昭和35年8月――宝蔵神社本殿並びに宝蔵神社大拝殿が落慶しました。
本殿は、藤原後期の建築様式と、神道・仏教・キリスト教の3つの建築様式を調和した
形で取り入れた96.69平方メートルの鉄骨・鉄筋コンクリート建です。
大拝殿は、地下1階・地上2階の寝殿造りです。 広さは延べ4,385.44平方メートルです。
2 階に、765畳の広さの拝殿があります。
1 階には落慶当初は、講堂、参拝者の宿舎、放送室、食堂などがあり、地下は変電室
と機械室がありました。
現在は、祈りの間、永代供養受付、休憩室などがあります。
屋根は、約1万5千枚の銅板で葺かれ、
地中には地盤沈下を防ぐために長さ9メートルのコンクリート・パイルが
350本打たれています。
昭和34年2月23日、谷口雅春先生の「鍬入式 (くわいれしき)」が行われてより515日、
延べ6万2千2百40名の人々の手よってつくりあげられました。
現在、大拝殿は、宝蔵神社盂蘭盆供養大祭(送霊祭・招霊祭・本祭)、
宝蔵神社新年祭、宝蔵神社月次祭、霊宮聖使命菩薩合祀祭、霊牌合祀祭、
霊宮聖使命菩薩祥月命日供養祭、練成会での先祖供養祭・流産児供養祭、
結婚式、成人祭、節分祭、各祈願祭、各奉告祭、
また各種研修、毎日の早朝行事などが執り行われています。
「宝蔵神社神捧堂の祝詞」には、このようにあります。
『神橋(しんきょう)を渡れば五千人道場あり
人々道場に坐し 大神達を拝し奉り 御教を聴聞(ちょうもん)し
いのちを清むる「いのちのゆには」なり
如何に罪業(ざいごう)重く苦海(くかい)に沈むとも
また迷い深く暗黒の世にさまよふとも
はたまた死の影におびえ恐怖に追はるるとも
一度(ひとたび)この「ゆには」に座して御教えを受け
心浄まり実相を悟りなば忽然(こつねん)として天地開け
太陽の如く光輝く神の子なる自己の実相を見
歓喜と喜びに満ち溢るること必定なり』 |
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