月の秋の供養祭について、谷口輝子先生はつぎのようにお書き下さっている。

 十五日は、宝蔵神社の秋季大祭や精霊招魂神社の祭りが終わって、その日の夕方には、全国流産児無縁霊供養塔の前に集って、供養の営みがなされた。大テントを幾つも張って、その中で椅子に掛けている人々、数千の信徒たちは玉砂利の上に筵を敷いて坐っていた。
供養塔の前に八足台を幾つか置いて、その上に数多くの牛乳瓶が並べられ、その左には、子供の好きそうなお菓子が山と積まれていた。夫に私はささやいた。
「沢山のミルクですね。赤ん坊のお祭りらしいですね。赤ちゃんたち喜ぶでしょう」
祭りの行事が進行し、祭司が祝詞をあげ終った時であった。ふと眼を上げると、供養塔の背後の杉山の上から、羽音もさせず、静かに舞い降りて来た鳶の群れがあった。数えて見たら十羽であった。私は幼い頃から鳶は見なれていたので、その飛ぶ姿ですぐ鳶と判ったが、どうも鳶としては少し小さ過ぎると思っていたところ、私の背後に掛けていた誰かが、
「あれは鳶の子供です」
と言われた。私はすぐに夫にささやいた。
「鳶の子供ですって。私は鳶の子供は見たことありませんわ」
「流産児の霊が鳶の子供の姿をして感謝に来たのだよ」
と夫は言われた。可愛い鳶の子たちは、供養塔の上空をぐるぐる舞っていたが、やがてまた杉山の彼方へ姿を消した。
子供の供養をしているところへ、子供の鳶ばかりが集まって来るとは、何となく神秘な感じを受け、意味深いものと考えさせられた。
赤ん坊が鳶の子供の姿で現われて、御礼を言いに来た。本当にそうだと嬉しいと思った。
親の無知のために、神を知らなかった親のために、不自然な手術を受けて殺された子供たち、哀れな哀れな子供たちが、御教によって救われ、天国で楽しい生活をしていることを思うと、おのずから微笑が湧いて来る。(「白鳩」誌昭和四十七年新年号「〝そのまま〟の美しさ」より)